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□遥か遠いあの夏の日
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「そうか、もう八年たつのか……」

仮面の英雄がつぶやいた。だが、そのつぶやきを耳にしたものは誰もいない。
私室でも仮面を取らなくなったのは何年目のことだったろう。
ベッドと机と椅子とウォークインクローゼットだけしかない、そのモデルルームのような部屋はゼロの私室だ。

無二の親友から仮面を引き継いでから、彼の妹と一緒にがむしゃらに生きてきた。
今日も解放記念日の打ち合わせで、超合集国の会議室で半日以上缶詰になっていたところだ。
ただ、親友の願いを叶えるため。それは、彼の手にかかった大切な女性の願いでもあったのだから。

「私はゼロ」

―クルルギ・スザクという人間はもういない。

「私はゼロだ」

―父殺しの子供はもういない。

「ここにいるのはゼロだ」

―俺は……僕も……もういない。

すべてを捧げるギアスにかかったのだ。だから、仮面を取る必要はないのだ。

もちろん、休日などなしに世界中を飛び回っている彼には、英雄として恥ずかしくないように身支度を整える必要がある。
実際には、一日の終りには仮面を取り入浴し、翌日には複数ある同じ服の新しい服に袖を通す。

ふと、ため息が漏れた。





「ああっ、またやっちゃった!?」

桃色の髪の少女が大きな声を上げた。驚いで少女の方をみると、手にした決裁書類の向こうから悪戯を見つけられた子供のような眼が彼を見ていた。
彼はその仕草を微笑ましく思いながら、課題のノートの上にペンを置いた。

「どうしたの、ユフィ?」
「ごめんなさい、大きな声をだして。つい、ため息をついてしまったから……」
「ため息?」
「そう、ため息。昔、マリアンヌ様……ルルーシュとナナリーのお母様に、ため息をつくと幸せが逃げちゃうって言われたことがあるの」
「ルルーシュとナナリーのお母さんか。素敵な人だったんだね」
「ええ、とっても!?……私、もっと勉強しておけば良かったわ」
「しかたないよ、若いんだから。これから勉強していけばいいんだよ」
「でも……、ああっ、もう!また、ため息ついちゃった!」
「じゃあ、こうしよう!君は今、ため息をついたんじゃない。深呼吸をしたんだ!」
「深呼吸?」
「そうさ!だから、幸せは逃げちゃいないよユフィ!?」





そう、彼女は幸せになるはずだったのだ。ルルーシュが不用意に口にした言葉であんなことになりさえしなければ。
彼は深いため息をついた。

「お疲れのようですね」

彼が声のした方、部屋の入口に目をやると、そこにはナナリーがいた。

「ナナリー……様」
「すみません。ノックをしたんですが、返事がなかったので入らせてもらいました」
「かまいませんよ、何か御用ですか?」
「夜分遅くに申し訳ないのですが、一緒に来てもらってもいいですか?」





「ここは?」
「知らなかったですよね。花を育てているんです。いえ、育ててもらっているんです」

そこは、広くはないが様々な色の花が植えられた花園だった。
KMFが平和利用されるようになり、フレーム技術も本来の目的である医療用として再び技術開発が始まった。彼女はその新しいフレーム技術のひとつの被験者として、一人で立ち歩くことができるようになった。目当ての花を確認すると、ゆっくりと歩き出す。
ぎこちない動きで少しだけかがむと、一輪の花を手折る。

「ゼロ。これをあなたに」

一輪の花、それはとても青く美しい花だった。

「ありがとうございます、ナナリー様」

「何という花か知っていますか?」

「申し訳ないですが、存じ上げません。菊……でしょうか?」

「アスター。日本語だと、蝦夷菊というそうです。花言葉を知ってますか?」

「申し訳ないですが……」

差し出された青い花をゼロが受け取ると、ナナリーは青紫の眼を伏せた。

「青いアスターの花言葉は、『信頼』なんです。だから……」

意を決したように息を吸い込みんだナナリーがゼロの仮面を仰ぎ見ると、その瞳に浮かぶ涙が月明かりに煌めいた。

「もういいんです……」

「ナナリー……様?」

「もう一つ。青いアスターの花言葉があるんです。それは、『あなたを信じているけれど、あなたが心配』です」

「それは……」

喉の奥が詰まって声がうまく出てこなかった。
心配するのはこちらの方で、彼女の方ではない。

「わたしは目が見えなかったので、他の人よりも音に敏感なんです。気付いていないかもしれないけど、あなたが……とても疲れているのがわかるんです」

「疲れてなどいませんよ。私は大丈夫です」

そう、疲れてなどいられないのだ。
彼の分まで、やらなければならないことがある。たくさんあるのだ。

「もう、いいんです。スザクさん……」

「もう、私も世界も、英雄の手を借りてではなく、自分たちの脚で歩いていくべきなんです」

「だから……」

いつやり方を知ったのだろうか、ナナリーの手が仮面の仕掛けを迷いなく操作する。
乾いた機械音とともに彼の素顔があらわになった。

「もう、あなたはあなたに戻っていいんです……」

そこには写真でしか見たことのなかった、兄の親友の顔があった。
写真と同じ困ったような表情の、写真と違う大人の顔と今にも零れ落ちそうな涙。

「スザクさん……」

仮面を手渡されたスザクの頬をナナリーの両手がそっと包み込む。

「人の体温は涙に効くと、昔いったことがあります……覚えていますか?」

「ああっ……覚えてるよ、ナナリー」

少年がいつまでも少年のままでいられないように、目の前の少女もいつまでも少女のままではいない。

「ユフィ姉さまでなく、私の体温でも……スザクさんの涙には効きますか?」

「ナナリー……」

「私と一緒に……英雄ではない、ただの人として歩いてくれませんか……?」

とめどなくあふれる涙とともに、スザクは深く息を吸い込みナナリーを抱きしめた。




その時、時計の針が新しい日付を告げた。

それは、彼が親友を失った日。
彼が彼でなくなった日。

彼が彼に戻った日となった。



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