太陽

□それは囚われたことにすら気付かない蝶にも似た、幸せな夢
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「それにしても君は、危なっかしいなぁ」
 思わず、呆けている彼――小倉紅葉――に言った。
「どういう意味だい?」
「こちら側を夢だと思って、戻ってこられなくなったらどうするんだ」
 (僕は何を言ってるんだ?)
「夢なんだからそのうち目が覚めるだろう?」
 (彼の言うことのほうがよほど正論じゃないか。)
「そうとは限らない。夢の中を彷徨っていつのまにか彼岸に渡ってしまうなんて話は古今東西いくらでもあるんだ」
 (それはそうだがだからといって。)
「そうなのか?」
 (珍しく鋭い彼にペースを崩されたか?)
「荘周なんか有名だろう。あれは夢の中で蝶になって、夢と現の区別がつかなくなった。君に近いな」
 (それにしてもこんな、乱暴な理論を。感情的なことを。)
「誰だっけ……」
「国語の資料集にも載っていただろう。
『周之夢為胡蝶与(周の夢に胡蝶と為れるか)、胡蝶之夢為周与(胡蝶の夢に周と為れるか)』」
 そんなものを諳んじたところで何の意味もないのに。
「……思い出せない」
 資料集に乗っていても授業で扱っていないのだから無理もない。
(でも僕は、呆れたように溜息をついて、やれやれと首をふってみせる。)
「残される人間のことも、考えてみろ」
 (本当に僕は何を言ってるんだ!?)
でも。いくら自分に納得できなくても、口をついて出たそれはまぎれもない本心なのに
「じゃぁお前は、僕に二度と会えなくなったら泣くか?」
続く彼の言葉に対して
「泣かないだろうな」
 とっさに出た答えはあまりにもそっけなくて、内心、失言だったと慌てた。
 (慌てる?僕が?どうして)
「正直だね」
 が、彼の言葉に拍子ぬけする。
「怒るとか悲しむとかしないのか?」
 あぁ、二人の僕がいる。
 (あぁ、いつのまに僕は、こんな――)
「お前がそういう奴だってことは知ってるよ」
 なるほど。
 (そういう自分しか居なかった。今までは。)
「それに僕は、お前に泣いてもらえるようなことはしてないしね」
 (何を言ってるんだ?この生き物は)
「だってそうだろう?僕はお前に依存するばかりでなにもできない。たまに思うんだよ。本当に僕は、お前の隣にいてもいいのかなって」
 (驕っているわけではなく事実として自分は所謂天才というやつで、見下しているわけではなく事実として彼は普通の人間なのだ。今まで『普通』の人間が自分のために何かしたいなどと言ってきたことはなかった。必要が、無かったから。いまは、どうだろう。)
 それにもう、この友人には充分なものを貰っている。
 その旨を伝えると、彼は不思議そうに首をかしげた。
「僕、なにかあげたっけ?」
「もらってるよ。だから、君は此処にいてもいいんだ」
「そうかい?でも、鬱陶しくなったら言ってくれよ?」
厭になんて、ならない。僕自身が、依存されることに依存してしまっているのだから。
僕が彼からもらったのは。限りなく優しくてあたたかい、
 
 
 
 
 
 
 
ま る で 真 綿 の よ う な 呪 縛
 
 
 
 
 
 
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