トリハナニイロ

□夜桜
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「お花見に、行きませんか」

 新年度で雑多に忙しい私に、さすがに遠慮していたのか訪れが絶えていた(っていっても電話はめんどくさいほどあったけど)彼からそんなお誘いが。

 今から出ると、夜桜ですが。

 そういえば今年は校内や近所の桜を愛でるだけで、花見と言う花見はしてなかったな、と思う。
 こうなると、日本人のDNAに刷り込まれている祭り好き・桜好きの気質が頭をもたげてくるのは必至で。
 明日がエライことになると予感しつつも、まあ休みだしー、急いで片付けなきゃいけない仕事は粗方すんだしー、どうせ何だかんだ襲撃されるだろうしー、なんて計算を無意識にしつつ、
 ええ、と答えてしまっていた。


 迎えに来た彼が車を走らせること一時間強。どこへ行くのかと訊ねても、いいところへですよ、と微笑むだけ。
 うちの周辺の花はもう散り始めていたので、まだ咲いているところへでも遠出するつもりなんだろうと見当をつける。
 普段は人を使っていて、自身では運転しない彼だけど、私と出掛けるときは大抵彼がハンドルを握る。
 車を運転する男って、どうしてこう色気を感じるのかしらと、しばらく会わないうちに少し痩せた風に見える横顔を眺めた。
 視線に気付いた彼が、何ですか? と訊ねるのに首を振って、忙しいみたいですね、とだけ答え。
 彼の運転の邪魔にならないよう、ポツリポツリとする会話は他愛のないことばかりで。
 穏やかな空気が心地よかった。
 次第に窓の外の景色は街中から離れ、緑が多くなって行き、人家も無くなった森の入り口で彼は車を止めた。

「少し歩きますが、大丈夫ですか」
「仕事ばっかりしてる人よりは運動不足じゃありませんよ」

 私の素直じゃない言葉にも軽く笑って彼はトランクから少し大きめのバスケットを取り出す。
 蓙を更に引き出すのを横から手伝った。

「なにやら本格的ですね?」
「夕飯はまだでしょう? うちの者にいろいろ作ってもらいましたよ」

 わあい、古賀家シェフの花見弁当っ。
 食い意地のはった私がテキメンにご機嫌になったのに気付いて彼はまた笑う。

 驚くことに、木々に紛れ風景が損なわれないよう外灯らしきものが設置されていた。
 ようするにここ、彼の家の私有地ってことか。さもありなん。
 月明りのように淡い光を頼りにしばらく行くと、目の前が白くなる。
 知らず、感嘆の声をあげていた。
 樹々を抜け、わずかに拓けた平地に鎮座ましましていたのは桜の古木。
 どっしりとした黒い幹に、こつこつした枝が腕を伸ばし、綿雪のような花房が天を覆っている。
 時折、はらりと花びらが誘うように舞い落ちて。
 トロリとした桜の薫りにうっとりした。
 桜に見惚れている間に、お花見のセッティングをすべて済ました彼が私を呼ぶ。
 再び、うわあ、と声をあげた。
 バスケットから出てきたのは桜色のワイン、なんとグラスまで、様々なちょっと摘まめる食べ物。どれも一口分ながら、しっかりした味にたくさんの種類があってつい頬が綻ぶ。
 ……シェフから餌付けされているような気がしないでもない。
 でも頂きます、美味しいものの誘惑には勝てないのだ。

 腹八分目にペロリと平らげて、残ったワインを頭上の桜を愛でつつ味わう。
 グラスに彼がワインを注いでくれて。周りの桜に調和する薄紅色に、なんとも言えず、幸せな気分になる。たぶん、その時点で酔っていた。
 車の彼がミネラルウォーターなのが申し訳ないな、と言うと。
 私はこちらで結構ですよ、と唇についた滴を舐め取られた。
 意識せず、深くなる口づけ。
 唇を交わすたびに漏れる吐息が熱く、身体を痺れさせる。
 いつの間にかはだけられた胸元に、付けられた印は降ってくる花弁より紅く。

 彼の肩越しに見えた、闇夜に浮かぶ桜に酔う――。



end.
('10/04/15 メルマガ小話)
 

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