「G」 chronicle

□余談集
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ある立ち食い蕎麦屋にて


 昼食を如何なるメニューにして如何ほど食するか。それは古今東西すべての勤労者が共有する悩みであると断言していいだろう。食べ過ぎては午後の仕事に支障を及ぼすし、だからと言って少なくすると終業前に空腹感との戦いが始まってしまう。客との会談を予定している営業マンは臭いを気にしなければならないし、身だしなみにも注意を払う必要がある。そして大多数の人間は財布の中身ともミーティングしてその日の予算を策定するのだ。
 爾落人であり、現在刑事として働いている瀬上浩介も例外ではなかった。十二時を大きく回った頃にデスクワークを一段落させ、桜田門の本庁舎を出て外の空気を吸い込む。今日はどうしようかと考えて十秒。足を内幸町方面へと向けた。正直、腹は減っている。だがあまり食事に時間をかけられない。そういう時は立ち食いそばで簡単に済ませるに限る。トッピングをどうしようかと考えるのと並行して、瀬上は今関わっている案件について考えを巡らせた。
 この一か月の間に起きたことは、泥棒と警官の二足の草鞋に限界を見るには十分すぎた。公安部から流れてきた風の噂によると、世界的テロ組織である『GROW』が「G」であると疑われている物品を中東の王政国家に持ち込んだという。その国家とはクレプラキスタン。瀬上が前々から目を付けていた物品であるブルーストーンを王家の宝として保有している国である。瀬上はその情報の真偽を表裏両面のルートから探って確かめ、そして肩を落とした。一人で片づけるには面倒と言う他ない。ブルーストーンの力がああいう力であるとするならば、最悪の場合瀬上一人ではどうにもならない可能性すらあった。
 いっそ「G」ハンターとして大々的な犯行予告でもふっかけてみるか。そうすればインターポールが各国の凄腕を派遣してくれる。その中には自分と同じように爾落人がいるかもしれない。そうなれば共闘する戦力としては心強いだろう。
 そこまで考えたところで瀬上はそば屋に到着した。昼時の行列は落ち着いていて、券売機待ちの先客は三名だった。十分少々で出られるだろうかと思っていると、最後尾の人間が見知った顔であることに気が付いた。

「汐見」

 自らの本性を押し殺しながら、瀬上は別人になったつもりで汐見に声をかけた。

「おう瀬上か。珍しいところで会うな」
「お互い様だな」

 軽く挨拶を交わしたところで券売機が空き、まずは汐見が券を購入する。天玉そばにちくわとコロッケを追加し、ネギ多めも買い足す。随分と仰々しい注文だ。それだけ頼んでは味が濁って何を喰っているのかが分からなくなるだろう。瀬上の冷ややかな視線を感じているか否か。汐見は慣れた所作で食券を提供口に差し出した。
 対する瀬上はシンプルイズベスト。かけそば三百円。かれこれ五百年近い歴史を持つ日本そばの発展を瀬上は小刻みに直視してきたが、自分に一番合う食べ方は温冷共に具も薬味も加えないものだった。券を出すときにも「ネギ抜き」と一言添える。
 提供口でそばを受け取り、背後のカウンターに盆を置く。箸を割ってさあというタイミングで、真横から汐見が茶々を入れてきた。

「おいおい。なんだその貧相なそばは」
「ん?」
「そんなんで午後の勤務を戦え抜けるのか? ガツンと喰って英気を養わんでどうする」
「昔から俺はこの喰い方だ」
「七味すら無しで?」
「雑味がなくて良い」
「貧弱だなぁ。それにもったいない。これだけのボリュームの飯を短時間で提供してくれる店が他にあるか?」

 確かに、ミックスフライ定食のようなメニューを丼一つに集約したうえで三十秒足らずで客に出せる業態はこれを置いて他に無いだろう。しかしこれは白飯を食らうという話ではない。あくまでメインはそばだ。そばの味を食感を蔑ろにしてどうするというのだ。濁っているのは汐見の丼の味だけではない。汐見自身の舌と感性もだ。でなければ、かけそばに文句を挟んでくる事などあろうはずがない。

「まったく。他の人間が喰うそばをけなすとは。汐見。お前には心の余裕が欠如していると見るが」
「そりゃ俺のセリフだ。俺の経験上、立ち食いそばに具を乗っけられない奴には二種類存在する。一つは経済的余裕が無い奴。もう一つは時間的余裕がない奴。お前は後者だ」
「ならばもうひと種類付け加えておけ。あえて拘っている人間だ」
「冗談よせ瀬上。立ち食いそばとは日本特有のファストフード。そこでしか味わえない魅惑の味を楽しまなくてどうする」
「魅惑だって?」
「ああ、そうだ。例えばかきあげ。お世辞にも美味とは言い難い作り置きのかき揚げだ。そのまま食べようとすれば、冷えて酸化した油が胃をもたれさせるだけだが、あったかくて甘じょっぱいつゆに浸すとその心配はいらなくなる。むしろかき揚げのタネがつゆを吸って温かみを取り戻し、一度揚げられた時の香ばしさが蘇って食欲を増進させるんだ。そのかき揚げを箸ですくい上げ、吸われたつゆ諸共すすって飲むようにして食する。こんなの、職人が作る衣控えめの美味いかき揚げではまずできない」

