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□それじゃあ、バイバイ。
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「あ。早坂さん」


弥子がその長身の男を見かけて、そう小さく呟くと彼はぐるりと振り向いた。

足元が見えないくらい薄暗い店内のバー。
そのカウンターで一人、酒を舐めるように飲んでいたのは早坂幸宣だった。

彼はちらりと弥子を振り返り、その姿を上から下まで見遣ると、口の端を上げて言う。

「また探偵ごっこか?」
「………」

弥子は、”謎”がありそうな場所を調査しにきていた。
だから彼の言うことは当らずとも遠からず。
とは言え、その皮肉な言い方に内心むっとしながら、ただじっと目の前の男に視線を向けるに留めた。

「女の真剣な顔っていいよなァ」

弥子の心中を知ってか知らずか、投げつけられたのは、再び揶揄するような言葉だった。
弥子は小さく息をつく。

「からかわないでください」
「…別にからかってないぜ?」

手に持ったグラスを傾け、氷をカラカラと鳴らすと早坂は愉しそうに笑う。


「…そっちこそ、相変わらず危ない商売やってる癖に」


彼のペースに良い様に嵌っているのが悔しくて、弥子はついそんな事を言ってしまう。
早坂は驚いたように、弥子の顔を見つめた。


「何だ? 心配してくれるわけか」
「心配? するわけないじゃないですか」

弥子が淡々と答えると、早坂は面白そうに喉を鳴らす。

「あんた、冷てぇのな」



そう非難されて、今度は弥子が笑顔になる番だった。

「だって今の早坂さん、すっごく楽しそうなんだもん」



早坂は先ほどよりも驚きを顕にした目で弥子を凝視した。
は、はは、と乾いた笑い声を立てて髪をクシャクシャと掻く。

「名探偵、と言われるだけのことはあるわけか…」



「え…?」

小さく独り言のように呟いた彼がカウンターの席を立ち、自分を抱きしめていると弥子がそう気づくまで、少々の時間を要した。

「え? うわッ!? ちょ離してくださいッ」

突然の理解不能な出来事に、弥子は思いきり目の前の男の胸を押しのけた。

一体何考えてるんですか! そう言い募ろうとした弥子は、早坂の寂しそうな視線と目が合って何も言えなくなる。

いつものように、感じの悪い笑い方で、笑っているかと思ったのだ。
何故だか罪悪感を覚える。
彼を酷く傷つけたような―。

まだ混乱している頭で弥子がそんなことを考えていると、頭上から静かな低音が響いた。

「あんたの言うとおり、確かに今は寒くない」
「寒く…?」
「孤独じゃないってコトだ。それで、」

早坂は弥子の顔に自分の顔を近づけて覗き込んだ。

「…あんたはもう誰かのモノ? 俺のモノにはならねぇの?」




「えッ?」


たっぷり10秒ほどの間を空けて、弥子は赤みがかった顔で早坂を見つめ返した。

それから困惑しきった顔で視線を外す。

「あーうーわかんない。私、そういうの疎いらしく…自分の気持ちとか、よくわかりません…」


頭を抱えて必死で、そう言葉を紡ぐ弥子に早坂は首を傾げた。
「ふぅん」



早坂はカウンターの上に酒代を放ると、弥子の脇をすり抜ける。
すり抜けざま、弥子の耳に唇を寄せ、
「ま、俺に惚れたらいつでも来いよ。待っててやるからさ。…じゃあな、桂木弥子」

それだけ言うと早坂は足早に店を後にした。

「そッそんな勝手な…!」

取り残されて、はっと我に返り、そう言うと弥子も急いで店を出る。
きょろきょろと繁華街を見渡して彼の後姿を見つけるや否や走り出していた。

「ちょっと待ってよ! 早坂さんってば!!」

ようやく声の届く距離まで来ると弥子は彼を呼び止める。
早坂は、前を向いたまま、すっと長い腕を垂直に伸ばし、それをひらひらと振った。

そのまま彼の姿は夜の街へ消えて行っても、弥子の心臓はずっとずっと、早鐘を打っていた。









2008.8.29up

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