abyss

□生と死、そのどちらも美しく、そして醜い
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笑っていた。それはもう、いっそ無邪気なまでに。生きていることに歓喜して、いずれ死に逝くのだと知り、絶望の淵に堕ちた。だのに、子供は笑って、大丈夫と言ったのだ。




人生最期の夜、子供はマルクト皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世とともにあった。
別に彼に請われたから来たわけでも何でもなく、子供がそばにいたがったからだった。ピオニーとしてはかなり嬉しい申し出だったので、二つ返事で子供を寝室に招き入れた。確かに、ピオニーは嬉しかった。だが、これが最期だと聞かされれば、あまり気分がよろしくなくなった。子供は必死にピオニーを宥めるが、子供が言い訳をするたびに彼の不機嫌は増していった。


「やだな陛下、冗談なんですからあんまり本気にしないで下さい」

「ほう、冗談? あれほど真剣な面持ちで『最期』だとほざいておきながら?」

「ほ、ほら、言葉の文(あや)みたいなもんですって!」


必死に言葉を尽くしている姿はこの上もなく愛らしく好ましい、だが、やはりピオニーは納得できなかった。この子供は本来そのような言葉を軽々しく使ったりするような性格ではない。だから、冗談ではないことは分かる。


「ルーク」


泣きそうになっている子供に呼びかけてやれば、子供は少しほっとしたようにふにゃりと笑った。深くため息をつくとピオニーは観念したように子供を抱きしめた。会いたかったのも、触れたかったのも、紛れもないピオニーの真実だったからだ。王としては接してやれない。代わりに王ではないただのピオニーとして子供と関わり続けた。


「たくさん非道いことをさせた。許せとは言わない。マルクトの王として為すべきことを為しただけだ」

「陛下は悪くない、です」

「ピオニー、だ。そう呼べと何度も言ったはずなんだがなあ」


苦笑する気配。子供は濡れた瞳のままにピオニーを見上げた。


「ぴおにー、へいか」


子供は申し訳なさそうに俯いた。どうしても陛下と呼んでしまうのだ。それは無意識に彼と己との間に壁を作っているようで、子供は本当は嫌だった。


「いいさ。それがお前らしい」

「そう、かな?」

「ああ、いいんだ。……俺は待っている、ここで」


子供が小さく頷いたのを確認すると、ピオニーはあやすように子供の背を叩いて、寝かしつけた。



次の日の朝、王としてピオニーは子供を送り出した。子供もまた世界を救うための駒の一つであることを理解していたから、ただ笑ってエルドラントへ向かった。そして、子供は――帰ってはこなかった。
二年後、帰ってきたのはピオニーが知る子供ではなく、被験者ルークすなわちアッシュの方だった。その時点でピオニーは完全に興味をなくしてしまった。


「待っている――いつまでも、ここで」


幼なじみの頭の良さを信じながらも、諦めきれないと己の心が叫ぶ。なぜか急に狂おしいほどの憎しみがこみ上げる。同時に愛おしさで胸が埋め尽くされた。



目を、ただ閉じた――。










生と死、そのどちらも美しく、そして醜い
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