「…遅い」

山本が浴室に行ってから、もう三十分が経つ。時間を見て山本の為にと淹れたコーヒーも、疾うに冷めてしまった。
浴槽に浸かって疲れを取っているのかと思ったが、普段行水の様な風呂の時間から考えると、いくら何でも長過ぎる。中で眠ってしまっているのだろうか。それとも傷を負っていて、一人治療しているのだろうか。まさか倒れているとか。と、色々と考えているうちに四十分、五十分と経ち、心配になった獄寺は浴室に様子を見に行こうと煙草を消してソファーから立ち上がった。

脱衣所には脱いだスーツが乱雑に置かれていて、獄寺は溜息を吐いた。これでは皺になってしまう。
あれだけ言っているのに。
そう思ったが、どちらにせよ、クリーニングに出さなければ次に使い様が無い。雨に濡れた所為もあるが、その前に、血の匂いが酷い。車中でもこの匂いに気付いたが、獄寺は何も言わなかった。恐らくは返り血。この任務中に、何人分の血を吸い込んだのだろう。
こんな物を身に纏っている山本をツナには見せられない。マフィアなのだから流血は珍しい事では無いが、先程話していた内容の事もあるし、ツナの前に出なくて本当に良かったと、今更ながらに思った。

浴室の中に目をやると、擦り硝子の向こうにぼんやりと人の形が見えた。ジャージャーと音が聞こえており、シャワーを浴びているのだと判る。だが、その人影は動かない。

「山本?」

不安になり声を掛けるが、中からの返事は無い。聞こえないのかもしれない。少し躊躇ったが、もう一度声を掛けつつ硝子を数回ノックし、ドアを開けた。

「山本?」

中には、こちらに背を向け、シャワーを頭から浴びている山本がいた。シャワーの音がするからとはいえ、今度は聞こえた筈。その前に、普通はドアが開いた事にも気付くだろう。なのに、山本は依然として未だ背中を向けた儘。

「おい山本、聞こえ…って、おい、これって」

最初は振り返らない山本に疑問を持っていた獄寺だったが、それよりもっと他に違和感を持った事があった。

浴室内に、湯気が立っていない。

「お前…って、やっぱり水じゃ…っ」

ノズルから出ていたのは、お湯ではなく、水だった。獄寺は慌てて水を止めつつ山本の様子を窺うが、山本の焦点は合っていない様子。不安になり揺すろうと腕を掴むが、瞬間、獄寺は言葉を失った。ずっと水を浴びていた所為なのか、山本の躯は氷の様に冷え切っていた。

「テメェ何考えてんだよっ」

獄寺は半分キレ気味になって怒鳴るが、それでも山本は反応を示さない。全く、と溜息を吐きつつ浴槽に栓をし、湯を注ぐ。そしてその中に山本を強引に突っ込み、頭を拳で小突いた。

「何なんだよお前、何かあったのか?」

徐々に溜まって来る湯を見つつ、浴槽に躯を埋めている山本に、獄寺はもう一度問いかけた。唇の色は未だ紫に近いが、さっきよりは体温は上がっている筈だ。少しずつ、思考も回り始めるだろう。そう思っていると、不意に山本が顔を上げた。獄寺をじっと見上げ、何か言おうと口を動かす。

「何だ?」

ダメージを受けているのだろうか。敵にやられたのだろうか。普段、苦痛を口にしないし素振りも見せない山本がこんな状態になる何て、獄寺には想像がつかなかった。もっと親身になってやれば良かった。そう獄寺は後悔した。
それに、内容によってはツナへの報告を急がねばならない。そう思っていると、山本はまた下を向き、自分の両の掌を見詰めつつ小さく言葉を発した。

「血が…取れなくて」
「っ…」

何言ってるんだ。そう続けたかったが、その掌が微かに震えていた事に気付き、何も言えなくなってしまった。

中学でボンゴレという組織に会うまで、普通に育って来たんだ。いくらリボーンが素質があると言った所で、好んで人を殺めたいとは思っていない筈。あの頃の屈託のない笑顔からは想像出来ない今の山本に獄寺も心を痛めつつ、悲しそうに眉を寄せた。

「ほら…俺の手、真っ赤だろ?」
「…山本……」

山本は未だ震える自分の両手を見下ろし、それを湯の中に浸けた。揺れる水面が屈折を見せた為判らなくなってしまったが、震えは止まってはいないのだろう。そして両手を合わせると、山本は何かを洗い落とす様に擦り合わせ始めた。

コイツには、本当に自分の手が血に染まっている様に見えてしまっているのだろうか。もしそうなら、カウンセリングでも受けさせた方が良いのかもしれない。しかし、専門家に頼んだ方が良いのかもしれないが、出来る事なら自分が力になってやりたい。そう獄寺は思っていた。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