近所のスーパーで買い物して帰ってきたら、マンションの前には一人の女性が立っていた。
少女かと思うほど線の細いシルエットは、見覚えがあった。
マンションに背を向けて帰ろうとしている彼女に近寄って行き、僕は声をかけた。
「サリナさん!?」
彼女は、一瞬ビクッとして振り向いた。
やっぱり、サリナだった。
「ひさしぶりですね。元気にしてましたか?」
どうして彼女が今頃になって僕のマンションまで来てしまったのか?不思議に思いながらも当り障りのない言葉を口にしていた。
サリナは、ぽろぽろと涙こぼし出してしまった。
「どうしたんですか?」
何も言えずに泣きじゃくっているので、とりあえず僕の部屋に上げた。
本当は、この部屋にはオーナー以外の女性は上げたくはなかった。
でも、どうやら非常事態のようなので上げてしまった。
確かコーヒーはダメだったな?と思いだして、紅茶をいれてサリナの前のテーブルに置き、買い物してきた物をなるべく急いで片付けて行く。
サリナが店を辞めて約一年半。
もう関係ない女性だ。
でも、ある意味僕にとっては特別な女性でもある。
10代の頃の僕は女の子と付き合っても長続きしなかった。
20才になってホストになってからはなんとなく彼女も作らずにいたけど、オーナーを愛してしまって片想いし続けてやっとの思いで愛人にしていただいてクラブを辞めたなんて僕は、一人の女性に長い間想ってもらったことなんか無かった。
でも、サリナは6年もずっと僕のことを好きでいてくれたらしい。
女性にとって20代の一番いい時期の6年は大きい。
今までの僕の人生の中で一番長い間想い続けてくれたコだから、ある意味特別。
妹のようにかわいいという気持ちはある。
結局サリナの想いにはこたえることは出来なかったけれど、最後のお別れの時に誠意をもって出来る限りのことはした。
もちろん、オーナーには秘密だ。
したこと自体はたいしたことじゃないけれども、あの程度のことでもきっと彼女には「たいしたこと」なのだろうと思ったら、オーナーには秘密にせざるを得なかった。
たぶんオーナーは、サリナの想いの重さに気づいてしまうだろうから。
なんせ未だに墓の下にいる人を一番愛している人なのだ。
だから、お互い独身でも僕は愛人止まり。
それでも僕はこの世で一番オーナーのそばにいられる男でいられればそれでいい。
サリナの方を見ると少し落ち着いたのか泣き止んでいた。
僕は、テーブルはさんで正面に座った。
泣いて化粧ははがれているものの、なんだか店で働いていた頃よりもきれいになったような気がした。
「どうしたんですか?あなたはよほどのことがなければ僕になんか会いには来ない人でしょうに、何かあったんですか?」
なかなか言い出せずにいたようだったけれども、簡潔に話し出した。
妊娠検査薬で妊娠反応出たこと。
なぜか彼氏にすぐ電話出来なかったこと。
気がついたらここまで来てしまったこと。
「病院へ行きましょう!」
僕はそう言うと彼女の手を引いて車に乗せてしまった。
もしかすると彼氏には言い出しづらい事情があるのかもしれない。
願わくばサリナの相手が、顔も知らない僕の父親と同種の男ではないことを祈りたい。
母がどうやって僕を産み育ててきたのかを知っているから、サリナはこういうことになって僕を頼って訪ねて来たのかもしれない。
だから、出来る限りのことはしてあげたい。
そんなことを考えながら、母が出産した病院へと連れて行った。
待合室まで付き添って診察が終わるのを待っていた。
サリナは青い顔して診察室からふらふらと出てきた。
「どうでしたか?」
と聞いてみたら、
「私、7ヶ月だそうです〜。産むしかないそうです〜。どうしたらいいんでしょう?って言っても産むしかないみたいなんですけど…」
とサリナは言った。
「え!?7ヶ月ですか?」
僕はびっくりしてサリナのお腹を見た。
元々がかなりの細身だったから、少し肉付きが良くなった程度にしか見えなかった。
お腹はふくらんでいるようには見えなくて、どう見ても母が妊娠7ヶ月くらいだった時とは様子が違う。
これは病院に連れてきて正解だったかもしれない。
でも、もう産むしかない状態で大丈夫なのだろうか?
そのあたりも気になる。
「とにかく彼氏に言わなければダメですよ」
サリナの家まで送って行く途中、僕は言った。
「もしも、逃げ出すような男だったら、僕が殴りに行ってやりますから」
とも言った。
「店長、甘えついでに新宿まで送っていただいていいですか?」
今まで押し黙っていたサリナがそう言ったので新宿へ向った。
サリナの彼氏の会社の前まで送った。
どうやら相手はまともな会社員のようだ。
彼女が泣くような結果にはなって欲しくないと思いながら、近くまで来たからとオーナーのところへちょっとだけ寄って、
「今夜は店が終わってからこちらへ来れません」
と伝えてきた。
最悪の事態を想定して自宅待機していようと思った。
サリナが泣いてまた阿佐ヶ谷までやって来るようなことがあったら、相手を殴りに行くつもりだったし、今後のことも相談に乗るつもりだった。
出来ればそんなことにはならないで欲しかったけれども…。
結局、僕は朝まで眠れなかったし、サリナも来なかった。
携帯変えてたようでこちらからは連絡が取れなかったので、連絡来るのを待とうと思った。
たぶん、大丈夫だったのだろう。
そう思うようになった頃、結婚式の招待状がきた。
サリナからだった。
正直な話、やっと安心出来たといった感じだった。
いろいろと考えて結婚式は欠席することにした。
なんとなく僕が行くとまずいような気がした。
花とそれに添えた結婚祝いのメッセージだけ、当日贈るように手配しておいた。
後日届いたお礼状の中には、夫妻と赤ちゃんの写真が入っていた。
旦那の方の顔はどこかで見た覚えがあったけど、たぶん他人の空似だ。
赤ちゃんはサリナに似てかわいかった。
おもわずベビー服買いに走りそうになった僕は、苦笑いしながらそれはやめておいた。
もうこれ以上彼女に関わるのはやめておいた方が良いような気がした。
お幸せに。
僕はお礼状と写真を戸棚の引き出しの奥にしまった。