□キリリクetc

過去、水道局。そして現在
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 車内から眺める景色は自分の意志とは関係無く流れていく。そう、自分の意志とは、関係無く。それは景色だけでは無い。炎山自身の時間すらも流れゆく。生きていれば時間は常に流れゆくものでそれは自然の摂理だが、炎山はただ時間に、流れに任せて生きている。それは酷くつまらないものだが、炎山はまだ知らない。
 流れていた景色が止まった。炎山の時間は止まらない。

『炎山さま、いかがなさいました?』
「……いや、なんでもない」

 自社に着けば最早用は無い車を降り、副社長室へ向かう。頭を下げる部下に見向きもせずただ淡々と目的地に向かう。毎日少しずつは違うものの、ほとんど変わらない日常。ただ繰り返す。
 副社長室の前まで来たところでメールを知らせる音が響いた。PETに視線を移すとナビのブルースが、オフィシャルからメールです。と、抑揚の無い声音で喋る。読み上げろ。と促すと、どうやら最近活発化してきたWWWについてだった。

「水道局か……。行くぞ」
『はっ』

 キッ、と小さな音がして炎山は意識を浮上させた。どうやら少しうたた寝をしてしまったらしい。水道局に着き、運転手に短く礼を告げて降りる。寝起きには眩しいくらいの陽の光を浴びて水道局を見上げた。

「炎山!」
「すまない、光。待たせたか?」
「いや、オレも今来たところ……炎山、寝てた?」

 寝癖ついてる。と、くしゃりと炎山の白と黒の髪に手を突っ込み覗き込む熱斗に、炎山はああ、と短く答える。

「懐かしい夢を見ていた」
「どんなの?」
「お前と会う前の、夢だ」
「へー。そっか」

 へへ、と笑う熱斗は少しだけ寂しそうな色を滲ませていて、炎山は気付かれないように小さく笑う。本当に、お前と会う前の夢だったのだから。
 ぽんぽん、と茶色い頭を叩くと、なんだよー。との返事。ちょっとご機嫌斜めだ。今から機嫌を損ねられては困る。と、炎山は熱斗の口に一口サイズのチョコレートを押し込んだ。

「まったく。お前と水道局で会う前の夢だ」
「……あ。WWW?」

 もぐもごとチョコを咀嚼しながら尋ねる熱斗に頷けば、なんだー。と笑う。今度は嬉しさを滲ませた色だ。へへっ、と笑う熱斗はご機嫌で、チョコレート効果有りか。と、炎山は胸を撫で下ろす。
 水道局に入ると職員と見学に来た学生が数人いるくらいで、予想より空いていた。休日とは言え水道局。あまり来る人もいないだろう。

「なぁ、なんで水道局なんだ?」

 入口で貰った水道局で浄化されたばかりの水が入っている紙コップを片手に、熱斗は水の浄化作業を眺めながら炎山に聞いた。久しぶりに二人で出かけることになり、どこに行くのかと思いきや水道局。遊園地の様に遊ぶことも出来なければ、ファーストフード店の様にお腹を満たすこともできない。チョコはおいしかったけれど、なんて思いながら炎山の返事を待つ。が、なかなか返事は帰ってこない。その間が苦しくて熱斗は一気に水を飲み干した。けれどもまだ返事は無い。

「炎山?」
「……光と初めて会った所だったから、今一度来ておきたいと思ってな」

 そう言う炎山の表情はとても穏やかで、熱斗は思わずけらけらと笑った。炎山が怪訝そうにこちらを見てきてもお構い無し。

「なんだ?」

 炎山が問い掛けても熱斗は笑いながら首をゆるゆると振るだけ。
 最初に会ったときは鋭い瞳と冷たい顔だったのに、今ではこんなにもあたたかい顔をしていて、それがあまりにもギャップがあったものだから熱斗はおかしさと、少しの嬉しさを心の中で交ぜながら炎山を見る。

「光?」
「なんでもないよ。それより炎山、あっちの方見──」

 熱斗の言葉を炎山は最後まで聞くことができなかった。激しい爆音で掻き消されたのだ。
 水道局内が一気に爆音と人々の叫喚に染まる。熱斗と炎山は水道局に遊びに来た一般市民の顔から市民ネットバトラーとオフィシャルネットバトラーの顔になると、人々の誘導と原因の糾明へと急いだ。

