「G」 chronicle

□求ム者
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諧史“我来也”



 その頃、臨安中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするかのように、怪人「我来也」の噂をしていました。
 「我来也」というのは、毎日毎日繁華の人々の噂を賑わしている、奇怪な盗賊の渾名です。その賊は人家に忍び込み金品を盗み出し、必ずその門や壁に白粉で「我来也(我、来たるなり)」の三字を題して去るのです。その賊は二十の全く違った顔を持っているだとか、その姿を消せるだとか、何人もの賊が作り出した集団だとかいわれていました。つまりその正体の見当が甚だつかないのです。
 盛んに行われる賊に対し、役人は賊の逮捕につとめていましたが、その厳重な警備や捕物でも、我来也は毎日のように盗みを働き、あの言葉を書き残していくのでした。
 ただ、せめてもの仕合せは、この盗賊は、宝石だとか、金銀の器だとか、美しくて珍しくて、非常に高価な品物を盗むばかりで、現金にはあまり興味を持たないようですし、それに、人を傷つけたり殺したりする、残酷な振舞は、一度もしたことがありません。血が嫌いなのです。
 併し、いくら血が嫌いだからといって、悪いことをする奴のことですから、自分の身が危いとなれば、それを逃れる為には、何をするか分かったものではありません。臨安中の人が、「我来也」の噂ばかりしているというのも、実は怖くて仕方がないからです。
 殊に、宋に幾つという貴重な品物を持っている富豪などは、震え上がって怖がっていました。今までの様子を見ますと、いくら逮捕の役人へ頼んでも、防ぎようのない、恐しい賊なのですから。
 そんなある日、賊を捕らえられたという噂が都に広まりました。どうやら、彼を牽いてきて、これがすなわち我来也であると申し立てた逮捕の役人自身が、自慢とばかりに流したものらしいのです。
 併し、そう簡単にこの事件は終わりませんでした。すぐに賊は獄屋へ送られて鞠問されたのですが、彼は我来也ではないと言い張るのです。なにぶんにも証拠とすべき贓品がないので、容易に判決をくだすことが出来ないのです。
 そうしている間に、彼は獄卒に囁くのでした。

「わたしは盗賊には相違ないが、決して我来也ではありません。しかしこうなったら逃がれる道はないと覚悟していますから、まあいたわっておくんなさい。そこで、わたしは白金そくばくを宝叔塔の何階目に隠してありますから、お前さん、取ってお出でなさい」

 しかし塔の上には昇り降りの人が多いので、そこに金を隠してあるなどは疑わしいのです。
 こいつ、おれを担ぐのではないかと獄卒が思っていると、彼はまた言った。

「疑わずに行ってごらんなさい。こちらに何かの仏事があるとかいって、お燈籠に灯を入れて、ひと晩廻り廻っているうちに、うまく取り出して来ればいいのです」

 獄卒はその通りにやってみると、果たして金を見いだしたので、大喜びで帰って来て、あくる朝はひそかに酒と肉とを獄内へ差し入れてやりました。それから数日の後、彼はまた言いました。

「わたしはいろいろの道具を瓶に入れて、侍郎橋の水のなかに隠してあります」
「だが、あすこは人足の絶えないところだ。どうも取り出すに困る」

 獄卒が言いますと、彼は口元を歪めて答えました。

「それはこうするのです。お前さんの家の人が竹籃に着物をたくさん詰め込んで行って、橋の下で洗濯をするのです。そうして往来のすきをみて、その瓶を籃に入れて、上から洗濯物をかぶせて帰るのです」

 獄卒は又その通りにすると、果たして種々の高価の品を見つけ出しました。
 彼はいよいよ喜んで獄内へ酒を贈りました。すると、ある夜の午後十一時に達する頃、賊は又もや獄卒にささやいたのです。

「わたしは表へちょっと出たいのですが……。午前一時から三時までには必ず帰ります」
「いけない」

 獄卒もさすがに拒絶しました。

「いえ、決してお前さんに迷惑はかけません。万一わたしが帰って来なければ、お前さんは囚人を取り逃がしたというので流罪になるかも知れませんが、これまで私のあげた物で不自由なしに暮らして行かれる筈です。もし私の頼みをきいてくれなければ、その以上に後悔することが出来るかも知れませんよ」

 このあいだからの一件を、こいつの口からべらべら喋べられては大変です。
 獄卒も今さら途方にくれて、よんどころなく彼を出してやりましたが、どうなることかと案じていると、やがてのきの瓦を踏む音がして、彼は家根から飛び下りて来たので、獄卒は先ずほっとして、ふたたび彼に手枷足枷をかけて獄屋のなかに押し込んで置きました。
 夜が明けると、昨夜零時頃、張府に盗賊が忍び入って財物をぬすみ、府門に「我来也」と書いて行ったという報告がありました。

「あぶなくこの裁判を誤まるところであった。彼が白状しないのも無理はない。我来也はほかにあるのだ」

 役人は言いました。
 その後、我来也の疑いを受けた賊は、叩きの刑を受けて境外へ追放されました。
 獄卒が我が家へ帰ると、妻は言いました。

「ゆうべ夜中に門を叩く者があるので、あなたが帰ったのかと思って門をあけると、一人の男が、二つの布ぶくろをほうり込んで行きましたよ」

 そのふくろをあけて見ると、沢山の金銀の器と邪気払いの人形が入っていました。
 獄卒はすぐに賊が張府で盗んだ品を贈ったのだとわかりました。
 趙尚書は明察の人物でありましたが、遂に我来也の奸計をさとらなかったのです。
 獄卒はやがて役をやめ、故郷の高麗でふところ手で一生を安楽に暮らしました。
 しかし、彼の没後、せがれは家産を守ることが出来ず、人形を残して全てを使い果たしてしまいました。

「今は谷にいても、この人形が必ず再興へ導いてくれる」

 せがれが他人に洩らしたことで、初めてこの秘密が世に知られることとなりました。


(F.I訳)

脚注:一説には、高麗王朝末期に出現されたとされるプルガサリ為る怪物が其の人形であると云われている。
 尚、推察される当該の時代は12世紀、高麗王朝滅亡が14世紀末である。
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