◇F/Alchemist

□二月十四日
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「ねえ、アーデルハイド」
「只今、アーデルハイドさんは仕事中でございます。ご用の方は伝言をどーぞ」


日に日に可愛げが目減りしてきている。
この私が声を掛けたというのに、彼女は必死に書き付けている書類から目を離しもしない。


「視線くらい寄越したらどうですか」
「今日こそは、残業なんかして仮眠室に泊まりたくないんです」
「私は構いませんよ。二人で残業しましょう」
「今、したくないって言ったじゃないですか!」


結局、言い合っている間も手を緩めないので、喉が渇いたと言って手を止めさせた。
彼女は、むくれながらも手早く茶の支度をしてくれる。


「知ってますか?」
「知りません」
「……アーデルハイド」
「ハイ、やり直します。何をですか?」
「異国では、二月の十四日に好きなヒトに贈り物をするそうですよ」


何か言いたげにこちらを見つめてくる。
茶の注がれたカップが雑に置かれた。


「へー。一つ賢くなりました。アリガトウゴザイマス」


なんとも言い難い調子でそれだけ言うと、アーデルハイドはパラパラと束ねられた書類をチェックし始める。


「そーいう風習に興味がないんで。…少佐の分は仕上がってますね。提出してきます」


…躾直しを考えた方がいいのだろうか。






二月十四日前日。
今日も忙しく、私は執務室アーデルハイドは外回り、と別々に行動をしていた。


「きゃあああーっ!」


そこへ、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。


「何事ですか?」


部屋を飛び出し、部下達の仕事部屋の扉を開け、発信源の室内に飛び込んだ。
そこで見たものは、床にうずくまる部下一名と、部屋の隅で泣きじゃくる私の副官。
それを遠巻きに見る軍服達。


「彼女に何をしたのですか」


どちらが悪かを判断するなら、六割方コチラだろう。


「じ、自分が、されたん、です…」


私に問われた部下そのイチはそう言った。
喋るのも辛いらしい。
どうにか上げて見せた顔には脂汗が浮かび、腹部が痛むのか両手で抱え、立ち上がれずにいた。


「アナタが?どういう事ですか、アーデルハイド」
「うぅ…」


話を振られたというのに、女は子供のようにべそべそ泣き続ける。
これでは一体なにが起きたのか把握できない。
ともかく、細い肩を抱いて泣き止むよう促した。


「アーデルハイド。泣いていては分からないでしょう」
「だって、アイツがぁー…」


彼女は涙で頬を濡らしながら、いまだに立ち上がれない部下を指差した。


「だ、そうですが?」
「自分はただ、コレを…」


腹を抱えていた部下が震える手で差し出したのは、ゴム製の玩具だった。
私はソレを見て、彼女の取り乱し振りに納得する。
部下の差し出した玩具を受け取り、訊ねた。


「彼女が蜘蛛を苦手とするのを知っていましたか?」


部下は無言で首を横に振った。
溜め息がこぼれる。
受け取った蜘蛛の玩具に視線を移す。
掌サイズのソレ。
とても精巧とは言いがたいが、毒々しい彩色に不気味なフォルム。
コレをいきなり見せられたなら、私も悲鳴を上げなくとも驚くだろう。
泣きもしないが。


「アーデルハイドも。たかが玩具ではないですか」


彼女の方にソレを向けると、アーデルハイドは短い悲鳴を上げて両手で目を覆った。
そのまま数歩後ずさり、私から距離を取る。
本当に駄目らしい。


「だって、だって!いきなり目の前にぃ…」
「で、返り討ちですか」


ふらつきながらもようやく立ち上がった部下そのイチ。
彼は丁度、鳩尾の辺りを押さえていた。
おそらく、拳か、またはつま先がそこにめり込みでもしたのだろう。


「同情はしませんよ。悪戯の報いですからね」
「違います!中尉がヒトを驚かせるのに良いモノはないかな、と仰っていのでソレを用意したんですっ」
「ほう」


私の相槌に、ビクッとアーデルハイドの肩が跳ね上がる。
怪しい。
疑ってくれと言わんばかりの態度だ。


「アーデルハイド。この玩具、誰に使うつもりだったのですか?」


彼女は一瞬、指の間から私を見た。
そして、再び声を上げ始める。


「うわーん!うわーん!」


あからさまな嘘泣きだ。


「ふむ」


私は手にしていた玩具を放り投げた。
勿論、彼女に向かって。


「ウギャアアアアア…ッ!!」


悲鳴の響く時になって、開けはなっていた扉からこの部屋をのぞき込んでいる聴衆が存在していたのに気がついた。




 
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