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□Stand by
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ある日の夕刻。
翼のマンションの部屋で、永田が翼に紅茶を出したところで、彼の胸ポケットに納まっていた携帯がバイブで振動し、着信を伝える。
「失礼します」
と翼に断り電話に出る。
着信表示された名前は翼の父親、真壁財閥会長からだった。
「翼様、申し訳ありません。会長からお呼びがかかりました。行かなくては」
永田が事務的にそう伝えると、翼は瞬時に顔を歪めた。
「お前は俺よりアイツを優先するというのか…?」
チッと言う舌打ちとともに、威圧感のある視線を翼は寄越す。
しかし、永田はそれに屈するでもなく、ただ動じずに答えた。
「いえ。そのようなことは」
「なら、ここにいろ」
即座にそう言われ、永田は小さくため息を漏らした。
「翼様。あなたは次期、真壁財閥の頂点に立つお方です。いつまでもそのようなことでは困ります」
苦言を呈するのも秘書としての務めだと、永田は常々思っている。
だからついこういうセリフを言ってしまうわけだが、翼にしてみれば面白くない答えな上、聞き飽きたセリフだ。
「お前はいつもそれだな」
肩を竦める翼に永田は苦笑して答えた。
「秘書ですので」
翼は少し沈黙した。
そして自嘲的な笑みを浮かべ、言った。
「俺の我が儘に付き合っているのも、仕事だからな」
「そうです」
永田は、何の躊躇もなくそう返した。
「………」
翼は、やはりな、という表情で黙り込む。
そんな翼の横顔をちら、と見て永田はこう付け足した。
「しかしながら…私はあなたでなければ仕える気はありませんから」
驚いた顔で翼が顔を上げる。
そうして。
永田と目が合うと、罰が悪そうに視線を逸らす。
それでもう翼の機嫌が直ったことを察すると永田は微笑を浮かべた。
「20分で戻ります」
「15分だ。それ以上待てん」
これくらいの我が儘なら、許容範囲だ、と思う自分は甘いのだろうか、と永田はふと自問した。
「永田。俺もお前でなければ側に置こうとは思わんからな…」
くしゃ、と自分の髪に触れながら翼は酷く言いづらそうにそう伝えた。
不器用で警戒心の強い彼の、やっとの思いで口にした本音。
永田は不謹慎ながら、口許が緩むのを抑えられずにいた。
「それはもう。重々、承知しておりますが?」
幾分、からかい口調になってしまったのは否定できない。
永田のそんな態度に翼は、またしても舌打ちした。
ただし、今度のは照れ隠し以外の何者でもないけれど。
「…っ! もういい。早く行け」
永田は静かに笑みを浮かべてコートを羽織る。
そうして素早く翼の部屋をあとにする。
マンションのエントランスで永田はふと足を止めた。
最上階の翼の部屋を仰ぎ見る。
母親を亡くして、父親とも折り合いが悪い翼が、常に闇のような孤独を抱えていることを永田は知っている。
多分、誰よりも。
だから自分だけは何があっても翼の側にいると決めていた。
「あなたは知らないかもしれませんが、
あなたは一人ではないんですよ」
その独白が翼に届くことはなかったけれど。
永田はこれからも変わらず翼の側にいるだろう。
翼の孤独が、
少しでも和らぐようにと。
そう願いながら。
了
08/2/15up