太陽

□胡蝶之夢
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 朝、カーテンの隙間からもれる日光で目覚める。おや?いつもより蒲団が大きい気がするのは気のせいだろうか。いや確実に大きい。っていうか重い、苦しい、窒息する。ジタバタともがいてやっと這い出ると、他にも何か違和感がある。ぐるりと周囲を見まわし、ようやく覚醒してきた頭で考えて、やっと状況を理解した。つまり、自分以外が大きくなっているのだ。いや、僕が小さくなったのかもしれないが。なぜかたまたま落ちていた手鏡に映った自分を見ると後者だということが判明した。白くてなんかフワフワした顔に無駄に長い耳、いつもの自分とは違う色の瞳。僕がなっていたのは・・・ウサギ?
 落ち着け自分。慌てても(たぶん)何も解決しない。こういう時こそ冷静になるんだ。・・・いや、やっぱムリ。
パニックに陥った僕の脳が思い浮かべたのは、友人の顔。彼――瓶野みかのいずみ――は変人だ。もしかしたら天才と言ったほうが正しいのかもしれないが、僕はたいして変わらないと思う。彼には何もかもが理解できて、それゆえに誰も彼を理解できない。後半部分は変人も天才も同じことだ。それに今はそんなことはどうでもいい。どちらにせよ、不測の事態において、彼が僕の知り合いの中で一番頼りになることに変わりはないからだ。


外に出ると、人間はまったくいなかった。代わりに、馬やら犬やらが溢れている。どうやら動物になってしまったのは僕だけではないらしい。さらに、もともと動物だったものは人間にはなっていないようだ。町中の者が困り果てているときに不謹慎かもしれないが、正直に言おう。自分だけの怪奇でないということを知って、すこし、安心した。
彼の家は、今どき珍しい純和風の日本家屋で、そのことは、今の僕にとってかなりの救いだ。ウサギの姿ではドアノブをまわすことはできない。しかし、引き戸なら話は別だ。相当重いかもしれないが不可能ではないのだ。「泣かないめげない諦めない」の方針で数十分粘り――あとから冷静に考えたらどう考えてもムリだ。一体どんな不可思議な力が働いたんだか――どうにかギリギリ通れるだけの隙間を作った。

「瓶野―!いるかい?入るよー!?」

一応声をかけてから上がり、奥から出てきたモノにギョッとする。猫・・・つまり、誰もが知っている身近な小型肉食獣。僕が知る限りこの家にペットはいないから、順当に考えれば家人の誰かのはずだ。しかしそこはウサギの本能というか、僕の足は勝手に逃げ出してしまった。廊下を駆け、手近な部屋に飛びこむ。小さくなって距離感が狂っているが、どうやら彼の部屋のようだ。天井まで届く大きな本棚とそこにびっしりと詰まった書籍がそれを証明していた。タンスと壁との隙間に潜り込むと同時に、例の猫が部屋に入ってきて、こちらには気づかない様子でキョロキョロしている。たとえ気づいたとしても、辞書一冊分ほどの大きさしかないここに入ってくることは不可能だろう。なんとなく逃げているうちに猫が本気で怖くなっていたが、安全になると少しだけ冷静になった。そのとき、彼の声がした。
「おい、どこにいるんだ?」
「ここだ!本棚の中!助けてくれ!」
 声を出したことで気付かれたのか、隙間を覗きこまれる。思わずギュッと目を閉じた。すると、クックッという彼の笑い声が聞こえてくる。何がそんなに可笑しいのかと目を開ければ、笑っているのは、猫。つまり・・・・・・
「お前か」
「ほら、出てきなさい。とって食いやしないから」
もそもそと這い出ると、彼はまだ笑っている。さっきは観察する余裕などなかったが、彼はみごとな三毛だった。雄の三毛猫という珍しさもなんだか彼らしい。妙に感心してしまって、僕も笑った。


「さて、状況を整理してみようか」
 
あのあと、彼は猫ながら器用にもお茶を淹れてきてくれた。ウサギになってしまった私の分は、今は家を出ている彼の姉が幼い頃使っていたという人形用の小さなコップに。・・・どうやって淹れたのだろう。ぜひ教えてもらいたい。教えてもらいたいけど、訊いてはいけないような気もする。いやそれ以前に、ウサギの体ではいくら小さくても人間用に設計されたコップから飲み物を飲むのは難しいんだが。嫌がらせか?・・・嫌がらせか。
「まず、今の状態だ。君はもともと人間で、同じく人間だった僕たちと人間として生活していた。しかし、寝て起きたら動物になっていた、と。そうだね?」
僕は大きく頷く。
「僕も同じ認識をもっている。おそらくほとんどの人(?)がそうだろう」
 また頷く。
「次に、そのことから何が起こったのか考えてみよう。可能性はいくつかあるね。一つ目は、何らかの原因で皆がいっせいに人から動物になったということ・・・なんだけど」
「そんなのアリか!?」
「否定したい。というか否定させてくれ。根拠はないけど」
「珍しいな。お前が根拠なしに推論を否定するなんて」
「否定したいんだよ。そんなオチは反則だ」
「夢オチとどっちが反則だと思う。で、二つ目は?」
「夢オチの方がまだマシだ。確実に元に戻れる分、ね。二つ目は夢オチその一。人間だった過去が夢だということ」
「え・・・?」
「以前も言っただろう。記憶はねじ曲がるし、上書きもされる。過去は創れる。そして現実かどうかの客観的判断は、自分では絶対にできない。いや、誰にもできない。同じ思い込みをしていたら意味がないからね。三つ目は、夢オチその二。今のこの状況が夢だということ」
「・・・三つ目を希望する。むしろ切望」
「僕もだ。この姿だと本が読めない」
「お茶は淹れられるのに?」
「ページはめくれなかった」
……挑戦済みか。
彼は読書が好きだ。僕が彼を訪ねると、たいてい彼は本を読んでいる。むしろ他に娯楽を知らないのかもしれない。授業中も読んでいる。それでも生徒からの圧倒的な人気とトップの成績を誇るものだから、ついに先生たちも何も言わなくなってしまった。まぁ、真面目に授業を受けられても質問攻めにされてボロが出るだけだから関わりたくない、というのもあるのだが。とにかく、そのくらい本の虫なのだ。
「で、どれが正しいんだい?」
彼が呆れたように溜息をついて。
「わからないのか。君は本当に」
馬鹿だね、と言い終わる前に僕の意識は闇に呑まれてしまった。






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