short story

□微糖珈琲
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校舎の隅にある教室。
毎日独特な薬の匂いを漂わすその教室には、男の癖に艶めかしさと、女教師顔負けの美貌を持ち合わせた保健医がいた。

休み時間、毎日飽きずにワーキャーと保健室の前で黄色い声をあげる女子も、授業が始まるとなると名残惜しそうに全員、各学級に戻っていく。
土方はそれを見計らってから、誰も居ない事を確認すると、躊躇無く保健室の戸を開けた。
ガラガラ、と音が響く。
中で机に向かっていた保健医は、驚いた様子でこちらを見た。

「よっ、高杉先生」

保健医、高杉晋助は、土方の姿を認識すると、ため息をついた。

「…またお前か。毎日毎日、授業中にばっかり来やがって」

「いいだろ?それにどうせ、今は銀八の授業だし」

そう言いながら何時ものソファーに腰を下ろす。
この席は、高杉先生の顔がよく見える、俺の特等席。
高杉は困った顔で土方を見る。

「お前分かってんのか?高3だろ?大学行くんだろ?真面目に授業受けとかねェと、後で後悔すんぞ」

でも、そう言いつつも、高杉先生は俺に一度も「帰れ」と言った事は無い。
今日もその単語を発さない高杉に気を良くする土方は、小さく笑った。

「で、先生は何してんだ?」

廊下での女子の黄色い声なんて気付かないような表情で机に向かっていた高杉に、問いかける。
高杉は小さく声を漏らすと、机の上に置いてあったパソコンの画面を土方に見せた。

「保健便り。毎月もらうだろ?あれ作ってんだよ」

あぁあれか、と土方は納得する。

(意外…。ちゃんと真面目に作ってたんだな)

高杉はパソコンを元の位置に戻すと、椅子から立ち上がり冷蔵庫からインスタント珈琲を出した。

「お前も飲むだろ?」

高杉は土方の返事も待たずに、慣れた手つきでやかんに水を入れ火にかける。
…毎日の日課。
俺に珈琲を出した高杉先生は必ず「これ飲んだら授業戻れよ」と口にする。変わらない日々。俺と先生の、毎日のやりとり。
長い沈黙が流れ、2人の間に会話が無くなる。
暫くしてやかんが音を立てたと同時に、土方は沈黙を破った。

「先生は好きな奴とかいねぇの?」

何となく口にした言葉。
でも、一番知りたい答え。

「はぁ?好きな奴?」

2つカップを取り出し、インスタント珈琲に湯をかけていく。
珈琲独特の匂いが、部屋いっぱいに広がった。

「残念ながらいねェなァ。社内恋愛とかよく言うけど、この学校の女教師はブスばっかだしな」

「…確かにな」

出来るだけ平然を装う。
本当は、声に出したいくらい、嬉しくて仕方無かった。

「そーゆーお前はどうなんだ?」

いきなりの高杉からの質問。
予想していなかった展開に心の準備が出来ていなかった。
…いや、普通考えれば質問を返されてもおかしくは無かったのだが…。

「俺は…いる」

正直に答えてしまった。
高杉はおぉ、とか言いながら淹れたばかりの珈琲をカップに2つ入れる。

「どんな奴だ?同じクラスかァ?」

「いや、同じクラスでは…ねェな」

「じゃあ同じ学校なんだな?教えろよ」

カップを持って、高杉は土方に片方渡す。
受け取りながら土方は答える。

「意外と真面目、だな。自分のするべき事はちゃんとするし」

「へェ。そんな奴いるんだな」

高杉はそう言いながら何時ものように、珈琲の中に角砂糖を1粒入れる。
本当に疲れた時に砂糖を入れると、前に言っていたのを思い出す。

「じゃあその子の為にもちゃんと授業受けねェとな。それ飲んだら戻れよ」

「…上手くまとめやがったな」

「ククッ」

その笑い顔に、思わず心臓が高鳴る。今この流れで告白してしまおうかと思う程、気持ちが変になった。
…あぁ駄目だ。この関係を壊すわけにはいかない。
元々そんなに入っていなかったカップの中は、もう底を尽きた。
帰る時間が、来た。

「じゃあ、しっかり授業受けろよ」

高杉は立ち上がり土方を戸の方へと促す。土方も渋々と立ち上がると、歩を進め、戸の前へ来た。

「じゃあ、な」

振り返り戸に手を掛けた時だった。

「土方」

ふと名を呼ばれ後ろを振り返る。その瞬間、ふわりと香る香水の匂いがしたかと思えば、土方の唇は塞がれた。
思考が上手く働かない。
俺は今どうなっているんだ?

ゆっくりと唇が離れ、高杉の顔が見える。ククッ、と笑う高杉は土方の頭にポンと手を置いた。

「じゃ、授業頑張れよ」

軽く押され廊下に出ると、保健室の戸を閉められる。
暫く立ち尽くしていた土方は、状況を把握したと共に顔が熱くなり、その場に座り込んだ。

「ちくしょ…、やられた…」

悔しい自分と喜ぶ自分が混ざり合い、変な感覚に陥る。
口の中にはまだ、少し甘い珈琲の味が残っていた。






END

 

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