04/13の日記

00:12
全サ後編感想その2
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そんなわけでメモその2です。
なんか我ながらわけのわからないことをつらつらくっちゃべってるだけなので、また訂正などするかもしれません。

本日までに拍手くださった皆様、ありがとうございました。









・鬼眼さんの永遠@


読み終わってすぐに思い浮かんだのが、チャゲアスの名曲『YAH YAH YAH』の一節でした。
今からそいつをこれからそいつを殴りに行こうかと!!
お前さっさと腹ぁ括れよと!!
いや腹括った結果が道の途中なんだろうけど!
3年も遠回りしてまだ足りないのかよ、ゆやさんの時間はもう50年あるかどうかもわからないんだよと!!



……ってか本編で殆ど触れずに最後の最後で卑怯だろこれ……。
触れてほしいとは思っていたけど、こんな形でくるのは卑怯だろこれ……。
どこにも行かないでねって言った奴の方が先に死ぬんですよ。
待っててくれる人がいて、帰れる家があっても、待っててくれる人どころか家の方が先になくなるんですよ。
ぶっちゃけこの『幸せなのに悲しい』『寂しいのに満たされてる』っていう矛盾した気持ちが、長命人外×人間というCPの魅力のひとつだとは思うけど。

どうせならもうちょっとだけ踏み込んでほしかったなーと……。


……そんな感じでorz
(前半後半のテンションよorz)


いや、前に自分で出した答え、『多分何があっても大丈夫で、何があっても幸せでいてくれる』っていうのがあるからだと思うんです。
そう信じたいです。
その長い長い時間の中で、どんな嫌なことがあっても、どんな酷い目にあっても、皆と、ゆやさんと過ごしたほんの数十年の記憶が、鬼眼さんに先代と同じ道を歩ませたりしないんだろうって。

でもそういうの踏まえると、この人は本当の本心からゆやさんに幸せになってほしかったんだろうなとか思うんです。
自分の知らない所で、自分の知らない奴と一緒になって、子宝に恵まれて平和に一生を終えるっていう。
ゆやさんの子々孫々、その血筋が世界のどこかにあるって思えば、世界や人間を好き勝手しようっていう気持ちにはならない。
そういうストッパーにもなるだろうし。

で、その血筋の中に自分の血はいらないんですよ。たぶん。
その子供にもその周りにも余計な苦労かけるだけだろうし。
ゴジラパロで書いたけど、別の争いの火種になるだけだろうし。

ふらふらしてるのもゆやさんと一緒にいないのも、なんだかんだ悩んで、苦しんでいるからなんだろうかって。
大丈夫なんだけど、でも泣きたくなるような気持ちがあったりするんだろうなって。
うーん……。



・鬼眼さんの永遠A


TOPページでもぼやいたけど、なんとなく都市伝説のスナフキン化しそうだなーと。
遠い遠い未来まで生き延びて、人類の墓守やりそう。


文明の痕跡さえ残っていないような荒涼とした大地、老いつつある太陽の下で、いつかの鮮やかな色彩を思い出したりするんでしょうか。
もう一度『おかえりなさい!』って言ってもらえる日、
多分ゆやさんの生前にはあまり言えなかっただろう『ただいま』を伝える瞬間を待ちわびてたりするんでしょうか。
……そこまでは長生きしないだろーとも思いますが、なんか別館ジャンルの宇宙出身連中がン万歳の宝庫なので、長命キャラクターの寿命の感覚がおかしくなってる自覚はありますorz
1000年くらいでも、正直短いほうだと思うんだ……。



……もしかして真壬生って、簡単に死ねないから、本能的に自分たちで殺し合って寿命や人口の調節をしてたのかなぁ。
快楽とかそういうのに隠された、遺伝子に刻まれた何かなのかなぁ。
先代の暴走は、鬼眼さんに安息の地(死)を与えてやりたかったのが始まりだったのかなぁ。

……などなど、連載終って何年も経つのに、斯様に妄想が広がっている次第であります。

っていうか今ちょっと色んなジャンルの最後の希望連中が幸せになる方法を、一生懸命考えてるんですがorz
素直に幸せになってくれない人ばっかりだorz



すいませんちょっとごちゃごちゃもやもやしてます。

うん、やっぱりおかわり!!(蹴

 

 

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