□一晩経過
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救急隊にキンブリーを引き渡して、私はそのまま軍の傷の男捜索隊に合流した。
けれども、傷の男とその連れの貧相な男は見つからなかった。
私達が現場まで戻る間に標的は逃走してしまったようだ。
一晩掛けて捜索をしたかった。
だが、吹雪いてきてしまっては断念せざるおえないかった。
自然は彼らに味方したのだ。


空が明るくなり始めた頃、キンブリーの運ばれた病院を訪れた。
私は消毒液臭い廊下を進み、教えられた病室に入る。
入ってすぐの寝台の上に彼は眠っていた。
医師の話ではまだ麻酔が効いていて、目覚めるのはもうしばらく経ってからだそうだ。
寝台の脇に椅子を置いて腰を下ろす。

安らかな寝顔だと思う。
薬がしっかりと痛みを消してくれているのだと安心した。
だけれど、一瞬ゾッともした。
大量の血が抜けて、普段よりも白さを増した肌。
呼吸をしているのかと疑ってしまうくらい静かに、浅くゆっくりと動く胸は止まっているかのよう。
それらのおかげで、死人のようとも思ったのだ。

手を伸ばして、眠る男の首筋に触れてみた。
指先から伝わるゆっくりとした振動。
これは己のものなのではないのかと一瞬疑ったが、自分の胸から伝わる音とはリズムが違う。
私の音はとても不安定に、壊れてしまいそうなくらいに急いていた。



物音に意識が目覚める。
私は椅子に腰掛けたまま、向かいにあった寝台にうつ伏せるようにして寝ていた。
いつ寝たのかは覚えていない。
というか、たった一晩の徹夜が堪えるなんて体力なくなっ…


「……。」


歳食った訳じゃないもん。
不摂生な生活でだらけただけだもん。
それもどうかと自分に突っ込んだが、起き上がるにもどうにもまだ体がダルい。
少々無理な体勢で眠っていたせいもあり関節が所々痛かった。
しかし、目が覚めた事でゆっくりと体と脳が温まり、痛みも段々と体に馴染んでいく。
物音の他に付近に気配を感じた。
それも二つ。
一つはこの病室に寝かしつけられた人物だとして、もう一つは誰だろう。
医者か、看護士か。
ぼんやりと予想していると、会話が聞こえてきた。
何を話しているのだろうか。


「この命綱ぶっこ抜くぞ。」


おかしいな、此処は病院じゃなかったのかな。
どう考えても白衣の天使の言葉じゃないぞ。
といった感想が出るくらい聞き取れた一言目は物騒な内容だった。
怒りを押し殺しきれていない地を這うような声。
これは知らない男のものだ。


「貴様の面倒はブリッグズ支部が見る事になっている。大人しくしていろよ。」


扉の閉まる音。
廊下を行く足音を見送って、続いてキンブリーの含み笑い。


「ふっふ…。イシュヴァール人はやはり面白い。」


そのか細い笑いが胸に突き刺さる。
イシュヴァール人。
今部屋を出て行った男はイシュヴァール人なのか。
そもそも、軍にイシュヴァール人が残っているものだろうか。
彼は、キンブリーは―――だから構うのだろうか。


「ふふ…。」


髪に何かが触れた。
指だ。
指の主は手持ち無沙汰なのだろうか。
一房摘んでは指に絡めて遊ぶ。


「…どうして、そう喧嘩ばかり売って歩くんですか?」


ぶっこ抜く云々より前の会話は分からないが、どうせそうに決まっている。


「起きたのですか?」
「私は寝ながら喋るんです。」
「そうですか…。」


キンブリーは吐息混じりにそう言った。
ただ、髪をいじるのを止めて、今度は私の髪に指を突っ込んで頭を撫で始める。


「アーデルハイド。宿はとりましたか?」
「北軍の方が用意してくれてます。」
「なら戻りなさい。」


首をもたげて彼を見た。
私の顔を見て、キンブリーは眉根を寄せる。


「やはり酷い顔をしている。」
「……死にかけに言われたくない。」


自分の方が酷い顔をしているクセに。


「でも、お言葉に甘えさせて頂きます。何かあったら…」


疲れているのは事実だった。
叶うのなら、さっきまでみたいな無理な体勢ではなく、柔らかい布団でゆったりと寝りたい。

今度は体をしっかりと起こした。
懐から手帳を取り出して、無地のページに宿の名前と電話番号を書き付け、最後に署名する。
そして、手帳から紙を切り離してサイドボードの上に置いた。


「看護士の方にでも電話して貰って下さい。」


私は、汚れたコートを羽織って病室を後にした。



 
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