◇F/Alchemist

□アメと鞭と
1ページ/5ページ





忙しい。
何故ならば、仕事が終わらないからだ。
しかし、仕事の量は普段と変わらない。
ならば何故か。
サボる奴が居るからだ。


「ぅぅ…」


憎い。
サボリ魔が親の敵並みに憎い。
私は紙に文字を書き付ける手を止めずに、椅子に腰掛け時折鼻歌を歌う男を睨んだ。
奴の手は何時からか止まり、ずっと鞭を持っていた。
なんでそんな物騒な物を持っているかって?
私が持って来てしまったんです…。

ブツはどこぞの冒険家が使うような長い鞭でも、女王様が扱うような特殊な鞭でもない。
よくある乗馬用の鞭。
新しい馬が入ったから、と知り合いに誘われて厩舎に立ち寄った際に、そのまま持ってきてしまった代物だ。
栗毛の額に星の浮かび出た人懐っこい可愛い馬でした。
でもって、鞭を持ってきてしまったのは、乗馬して、そいつに見とれてのうっかりミスだった。
しかし、部屋に戻ってきてすぐに返しに行こうかと思った。
なのに何が気に入ったのか、キンブリーはそれを私から搾取して、指先でたわませ遊びはじめたのだ。

優秀な副官として本来ならば、仕事をしろと窘めなければいけないのだが。
だがしかし!
こう、鞭を構えたその姿が妖しい空気を醸し出していて近づけない。
本能が危険要注意!と警告する。


「………」


よし、無視しよう。
で、彼が飽きたところで奪って、持ち主に返してくるという口実で逃げよう。
そう決めて、私は仕事に向かった。


「アーデルハイド」


そりゃもう黙って、黙々ちまちまと仕事をしていたのに、サボる上官が手招きして私を呼ぶ。
仕方なく席から腰を上げ、キンブリーのデスクの前に立った。


「…何でしょうか?」
「私の事、どれくらい好きですか?」
「……………ハ?」


キンブリーの予想外の質問に、自分には珍しい重低音が喉の奥から出た。


「また随分と可愛げのない反応ですね」


呟いて、キンブリーはあからさまに残念そうな表情になる。


「また随分と唐突なもんですから」


てっきり仕事の質問だと思ったのに、なんでそんな欠片も関係ない、しかも恥ずかしい質問を投げかけてくるのか。


「では、前もって申請しておけば、愛嬌たっぷりに答えてくれるのですか?」
「それはナイです」


言いながら、にっこりスマイル。
どう考えても有り得ない事なので、今ここで愛嬌たっぷりに答えてやった。
可愛げある可愛げの無い返答に、返ってくるのはいつも通りの長い溜め息。


「貴女が素直に表現してくれない性分なのは、承知していますがね」


机の向こうから鞭を持った腕を伸ばし、キンブリーは微笑む。
そのまますっと私の顎下に鞭の先をあてがうと、唇の端を歪ませた。
加虐的な笑みが、革の質感が、凶器として扱われた際与えられる痛みを想像させた。
その想像が私の動きを止める。
そのまま鞭は喉を触れるかどうかの近さで肌をなぞり、ゆっくりと軍服の襟へ辿り着く。


「たまには確認したい男心、ですかね」


茶化したような言葉に息を飲むと同時に、体の奥から熱くなる。
その反応をどうとったのか、キンブリーは笑みを深め、私の胸の中心を突いた。


「素直になるように調教してみましょうか」


言いながら、そのまま突いた切っ先を服の合わせ目から侵入させようとする。


「ッ!?」


慌てて正気を取り戻し、突きつけられた物を払いのけた。
ついでに、危ない奴に持たせちゃいけない玩具はむしり取ってしまう。


「む…」
「サッサと仕事する!」


肺の中に残っていた空気を全て使っての一喝。
それを受けて、キンブリーはつまらないとばかりに肩をすくめ、書類に向き直ったのだった。




 
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