「光、そっちはどうだ?」
『見学に来てた人は全員避難させたとこ! そっちは何かわかったか?』

 オート電話で連絡を取りながら熱斗と炎山は事件解決へと動いていた。そう、これは水道局の事故ではなく事件だったのだ。

「どうやら犯人は職員に成り済まして潜り込んでいるらしい。先程作業着を脱がされた状態で気を失っている職員が見つかった」
『えっ? じゃあ水道局の人も信用できないのかよ!』
「そうなるな」
『っひ──酷い話、だぜ』
「もうこっちに来られるか?」
『誘導も終わったから合流するぜ。炎山、どこにいる?』
「頼む。場所は…」

 そう言い掛けた所で炎山は眉を潜めた。微かな機械音が耳に引っ掛かる。そればかりか熱斗の喋り方が途中からおかしい。まるで、音声ソフトを使っているかのような違和感。
 炎山は一間置いてから静かに場所を告げた。

『炎山、着いたか?』
「ああ、着いたぞ」

 炎山は浄水室の浄水機の影に潜んでいた。
 この浄水室に入る為の扉は一つ。熱斗が入ってくれば杞憂。そうでなければこちらの予想通りと言ったところか。

「早く入ってこい、光」
『炎山、まだ着いてないだろ。嘘は、良くないぜ』
「嘘? どうして嘘だと思うんだ?」
『それ、は』

 炎山は確信する。こいつは、熱斗じゃない。

「監視カメラにオレが映っていないからか?」

 無言の肯定。
 当たり、か。できれば当たってほしくなどなかったが。そう思った矢先、唯一の扉が開いた。
 思わず目を見張る。ふらり。と入ってきたのは紛れもなく光熱斗だった。
 良かった。もしも先程やり取りしていた相手が犯人だとしたら、熱斗の身は拘束されていると考えるのが筋だ。だとすると無事でいるかどうか、それだけが気がかりだったのだが、杞憂だったのだ。良かった。本当に。炎山は安堵した。安堵したのだ。
 ドサリ。それを打ち壊すかのように熱斗は床へ倒れ込んだ。罠かもしれない。けれど、今見えている熱斗は本物だ。間違えようが無い。
 駆け寄り熱斗を見る。ああ、本物の光だ。と、炎山は心の中で呟く。

『聞こえているか? 伊集院炎山』

 PETから熱斗の声がしてビクリ。と、らしくもなく肩が跳ねた。
 違う。落ち着け。これは本物の熱斗の声ではない。熱斗は今俺の目の前にいる。

『光熱斗の解毒剤が欲しいのなら探せ。水道局のどこかにいる俺をな』
「解毒剤、だと?」
『そいつが飲んだ水は俺が調合した毒薬入りさ』
「っ……く、ぁ……」
「光……」

 熱斗が呻く。この苦しみ様は、尋常ではない。

「わかった。貴様は必ずオレが捕まえる」
『そうこなくっちゃな。さぁ、始めようぜ?』

 ブツッ。PETから通信を切られた音がした。もし、本当に毒物の類いならば一分一秒が惜しい。炎山は熱斗とPETを抱き上げて、歩き出す。

『えっ、炎山くんっ、熱斗くん、熱斗くんはっ……!』

 今まで懸命に押し黙っていたのであろう熱斗のナビが、狼狽えながら訴えてくる。
 熱斗を失うのが怖いのは、今この現状に焦りを拭えないのは、炎山とて同じであった。だが、炎山はそれを表面に出さず心配性のロックマンにあえて微笑を浮かべながら言う。

「問題ない。光はオレが救う。絶対にだ」
『炎山、くん……うん。ボクが焦っちゃダメだよね。ボクが、冷静にならなくちゃ……』

 流石にいつもの落ち着きとまではいかないが、落ち着きを取り戻したロックマンを見てから炎山は自身のナビに命令を下す。

「我が社の傘下に薬物開発チームがあるな?そこと、医療チームに連絡しろ。光は、浄水場のロビーに置いていく」
『はっ!』

 本当は置いていくのは不安だ。熱斗から離れたくない。かと言ってこのまま抱き抱えて犯人を探す訳にもいかない。それに、毒物の種類もわからない。となれば、今は少しでも毒が回らないように動かさないようにした方が良い筈だ。
 浄水場のロビーに入り、置いてあるソファーに熱斗を横たわらせる。偶然なのか、見計らってか。館内放送の音が鳴り、熱斗の声が流れた。

