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□夜はまだ明けない
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騎士団に志願すると言った時の父と母の顔を今でも思い出す。喜んでいいのか悲しんでいいのかよく分からない複雑な顔だった。兄も喜んでいるようには見えなかった。大概の貴族の子息は騎士団に入ることを考えれば、この反応は特殊と言えた。だが、そういえば自分は帝国最高峰貴族、ファブレ公爵家の子供だった。それも皇家と限りなく近い血筋だ。別に騎士団に入らずとも暮らしていける。だが、それでも何もしないで暮らすより誰かの助けになれればいいと思った。それは傲慢なのかもしれないけれど。
「どうした、ファブレ」
「いえ、最近実家に帰ってないなぁと思いまして」
ルーク・フォン・ファブレは書類をまとめる手を休めて、シュヴァーン・オルトレインにそう言った。
ここはザーフィアス城の一角、シュヴァーンの執務室だ。
ルークは何がどうなったのか分からないうちにシュヴァーン隊に組み込まれ、隊長補佐として執務室に縛られる身となった。それに伴って、同期の騎士たちの大半から敬遠されることになった。確かにシュヴァーン隊はアレクセイ騎士団長に一番近く、出世をするなら最上の隊と言えるかもしれないが、如何せん平民やそれ以下の身分の人間で構成されているために、周りからはあまりよく思われていないらしい。ルーク自身は特に気にしたことはないが、時々ちくちく嫌味を言われる回数が増えたような気がする。
「ああ、なるほど」
「帰りたいってわけではないですけど、ずいぶん心配させてるみたいなので」
「そうか。休暇でも取るか?」
「この状態で、ですか」
「……失言だった」
シュヴァーンの言うように休暇が取れるなら取りたいが、現状ではどうやっても無理だった。なぜなら山と積まれた書類は減ることを知らず、決済した余所から増えていく。この現象はルークがシュヴァーン隊に配属されてから嫌がらせよろしくずっと続いている。おかげで休暇どころか非番さえ返上して職務をこなさなければならない事態に陥っていた。ちなみに配分として一番多いのはアレクセイ親衛隊の書類とキュモール隊の書類だ。要は貴族連中のやっかみ半分、公爵家子息という立場に対する嫉妬半分。はっきり言って迷惑以外のなにものでもない。
「真面目にやってるのが何だか馬鹿らしくなってきますね、これ。突っ返しましょうか」
「限界か」
「とっくに突破してます。フレンに説教されるくらいには」
「奴は過保護だからな」
ため息をついた。うちの可愛い補佐をここまで疲弊させるとは恐るべし書類の山。シュヴァーンはルークを気に入っている。公爵家の子供にしては剣の腕は上等で、しかも細かい仕事は得意だ。多少鈍感なところはあるが、なかなか鋭い。書類整理や簡単な書類決済の一切を任せられるのはかなりありがたい。今は任務で副隊長のユルギスも小隊長のルブランも出払っているから、余計にそう思う。驕らない性格で人懐っこいので隊内でも可愛がられている。
「俺は大丈夫だって言ってるのに、しつこく休めって。そんなに頼りないですか、俺って」
「いや、単に心配なだけだろう。ファブレには前科がある」
「そっ、それはそうなんですけど……」
尻すぼみに声の小さくなるルークに軽く笑いかけると、シュヴァーンは休憩するかと言った。疲れているのは事実なので素直に頷くと頭を撫でられた。子供扱いだと思ったが、大人しく受け入れる。シュヴァーンは時々こうやって、ルークを子供扱いする。実際問題、シュヴァーンに比べてルークは子供だったし、今さらそれでふてくされるような年齢でもない。そう、微妙な年頃だった。大人として認められたいと思う一方で子供でいたいと思う自分がいる。シュヴァーン曰わく、思春期なら誰でも通る道らしい。ルークからしてみれば、今さら思春期も何もないと思う。そんな年齢でもない気がするのだが、彼は断言した。少しだけ悔しいと思うのは、やはり己が子供だという証拠なのだろうか。
「ミルクティーでいいか?」
「あ、はい。てか、俺が入れます」
「気にするな。今日は私が入れたい気分なんだ」
「ですが」
「ファブレ、君は私以上に疲れている。君にこんな無理を強いていることを申し訳なく思っているんだ。だから、今は私の顔を立ててくれないか」
シュヴァーンの微苦笑にルークは何も言えなくなってしまった。確かに疲れているし、休みが欲しいとも思うけれど、己が選んだ道だ。望んで背負った苦労を嘆くなど、有り得ない。
ルークはシュヴァーンが紅茶を入れるのを見ながら、思考の海に沈む。
カップとソーサーの擦れる音。こぽこぽと注がれる湯の音。全部がルークをさらに海の底へ導こうとする。同時に襲ってくる眠気にしばらく抗っていたが、勝てずに落ちた。
「寝たか。ずいぶん頑張っていたからな」
入れ終わった紅茶をことりと置いたが、飲む人間がいなくなってしまった。シュヴァーンはまた微苦笑して入れた紅茶を飲んだ。ルークのために甘めに作ったミルクティーだったから少し咽せたが、そんなことは些末なことだった。カップをソーサーに乗せながら彼が目を覚ましたら、今度はココアを入れようと思った。シュヴァーンはルークを特別視する一方でアレクセイに利用されるかもしれないと危惧もしている。何せ、彼をシュヴァーンの隊に配属させたのはアレクセイだったからだ。平民出身の人間が多い隊に貴族を放り込むのは、あまりよろしくない。昔はそうでもなかったが、今は貴族と平民の格差はある種の摩擦そのものだ。微妙なバランスを取りながら、まるで爆発の時を待つようだ。だから、ルークは隊内で孤立する可能性すらあった。そうならなかったのは、本人が努力した結果であり、隊の者たちが柔軟に物事を捉えていたからでもある。危険を承知で放り込んだからには何か思惑があるのだろう。その思惑が実行される時、己はやはり無感動にそれを見ているのかもしれないと思うと、何だか無性に泣きたくなった。
夜はまだ明けない
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ルークは男の子です。
設定的には連載のものと同一ですが、騎士団に入っていて、なおかつ、シュヴァーン隊にいたらみたいな妄想をしてたら、こんな話になりました。
意外にすらすら書けて、とても楽しかったです。
この話のルクたんはシュヴァーン隊のみんなから愛されてるといい。
甘やかされてるといい。
とにかく幸せであってくれたらなあ、と思う反面、アレクセイが企んでますみたいな行(くだり)を書いてしまう私の鬼畜ぶり。
そう簡単には幸せにはしてやらないみたいな。
私って歪んでるんですかね、苦笑。