トリハナニイロ

□とある日常
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 我が演劇部の活動は、まず発声練習から始まる。
 顧問の私としては、運動してからの方が声はよく出ると思っているのだけれど、ジョギングからストレッチをして発声、となると時間を取りすぎるのが難。
 ……部員たちにも「運動部に入った覚えはない!」って拒否されるしね。
 運動しなさい、若者よ。

 腕を伸ばしたり腰を回したりって程度の軽いストレッチだけして、単一音の発声、「あめんぼあかいな」から始まる北原白秋の五十音をワンセット、無作為に選んだセリフを読み上げたり。
 舞台の予定があれば、そのまま練習に移って。何もないときは、適当な脚本を選び、割り当てて読み合わせ。
 舞台の映像を観て、意見を交わしたりもする。

 いろいろと拙かった新入部員が、部活に慣れた頃。
 夏前にある学園祭の舞台へ向けて私たちは話し合っていた。

「できればちょい役でもみんなに舞台を踏んでほしいけれど、人数が多い脚本ってあったかしら」
「夏の夜の夢とか?」
「多すぎるっしょ」
「わかりやすいのがいいよねー」
「そういえばさ、理事長殿下、学校に来ないね。代理の人はよく見るけど」
「ねえ、茅乃ちゃん?」
「海外ホテル事業の計画が大詰めになっているから、暫くは顔を出せないって言っ……」

 演目プログラムに気を取られていた私は、ついうっかり部員たちの会話に何も考えず答えてしまい――ハッと口を閉ざした。
 演劇部古参の三人娘がにやにやにやと含みのある笑みを顔に張り付けて、私に流し目をくれる。
 くっ……!

「な〜んだしっかり連絡取ってるんじゃ〜ん」
「ねえ? 会ってないみたいだから心配してたんだよ〜」
「ただでさえ殿下忙しいしさぁ。茅乃ちゃんが飽きられちゃったらどうしようとか〜」
「なんの話だかわからないわね! さっ、みんなちゃんと演目考えて頂戴!」

 強引に話をもとの流れに戻そうとするものの、新入部員たちが「理事長と茅乃先生ってそうなんですか〜?」などと嬉々として食いついてくる。

「そうなんだよ、本人たちは隠してるつもりでバレバレだという」
「理事長殿下のラブ☆ビームがすっごいわかりやすいのー」
「あ、でもイロイロとうるさいのもいるから、バレバレでも表向きは秘密ってことでみんな了解してね!」
「はぁーい!」

 好き勝手言っている上の命に、そろった返事を返す下の子たちにガクリと項垂れる。
 ……私の言うこともそれくらいよいこで答えてもらいたいものだわ。


 部活で気力を消耗しきった私はフラフラと覚束ない足取りで英科準備室へ向かっていた。
 もうとっとと帰って今日は寝る。奴の定期連絡など知ったことか。電源も切っておいてやる。

「茅乃さん」

 だいたい、あの人自分の立場ってものをわかってないにも程があるのよ。関係がバレたら不味いのは私だけじゃなく自分もだっていうのに、権力でどうにかなると思ってるのも大概に、

「茅乃さん?」

 あら嫌な空耳……

「無視しないでください茅乃さん」
「ギャー!!!」

 いるはずのない顔に背後から覗き込まれて飛び上がる。なんか前にも似たようなことなかったか。
 そんなに驚かなくても、と眉を下げて佇む人は、確かに暁臣くんで。

「なんでいるのっ」

 確か昨日の電話の時点ではまだ向こうだったわよね!

「禁断症状が出そうだったので」

 は? なんの禁断……
 訊き返す前に、スーツの腕に抱き込まれる。
 ちょ、この、なにやってるのお馬鹿!
 ぎゅううううと尋常ではない力で締められて呻く。

 って、今なんか「キャー」とか聞こえなかったか! 廊下を走り去る音が聞こえませんでしたか!

「気のせいです」
「気のっ、せいじゃないいい!」

 ただでさえさっきあんなこと言われたばかりなのに、このお馬鹿お馬鹿!
 自由になる爪先を動かして、お馬鹿の足を踏む。

「……茅乃さん」
「恨めしそうに見ないの! ……んんっ、TPOを弁えてください、理・事・長!」

 うっかりプライベートな受け答えをしそうになり、咳払いして言葉遣いを直す。
 というか学校では名前で呼ばないで欲しいのよ。油断しちゃうから。

「……では、TPOを気にしないでも良いところに行きましょう。時間がないんです」

 言ったかと思うと、ぐいぐいと腕を引かれて教員通用口へ――

「時間がないって何ですか、って荷物!」
「折り返して戻らないといけないので、三時間しかないんです。荷物なら」

 アレに。と暁臣くんが視線を向けたそこには、何故かしっかり私の荷物を腕にした彼の秘書の姿が。
『すみません付き合ってさしあげてください』という悟りきったような秘書さんのアイコンタクトに、目眩がした。

 主従そろっていい加減にしろというのよ。
 まったくもう、と改めて暁臣くんを見上げると、いつも秀麗な目元も肌も、艶なく疲れている様子が見てとれた。
 ……本当にお馬鹿なんだから。

 仕方ないから抱き枕くらいの役割は果たしてあげましょうか。
 どこか切羽詰まったように腕を引っぱる彼に従って、車に乗り込む。
 触れてこようとする暁臣くんの手を叩いてしばしのお預けをくらわせた私は、ふと視界に入ったモノに愕然とした。

 ――車窓の外、校舎の影からサムズアップする教え子たちの満面の笑みが――あ、ああああああ!!

 座席にグッタリと身を預けた私は、明日は一身上の都合で部活を休みにしようか真剣に悩んだのだった。


おわる
 

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