□あの日あの時あの場所で
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「ほらほら。皆大人しくして。」


ベースキャンプの隅。
私は異形のイヌ達の鎖を柵に引っ掛けていく。

先日、イシュヴァールのダリハ地区が落ちた。
そうして戦況は国軍の優勢になり、この長かった内戦は事実上の終戦となった。
後は僅かな残存兵力を叩くだけであり、よって一騎当千を実現化させてしまう兵士は帰還を許された。
勿論、それには私も含まれている。
だから、私は共に戦った合成獣達の輸送の準備をしていたのだった。


やっと帰れる。
この戦場を出て、日常に戻れる。
そう考えれば気分が軽くなる。
おかげで、作業中は鼻歌を歌ってしまう程気分が良かった。
しかし、正直これからへの不安もあった。
でも、きっと大丈夫。
そう信じて帰り支度を進めていた。

鎖をいじっていると、数頭のイヌが頭を浮かせて私の背後を睨んだ。
何事かと振り返れば、少々離れた場所に我が上官殿が立っていた。


「少佐!」


久し振りに会えたのが嬉しくて、自然と表情が緩んでしまう。
だが、私の掛けた声が聞こえぬのか、彼は切れ長の目を更に細め、こちらを眺めている。
まるで何かを考えているようだった。
そして何故か、私はその視線に恐怖を感じた。


「…キンブリー少佐?」


私がもう一度声をかければ、彼は良い事を思い付いたという風に口元を歪める。
その妖しい笑みに、自然と足が退けていた。
キンブリーが一歩前に進む。
それに合わせて私は一歩下がる。
何を察したのか、イヌ達まで唸り始めた。


「アーデルハイド。何故逃げるのですか?」
「…さぁ?自分にも分かりかねます。」


彼は問いながら間合いを詰めようとする。
しかし、私のは体は勝手にその距離を保とうとしている。
二人の間は縮まらない。
何歩目か、彼の足が止まり私も同様に足を止めた。
数メートルの感覚を空けて向かい立つキンブリーは、それ以上近づこうとはせずに私のことを見ている。

今のキンブリーには近づきたくない。
どういう訳か、飛びつきたいのにひどく近寄りがたい。
近付いてはいけない、と頭の中で警鐘がけたたましく鳴るのだ。


「アーデルハイド。」


キンブリーは両手を広げるとゆっくりと胸の前で手を合わせる。
そして微笑み、私に信じがたい言葉を投げつけてきた。


「貴女も・・・でしたね。」


今、何を言われた?

答えを出している間が無かった。
彼の台詞の一拍後、何らかの烈しい衝撃を受けたのだ。
勢いで私の体は宙を舞う。


「ゥアッ!?」


地面を弾み、一転二転三転。
ろくな受け身も取れず地面に打ち付けられる。
体も痛いが、耳の奥が痛い。
その上、キーンという耳なりのせいで殆ど聞こえない。
それでも、痛む耳には地面に這いつくばる私を眺め、高笑いを上げるキンブリーの声は届いた。


「あ、ぐ…っ。」


このままだと確実にこの身が危ない。
私は痛む体を起こし走り出そうとして、膝から崩れ落ちた。
それに伴うように爪先から走る痛み。
目を向け見れば、右足の膝から下のズボンの布が真っ赤に染まっていた。


「う、そ…。」


段々と音の戻ってきた耳に聞こえるイヌ達の咆哮。
私の危機にイヌ達が鎖を鳴らし、あらん限りの声で吠えたてている。
だが、その声も距離も遠い。

突然激痛が私を襲った。


「あ゛ァ、アアア…ッ!?」


激痛に歯を食いしばり耐える。
すると、更に痛みは増した。
何が起こっているのかも分からず、とにかく痛みから逃れたくて足掻いた。
土が抉れる程に爪を立て、前へ進む。
しかし、右足が地面に縫いつけられたように動かない。
足首を動かし、何度地面を蹴っても進まない。
どうなっているのだと、天を仰ぐと男の笑顔が目に入る。
私の右足は歩み寄って来ていた加害者に、力の限り踏みつけられていたのだ。


「痛いですか?」


キンブリーは今まで見たこともないくらい楽しそうににやけ、私を見下ろす。


「良いですよ。その苦痛に歪む顔、その悲鳴。ずっとずっと見てみたかった。聞いてみたかった。もっとその声で鳴いて、私に聞かせて下さい。」
「誰が、鳴くか…ッ!」


私は残されていた左足で己を縫い止める足を蹴り飛ばした。
大して力を入れなかったが、どうにか足を退ける事は出来た。
その隙に再び体を起こし、右足を引き摺りこの悪夢から逃げ出す。
走ることは出来なかった。
布地に隠れた足の傷が想像以上に酷いらしく、殆ど動かない。
普段の歩みに比べてもかなり遅いこの状態では直ぐに追い付かれてしまう。
焦りが私を急かす。
しかし、彼は追ってこない。
ようやく数メートル進んで振り返れば、彼は一歩も進まずにその場に立ったままだった。




 
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