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□ひとつだけ
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学校が終わったあと校門を出ると見慣れた車が私を待っていた。
しかしこの場所に彼の車が停まることは初めてのことだった。
「珍しい。笹塚さんがこんなとこに来るなんて」
私はその車に小走りで近づいて、ウィンドーが開けられた運転席に座るその人に向かってそう言った。
「たまたま近くまで来たから。ついでに寄ってみた。家まで送るよ」
笹塚さんは、そう言うと人差し指で助手席を指し示し、乗りな。と告げる。
私は予期せぬ出来事に笑顔で返事をした。
「わ〜い。ありがとうございます!」
走ること小一時間。
ようやく異変に気づいた私は鈍感なのだろうか。
「ちょ、笹塚さん」
「なに?」
私の心底不信そうな視線にも彼は動じない。これでは私の方がなにかおかしなことを言おうとしているみたいじゃないかと不安になる。
けれど私は間違ってない。
「ウチ通り過ぎてますけど…」
「あー…うん。そーだな」
そもそも学校から家まで小一時間もかかるわけがないのだ。
しかも、しかも―。
「しかもこのままだと高速乗っちゃいますよ?」
「うん。乗るけど…」
「イヤイヤイヤ。ほら、ウチまで送ってくれるって! せめてどこ寄るとかなんかあるじゃないですか!!」
「うん…。なんかこう、どこでもないどこかに行きたいよな」
「…もういいです」
私は諦めの境地でそれだけ呟くのが精一杯だった。
男の人に振り回される運命にあるのだろうか、私。
気を取り直して、私はこっそり彼の横顔を眺めた。
いつも通りの無表情で、私には笹塚さんの考えていることはよくわからない。
ただ、不思議だった。
こうして二人でどこへ行くあてもなくドライブしていることが。
私と笹塚さんは、単なる刑事と探偵だ。
それなりに親しくしているし、いろいろ良くしてもらってもいる。
けれど、こんな風にドライブする仲ってわけでもないのに。
心地よい車の振動と、耳障りじゃないくらいのボリュームの音楽。
そして決して気まずくない沈黙の中、私は彼から視線を外し、すっかり薄闇になってきた外を眺めた。
私には、笹塚さんに話したいけど話せないことがいっぱいある。
例えば、ネウロが実は魔人です、とか。
吾代さんが元・裏家業(ヤクザ。)の人です、とか。
私、実は探偵なんかじゃないんです、とか。
聞きたくて聞けないことも、ある。
家族のこと。
X―サイ―のこと。
だけど、言えないし、聞けない。
それが時々、少しだけもどかしくて、くるしかった。
着いたのは夜の海だった。
「う、海!!意外な…。あーでも笹塚さんには夜の海のが似合うかも」
眼前に拡がる、真っ黒な海はザザーン…と静かな波音を立てていた。
真昼の太陽の下の海よりは、この方が彼には似合う。
そう思った。
ん、と頷き、彼はようやく少し笑った。
私は靴と靴下を脱いで素足で波打ち際に立って波と砂の感触を楽しむ。
そんな私を彼は眩しそうな目で見ていて、それに少しドキドキして気づかない振りをした。
久しぶりの海で、ひとしきりはしゃいだあと、私は車の横に寄りかかって煙草をふかしていた笹塚さんに尋ねる。
「今日、なんで私をこんなところに連れてきたんですか? 笹塚さん、今日は変です」
「…悪かったな。突然こんなとこまで連れてきて」
ふーっと空に向かって大きく煙を吐き出すと彼はぽそりとそう言った。
「責めてるわけじゃないですよ? ただ、どうしてかなって…」
どうしてかな。彼は私の言葉を繰り返した。
自分でもよく理解していないみたいだ。
首を傾げて少し考え込む。
それから、無感情な声で、ああ。と呟いた。
「弥子ちゃんと、少しでも長く一緒にいたかったから、」
それだけ言うと足早に車へ乗り込もうとする彼のあとを必死に追った。
「笹塚さん!!」
私は。
振り向いた彼に、背伸びして口づけをしていた。
「…弥子ちゃん?」
「はは。私も今日なんか変みたい。です」
真っ赤になってそう言うと笹塚さんはおかしそうに笑って、帰ろうか。と言った
。
突然の小旅行はこれでおしまいなのだけれど。
ひとつだけわかったことがある。
それは。
私がこの人を大好きだということだ。
了
2008.8.8up