abyss

□溶ける直前の、それはひどく懐かしい声だった
1ページ/2ページ





ボロボロの身体を引き摺って、それでも戦うのは、いつだって、皆のため。もう限界だと知っていたのに、もう死んでしまうんだと知っていたのに、それでも戦って戦って、終いに溶けるように消えた。

それを見ていたのはたった一人だけ。





子供は笑っていた。けれど、楽観的に判断できないくらい子供の気力は削られていた。だが、子供はそれを誰にも悟らせなかった。たった一人を除いて。


「ルーク、もう休んでください。でなければ、私も安心して仕事もできない」

「さっき寝たから大丈夫だって」

「あれは寝たうちに入りませんよ。お願いですから、今は私の言うことを聞いていただけませんか」

「うー……わかったよ」


子供は少し不機嫌そうに言うが、それでも我を通すような真似はしなかった。子供自身、心配をかけていると知っているからだ。

ここはマルクト帝国、軍本部にあるジェイド・カーティスにあてがわれた執務室。執務室にあるふかふかのソファに寝転がり、毛布をかぶって眠ろうとしているのが、過日、子爵の地位を賜ったばかりの見た目年齢十七歳、実年齢七歳のファブレ公爵家子息ルーク・フォン・ファブレその人である。
障気中和のために多くの体内第七音素を使った彼は断続的に身体の一部が透ける現象が続いていた。もともと解けやすい音素同士が尚解けやすくなって乖離現象が進んでいる証拠である。ジェイドは今、子供の乖離を留めようと研究を進めてはいるが、思っていたほどの成果は上がらず、フラストレーションは溜まる一方だ。


「あんま、根詰めると倒れるぞ」


子供の気遣うような声。間もなくして寝息が聞こえた。ジェイドは泣きたくなった。気遣っていたはずが、逆に気遣われて、まるで立場がない。


「ただ、救いたい、それだけです」


だのに、救えない。この世に生まれて七年の幼子を救ってやれない。何も進展がないままに、時だけが過ぎて、終わりは唐突でも何でもなく、予想通りにやってきた。


崩れゆくエルドラント。ただ、見つめていた。己の表情はいつものポーカーフェイスを保っているのだろう。
空に一筋の光が差して、唐突に消えた。あれが、ローレライなのだろう。音譜帯へと上り、この世界の第七音素の絶対数量は減る。回復術を使える譜術士は力を失い、戸惑うのだろう。そもそも第七音素の譜術士は少なかった。ゆえにそれに頼りきらない医術が必要だったのだ。それを怠ってきたのは間違いもなく被験者たる人間だ。
これから、より厳しい道のりが人間を苦しめ、そして、レプリカはその人間たちの憎悪の対象になり得る存在だった。

ジェイドはただ守りたいと、救いたいと思った。幼子を犠牲にするしかなかったこんな汚れた世界でも救う価値はあったのだと、それを空へと上った子供に示すために。


――――ありがとな。


はっとして空を見た。子供が嬉しそうに笑っている気がした――。










溶ける直前の、それはひどく懐かしい声だった
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