 当然、瀬上も試したことがある。結果、やはり油が合わずにリタイアした。かき揚げと穴子天は二大地雷だ。

「同じようなことはコロッケでも言えるが、すこし違う。まずコロッケの衣。これは揚げられたパン粉のサクサク感が損なわれない程度につゆを吸わせる。そして一口さくりと食べた後は、中のジャガイモにつゆを吸わせるようにしてもう一度浸す。それをすくい上げて食べると、ジャガイモの甘味とつゆの味が見事に調和して味蕾をくすぐってくる。舌を刺激するのは味だけじゃない。ジャガイモの食感・舌触りにつゆを吸ったことで滑らかさが加わって、それは快感さえ与えてくる」

 だが粗末なコロッケでやると、ジャガイモが早々につゆの中に溶けてしまう。残るのは身を失った衣だけとなり、それだけ食しても決して美味とはならない。

「ちくわは俺に言わせれば必要不可欠なアクセントだ。サクサクとした揚げ物たちと、ぷつぷつと嚙み切れる麺。これらの合間にプリプリ感が挟まることで歯が常に新鮮な刺激を感じることができて、よりこの一杯が豊かなものになるんだ」

 ちくわの穴の中に入った天ぷらの衣の重さが勝って、これは穴子天の次に注意すべきである。

「で、ここまでが実は前菜だ。主役は極力つゆに浸さずに残しておいたネギだ。揚げ物たちの油が下地となって、ネギが持つ脳にまで利きそうな辛さをより引き出して、ネギ自身が持つうま味を昇華させる。そりゃもう快感の域だな」

 ネギこそ一番の害悪だ。そばと出汁の繊細な味わいを根こそぎ破壊しつくす。

「この巡り巡る味と食感の変化をひとまとめに包み込んで一杯の丼としてつなぎとめる卵の役割も決して軽視できない。揚げ物の刺激に負けそうになる麺に絡みついて加勢し、コクを与える。この役割はとろろでも担えるけど、手軽さでいえば卵の右に出る者は誰一人としていない。とまあ、まるで協奏曲かの如き味の楽曲が奏でられる。この素晴らしさを己の信条一つで根こそぎ否定しようかというお前の感性は実に信じがたいな」
「その言葉、一字一句変えずにそのまま返そう」

 汐見が何と言おうと、こちらには五百年の経験に裏付けされた信念がある。それを五十年も生きていない若造が変えようなどとは滑稽千万。

「かけそばはつゆの味とそばの味と食感。そしてのど越しに感覚の全てを集約させて味わう。そこに潜む旨味を感じてこそのそばだろう。主役はそば。その魅力を引き立て、飾り立てる役目は出汁やつゆに全てが集約されている。他には何もいらん」
「食材と食材の調和を楽しめないとは寂しい感性だな」
「ならば聞くぞ汐見。お前のその丼の主役は何だ」
「あ? そばに決まってるだろ」
「噓を言うな。お前はたった今ネギだと言い放ったじゃないか。お前の具に関する講釈の中にそばは何回出てきた? 麺が揚げ物の刺激に負けていると認めていたじゃないか。お前はそばをおまけとして見ている。定食の白飯程度の存在であるとしか見ていないんだ」
「おい瀬上。それは聞き捨てならないぞ。定食は飯、おかず、汁物。この三者が揃わなければ魅力も何もあったものじゃなくなる。白飯はおまけなんかじゃない。主演の一人だ」
「そばもその通りだ。軽視すべき対象ではない」
「だがな、白飯一つで戦える場面には限界がある。そこにおかずと漬物。汁物が加わることで定食という大きな力となる。俺のこのそばと同じだ」
「そばを軽視したお前が言っていい事じゃないな」
「それは、お前が天玉そばを否定したからだろ」
「先にかけそばを否定した自分の非を棚に上げるかお前は」
「今時そんな喰い方をする奴が珍しいんだ」

 互いに一歩も譲らない平行線。どうやら屈服させるのは不可能らしい。瀬上は汐見から目を離し、そばが伸びないうちに一気に麺をすすり上げた。
 表向きでは同期の若手有望株同士の付き合いとなるが、瀬上は汐見を実に面倒な男であるとみていた。一般の事件だけではなく「G」関連の事件も複数解決に導いている。近々警部に昇進する予定まで出ているらしい。数年前まで存在していた特捜課に類する部署が再発足すれば、間違いなく汐見も加わるだろう。「G」ハンターとの直接対決も避けられなくなる。その内、あの人のように瀬上の犯行を見抜いて立ちはだかる可能性もゼロではない。
 そのように想定される将来を思い描いて一喜一憂しなければならないのも、警官としての日常があるからだろう。だとしたら、やはり潮時なのだ。
 そして、瀬上の中で線が一本つながった。

「なあ汐見」
「ん?」
「三月の事件の時、○○駅近くの雑居ビルに行っただろ?」

 汐見の箸が止まった。

「見たのか」
「たまたま、な。駅近くでお前を見かけたので、飯でもどうかと思って後を追った。そしたらあのビルに、な」
「……誰かに言ったか。その事」
「刑事にとって情報屋は運命共同体。その素性をみだりに明かすべからずという心得は持っているつもりだ。しかし、まさか能力者とはな」
「……望みはなんだ。言っておくが、かけそば派に鞍替えはしない」

 流石は敏腕刑事。瀬上がその話を持ち出しだ意図に感づいたようだ。汐見が接触していた何者かについて下調べしておいた成果はあったようだ。しかしこの期に及んでかけそば云々を口にするとは。

「俺にも紹介して貰いたい。力を借りたいと思っている」
「それって、例の国際手配されているっていう?」
「ああそうだ」

 草鞋を一足脱ぎ捨て、クレプラキスタンのブルーストーンと「G」cellの問題を一挙に解決する妙案だった。
 転移の能力者、北条翔子。そして結界の爾落人、四ノ宮世莉。その二人とならば。

<了>  モンスターF
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