太陽

□大丈夫
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 人の気配がなく話し声さえ聞こえない廊下というのは不気味だ。しかも冬の夕方。もう外は薄暗い。そんなこともあって合奏部に向かう足どりは重い。遅い。暗い。どれでもたいして変わらないが。だが、気分が乗らない理由はもう一つある。体調を崩してしばらく休んでいたことだ。休んでいた間、何度も退部を考えた。今もまだ、迷っている。
音楽室のドアを開けると、まだだれもいない。時計を見ると、集合時刻までまだだいぶ時間がある。久しぶり活動が嬉しくて無意識に浮かれていたらしい自分に苦笑して、ヴァイオリンのケースを開けた。
ピアノで確かめながら一つずつ音を出していくと、見事に鈍っていた。音が濁っている。一日サボると自分がわかる二日サボると仲間がわかる、というが三週間近くまともな練習をしていなかった今の音は……
「ホントにやめようかな・・・」
 ここから追いつく自信がない。もう何度目かもわからない揺らぎは溜息に変わる。

「久しぶりだね」

 とつぜん背後から声をかけられた。振り向けば、部長をはじめとする先輩方が何人か。あらかじめ考えておいた口上を述べる。
「いままでご迷惑おかけしました」
「うん、頑張って元の調子を取り戻そうね」
 どうやら謝罪は受け入れてもらえたようだ。そのとき、

「もう、このままやめちゃうかと思ったよ」

何気ない一言が耳に突き刺さった。
わかっている。
先輩方には悪気はない。
長い不在を茶化しただけ。

しかし――


悲鳴をあげて軋む心を無理やり笑顔で覆った。
休んでいた間の活動を聞くと、新しい曲に入ったらしい。楽譜はもらっているものの、まったく手をつけていない曲だった。しかも、かなり難しい部類の。また、揺らぐ。
どうしよう。本当にやめてしまおうか。それで自由になる時間は大きい。心の踏ん切りもつく。このままああなあにしておくよりもずっといい。
でも、と脳のどこかで何かが叫んでいる。そうして退部して、何かの折に先輩方と顔を合わせたとき、私は目を合わせられるのか?胸を張れるのか?
グルグルと悩んでいる間に顧問がきて、練習が始まった。ウォーミングアップの代わりに軽い練習曲を弾くことになり、さっきの音で参加するのは気が引けて、「今日は見学します」と言おうとした。言おうとしたのだが、いかんせん活動自体が久しぶりなものだからタイミングがつかめない!
そうこうしているうちにチェロが演奏を始めてしまった。ビオラが入り、私のパートまでもうすぐだ。あと三拍、二拍、一拍・・・

次の瞬間、全てがはじけた。

迷いも焦りも緊張も、するすると解けて消えていく。

楽しい。




まだ、がんばれる――――素直にそう思えた。









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