書架 6

□怨霊になった天皇
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「史上最恐の大魔王」と恐れられた天皇がいた。ゆえに歴代天皇は民を守るため、祈りをささげてきた。
怨霊になった天皇4人、皇族7人…旧皇族が語る「天皇の怨霊史」。
(「BOOK」データベースより)

〈竹田恒泰〉昭和50年旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。


私の卒論のテーマは源氏物語(紫の上の婚姻)だったんだけど、卒論ゼミの担当教授の専門は今昔物語……
しかも、鬼とか物の怪が専門だったのよね(笑)
教授自身も神社の神主の息子だったし、講義は本当に面白かった。
そして、一番楽しかったのがゼミ旅行。平安文学ゼミなので、行き先は京都!
鬼やら物の怪を研究している教授らしく、当然そういう謂れのある寺社に行くのよねぇ。
崇道神社、愛宕山、御霊神社、貴船神社とか。

というわけで、なんとなく物の怪とか鬼とか怨霊とか陰陽道とかが結構好きな私(笑)
平安オタクだな、これは。

そして、怨霊の中でも、最も恐れられた怨霊、大魔王とも称された最恐の天皇が、この本でも取り上げられている崇徳天皇(上皇)。

この崇徳天皇(上皇)、本当に悲しい境遇なんだよね。
父である鳥羽天皇には、幼少期から疎んじられ、皇位継承における政争にも敗れ、落飾したのにも関わらず流罪にされてしまう。
流罪先では心穏やかに仏道に帰依して、五部大乗経を京の寺に奉納して欲しいと頼んだのに、
「呪詛が込められている」という疑いを掛けられ、流罪先の讃岐に送り返されてしまう。そして、失意のうちに崩御。

不幸だ、不幸すぎる…。
もう、これは祟るでしょ、成仏なんて出来ないよ。

そして、案の定、その後、崇徳天皇を陥れた人々が次から次へ不慮の死を遂げたり、宮中で大火事が起こり死傷者が出たり、各地で叛乱が起こって、
崇徳天皇の怨霊によるものだということになり、天皇家を呪詛する怨霊を鎮めるという役割を歴代の天皇が担い、それが現代の天皇まで続いているという。

生きている間は、政敵に苦しめられ続け、亡くなっても人々に恐れられ、怨霊として祀られているなんて、悲しすぎるよねぇ。

ちなみに、崇徳天皇は、あの有名な和歌を詠んだ天皇。
「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」

こんな素敵な歌を詠んだ天皇がこんな不幸な人生だなんて……。
悲しいけれど、昔の人々に「怨霊」になったと信じられた天皇や皇族がいるのは事実。

この本、後半だけは、ちょっとオカルトっぽいので、受け付けない人がいるかも。
っていうか、そもそも「怨霊」って時点で受け付けない人がいるかも(笑)
でも、正史じゃわからない、王家と国民の関係や日本独特の考え方がわかる「天皇家の怨霊史」は興味深かった。


2009.4.11

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