『ぬくぬくと甘い場所で大事に大事に育てられた炎山お坊ちゃんはぁー』
「ブルース、水道局内のマップを出せ」
『臆病者だから怖い場所には来られませーん』
「……そうか、ここだな」
『そんなオマエなんか──うわぁあぁっ!? なんだ!? なんで水なんか……!』
「よし。よくやったブルース。そのままヤツの居る部屋のスプリンクラーを作動させながら電圧盤をショートさせろ」
『ぐっ、ぅあっあ、うぐぁあぁあぁっ!?』
『炎山さま、これ以上は危険かと思われますが、いかがなさいますか?』
「……それぐらいで良いだろう」
『はっ』
「後はオレがやる」

 炎山が水道局内にある放送室に向かうと、そこには気を失っているであろう男が横たわっていた。恐らく挑発を兼ねた放送をしたら場所を移動するつもりだったのだろうが、愚かなことだ。己の居場所を炎山に知らせてしまったが為に、このようなことになる。
 放送室内にあったコードで男を縛り上げた炎山は、男の頬を思いっきり殴った。一発、二発、三発と。それは、容赦なく。

「ぐ……ぁ……」
「どうだ。目が覚めたか?貴様をオフィシャル権限で逮捕する。それと余計な事は喋るな。解毒剤はどこにある?」

 男の顔が、歪に笑う。

「そうだよぉ……オマエのその、余裕の無い顔が見たかったん……ぐぁっ!」

 炎山は無表情で男を殴った。

「解毒剤はどこにある?」
「……んなもん、あるわけねぇだろ」
「そうか。……やはりな」
「ひひっ……光熱斗は死ぬぞぉ」

 ぎりっ。炎山は男の胸ぐらを掴むと締め付けるようにし、そして思いっきり睨み付けた。

「オレには優秀な医療と薬物開発チームが居る。そもそも、貴様の解毒剤等、光に飲ませられん。信用出来ない」
「信用……またそれかぁ!?」
「ッ!?」

 男に頭突きされて、炎山はよろめいた。血走った男の目が、憎しみに染まっている。

「オマエ達は、三年前にも信用出来ないと言ったなぁ! 俺達が眠る間も惜しんで作り出した薬を!!」

 男がそう吠えた所で、駆け付けてきたネット警察達が放送室へと入り、男を連行していった。

「三年前……薬……?」

 確か、三年前に薬物の成分に不確かな要素がある薬の申請が薬物開発チームに来ていたような気もするが。あの男は、その関係者だったのだろうか。

(だとすれば、光が怪我をしたのは……オレのせいか)
『炎山さま。光熱斗の解毒が済んだようです』
「ッ! 解った」

 ブルースの報告を受けてはっとした炎山はロビーへと向かい、走った。

「光!」
「っ、う……炎、ざ……?」

 解毒が済んだと聞いていたのだが、熱斗の表情は苦しそうなままだった。これはどう言うことかと、炎山は医療チームを見る。

「炎山様。どうやら、肋骨が折れているようでして」

 炎山が熱斗に近寄って覗き込むと、熱斗は力なく笑った。

「へ、へ……ちょっと、踏まれただけ……だったんだけ、どな」
「……すまない。オレのせいで、巻き込んでしまって」
「ごめん、な。オレ、何も出来なくて、足、引っ張っちまった、よな。……炎山が無事で、良かった」

 数ヶ月後。
 珍しく炎山は熱斗の家へと来ていた。

「もう大丈夫なのか?」

 スッ。と、炎山はオレンジ色のベストの上から熱斗の胸を触った。

「もち! っても、折れてたのはもう少し下だけどな」
「……そうか」

 炎山は、ぱっと手を離して顔を背けた。

「なぁ、炎山」

 今し方自分から離れた手を掴んだ熱斗は、再び自分の胸に押しあて、空いている方の手で炎山の胸に触った。

「何を……!」
「怪我したかもしれないけど、オレも炎山も生きてる。それで良いだろう?」
「……ああ」

 炎山の手にも、熱斗の手にも、互いの鼓動が伝わる。

「……ところで光、今日はやけに積極的だな?」
「えっ!? や、別に違う……」

 顔を近付けると、どきんっ。と、一際高く熱斗の胸が跳ねたのを感じ取って、炎山はニヤリと笑った。

─終─
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