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□やくそく
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菜々の容態が急変したという報せを受けたのは、日付が変わってすぐのことだった。

寒いのにジャケットも羽織らず慌てて駈け出す。
そう遠くはない、着いた菜々の入院先の暗い廊下をひた走る。

非常口を示す緑のランプだとか、非常ベルの赤い光だとかがぼうっと浮かび上がって、その妙な静けさにまた気が急ぐ。


毎日通いつめる菜々の病室、階段を登って突き当たりから3つ手前を目指して、2段飛ばしで駆け上がる。



「想太くん!」



「っ!!!おじさん!!菜々は!?」



「娘なら集中治療室だ、こっち!」



しんとした病棟に足音が響く。
祈るように両手を組んだおばさんが、ソファに腰掛けていた。
俺の姿を見つけて、顔をあげる。

ごめんなさい夜遅くに連絡して、だなんて、逆に連絡してくれたことに感謝しているのに。

菜々のお父さんもお母さんも、俺のことを気に掛けてくれているのが嬉しくて、何て良いご両親だろうと思った。




7年前、俺はまだ学生で。

暗くて静かな廊下の前で、おばさんの鼻を啜る音とか煩い心臓の音だけがやけに現実味を帯びていたのを今でも覚えている。




集中治療室の中から、担当の医師と数人の看護師が出てきた。
暗い顔をあげて、会ってあげて下さいなんて。

頭から血の気が引いていく感じがした。

いち早く駆け込んで菜々の名前を呼ぶ、おじさんとおばさん。



「……そ、うた……」



「!」



呼吸器を通して、菜々が俺を呼んだ。
おじさんの横に並んで、
痛々しい彼女の手を握り締めて、返事をする。

自分のくぐもった鼻声に、少し驚いた。
泣くまいと決めていたのに。

最期まで俺は、菜々を安心させてやれない。



「ごめ、んね……」



「っなんで――」



「かなしい思い、させちゃうね……つらい、よね、ごめんね……」


規則的な機械的な呼吸音、それに交じって、彼女はごめんねと。
菜々が謝る必要性なんて、どこにもないのに。



「――んで、笑って、られるの」



「わたし、こわくないよ?」



"そうたせんせい"が、治してくれるんでしょ?


それは、俺の夢だった。
医者になりたい、そんな気持ちを菜々が一番理解してくれた。


何度も言った、菜々の病室で、俺が菜々を治すよって。


それまで元気でいてねって、
約束。

絶対治してあげるからって、
約束。


死ぬことが恐くない19歳がどこにいるんだ。
菜々だって本当は恐いはずだ。
なのに、わらっている。

これは、俺のための笑顔だった。



「……菜々っ……!」



「やく、そく、まもってもらうんだから、ね?」



きゅっと、力なんて入らない彼女の小さな手が、俺の手を握り返してくる。
精一杯、答えてくれている。


彼女はもう、全て分かっているのに。あと数分の命、最善を尽くしたけれど、だめだったから今こうして2人は手を握り合って。


今更、やくそくなんて。
君に、その約束は、守れないんだろう?



「あたし……想太が、すき」



「俺だって菜々が好きだ……!」



「だめ、だよ」



今度は、切なそうな笑顔。



「想太は、これからいっぱい恋をして……幸せに、なってほしいの……ちゃんと誰かを好きになっ」



「ならない!」



「……だめ、だよ」



なるもんか、だって俺は菜々が好きなんだ。


小さなその手に一層力を込めて、一生離さないぞって、誓う。
何に誓うのかなんてわからない、神がいるなら神に誓う。
けど、こんな 菜々を助けてくれなかった神を、きっと俺は恨むと思う。


彼女の存在が、今この瞬間にも消えようとしている。


すきだ、すきだ、あいしてる、
何回言っただろうか。



「笑うなよ、そんな、無理して」



「っ……むり、してなんか」



「本当の気持ち、隠さないで」



「……っあた、しっ……まだ、」



まだ死にたくないよ、消え入りそうな声。

薄く開いた目元に光る、涙。



「まだいっしょにいたいっ……」



ざーっと、呼吸音が鳴る。



「他の子の、隣で、しあわせにならないで……!あたしと、しあわせになってよ……!想太に治してもらうんだからっ」



「菜々……!」



「やくそく、守れなっ……ごめん、ね……」



俺が医者になるまで、元気でいるっていう約束。

医者になったら、菜々を病気から救うっていう約束。


2人してそれを破って、あとには何が残っただろうか。



菜々専用のPHSには、今もまだ菜々の名前が刻まれている。
菜々が持っていた、俺専用のPHSにも、同じように俺の名前。
7年前の日付のまま、着信履歴も発信履歴も何もかも。
一様に菜々の存在が残っている。
写真もプレゼントも、1つ1つに思い出せる記憶がある。
誰かを思う気持ちは、時間と共に風化されるなんて。

そんなの嘘だ。







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