花ロマ文庫1

□第九話
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「桔梗っ!」
 
 後ろから聞こえてくる大きな声。
廊下の方から聞こえてくる。
教員室から出てみると、菫が走って駆け寄ってきた。
 
「菫、廊下は走らないでください。それに」
「ああ、ごめん……桔梗先生」
 
思い出したように慌てて『先生』と付け加える。
 
「どうしたんですか?菫らしくない」
「ともゑは?」
 
肩で息を切らし、菫が桔梗を見上げた。
 
「ともゑですか? まだ保健室だと思いますが。そうとう疲れがたまっていたんでしょうね、しばらくは起きませんよ」
「まだ、いるんだな」
 
ほっとしたように菫は胸を撫で下ろした。
 
「どこかへ行くとでも思いましたか?」
 
乱れた菫の髪を直しながら桔梗が微笑んだ。菫は教員室を覗きこむ。見たかぎりでは、誰もいない気配。
 時計を見ると、夜の8時は過ぎていた。
よく見てみれば誕生祭はすでに終わっていて、人気はほとんど感じない。
時間が経つのを忘れるくらい、菫は今までベンチにずっと座っていた。
 
「桔梗、おれ考えてた」
「ええ、さっきまでベンチにいましたね、綾芽も少しいたようですが」
「ともは、おれと向き合おうとしてる……」
「そうですね、強くて頑張り屋な子ですね、ともゑは」
「なのにおれは」
「ごまかして、逃げたんですね? 可哀想なともゑ。きっと傷つきましたね」
 
すかさず桔梗が口を挟むと菫は口ごもり、ますますうつむいた。
それを見て、桔梗は小さく笑った。
 
「ごめんなさい、言いすぎました。でも、あまりにも二人が回りくどい事をやっているので」
 
困ったように微笑んで肩をすくめる。
 
「同時に、純粋で……羨ましいくらいですが」
 
桔梗がポケットに手を入れると、銀色の鍵を取り出した。
 
「鍵?」
「ええ、保健室の鍵です。保健の先生はすでに帰られたんです。私に、ともゑをお願いされたのですが……これは菫の役目みたいですね」
 
菫の制服のポケットに鍵を入れてやる。
 
「キチンと、戸締まりして帰ってくださいね」
「ああ、わかった」
「でも」
 
一瞬、間をおいて桔梗が菫の目線に腰を落とし顔を近づける。
息が触れそうな距離、そしてキラリと紫に光る瞳に菫は身体を固くした。
 
「後悔するくらいなら、やめなさい」
 
ぴしゃりと言ってのけた口元には、いつもの優しい微笑みは消えていた。
 
「今、自分で決めた答えが正しいのか、間違っているかなんて本当は……誰にも分からないんです。他人は導く事しかできない、それがたしかな事でも……過ちでも」
 
両手で菫の顔に触れると、菫は瞳を閉じてゆっくり深呼吸をした。
 
「それでも、ともゑは答えを出そうと必死なんです。菫も、全然気付いていなかったわけではないでしょう?」
 
ゆっくりと話かける言葉に、菫の瞳から涙がこぼれた。
 
「もう、頑張ってお兄さんを演じるのはつらいでしょう?」
 
 菫は瞳を潤わせ、桔梗にしがみつく。
桔梗はバランスを崩して倒れそうになるのを持ち直し、菫をそっと引き離した。
 
「私も、人の事言えた身分じゃないんですけどね」
 
菫は大きく首を振った。
 
「違う。桔梗達がいてくれたから、おれ達はこうしていられる。きっと、ともだって……ありがとう」
 
 いつもとは違う、やけに素直過ぎる菫に少し戸惑いながら、桔梗は優しく頭を撫で、小さな子供をあやす様に、抱きしめていた。
 
「ほら、ともゑに会いに行くんでしょう?」
「ああ」
 
菫は素直にうなずいて、桔梗の手をそっと取った。
 
「おれ、桔梗のこと、だいすきだから」
「え?」
 
予想もしない言葉に思わず聞き返す。
 
「とても、だいすきだ」
 
嬉しそうにもう一度言うと、菫は桔梗を見上げる。
前髪の隙間から瞳をキラキラと輝かせて、見つめている。
 
「菫?」
「おれ、ともの所に行くから」
「あ、ええ」
 
強い眼差しをみせ、菫は桔梗の腕の中から抜け出すと保健室の方へと走っていった。
 
「……」
 
桔梗は戸惑いを隠せない表情のまま、廊下を走っていく菫を見つめていた。
 
 
 
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