『猟奇殺人録』

▽1988-名古屋妊婦切り裂き殺人事件
 1988年3月18日、愛知県名古屋市中川区にあるアパートの会社員宅で、臨月の妊婦を両手を縛り上げて電気コードで絞殺した上、カッターのような薄い刃物で腹部を斜め一直線に切り裂き胎児を生きたまま取り出した事件。
 胎児の代わりに子宮に電話の受話器や車のキーを入れるなど常軌を逸した事件は、犯人が逮捕されないまま2003年3月18日に時効が成立した。取り出された胎児は足を切りつけられていたものの、病院でおよそ1時間の手術を受けて無事一命を取り留め、現在は好奇の目を逃れて普通に生活しているという。
 警察の初動捜査が被疑者を夫のみに絞ったものだったため、犯人を逃してしまったとされている。 警察の捜査で、最後に妊婦に出会った知人がアパートを出たのが午後3時。彼女の死亡時刻とほぼ一致していることから、知人がアパートを出てまもなく事件に遭遇したと判明。アパートと近所の住人から、不審人物の証言を得たほか、事件当日にアパート付近を通った通行人400人以上の人間をしらみつぶしに確認したもの、不審人物の行方は分からなかった。


▽1989-女子高生コンクリート詰め殺人事件
 数名の少年が女子高校生を41日間にわたり仲間の自宅2階の居室に監禁し、レイプ行為や非情な暴行を繰り返した挙句、被害者は死亡。死体の処理に困った加害者達は遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
 1989年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の被疑者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
 犯人が被害者の死亡に気づいたのは同年1月5日。この日はまだ平成元年ではなく昭和64年であった。


▽1992-大阪愛犬家連続殺人事件
 犯人である自称「犬の訓練士」の男性(当時39歳)は犬好きであり、ある日かかりつけの獣医師が子犬に筋弛緩剤(塩酸スキサメトニウム)を注射して安楽死させているのを見て、獣医師から口実をもうけて筋弛緩剤を入手した。 犯人は十分な知識も持たずに長野県塩尻市内の土地を借り、犬の訓練所を開業。営業資金は口コミや、自ら出向いて街で声をかけたりして集めていた。
 1992年4月ごろ、旧友の男性(当時25歳)と散歩中に偶然再会、しかしそのうち口論などのトラブルにより筋弛緩剤を注射して最初の殺人を犯す。 他にも1992年から1993年にかけて出資上のトラブルから計5人の男女を筋弛緩剤で相次いで殺害、遺体は訓練所の敷地内に埋めた。 警察は失踪した男女の共通点が愛犬家であったため、その線で捜索したところ犯人が浮上。1994年1月26日に殺人・死体遺棄の罪で逮捕された。


▽1994-福岡美容師バラバラ殺人事件
 1994年3月3日午前、熊本県玉名郡南関町にある九州自動車道玉名パーキングエリアのゴミ箱から、切断された左腕を清掃業の女性が発見した。同日、同じ九州自動車道の福岡県山門郡山川町にある山川パーキングエリアでも右腕が発見された。翌4日には熊本市にあるJR熊本駅のコインロッカーで胴体部分が別の捜査で訪れていた警察官により発見、また山川パーキングエリアで警察が回収していたゴミ袋から左手首が発見された。警察はこれらの発見遺体は同一人物の物と断定した。
 また、犯人逮捕後には、自供により熊本県阿蘇郡阿蘇町(現・阿蘇市)乙姫の原野で両足が発見されているが、頭部と右手首は最後まで発見されなかった。ゴミ収集車に回収されたとみられている。


▽1994-井の頭公園バラバラ殺人事件
 1994年4月23日午前、東京都三鷹市にある井の頭恩賜公園のゴミ箱に人の足首が捨てられているのを女性清掃員が発見した。駆けつけた警察官らが公園一帯のゴミ箱を捜索したところ、計27個に分断された手足・胴体の一部が発見された。 切断された遺体に共通する特徴として、すべて20cm間隔で切断されていることが挙げられる。また手足の指紋はすべて削り取られていた。しかし残っていたわずかな指紋から被害者は公園の近くに住む一級建築士の男性(当時35歳)と判明したがその他には犯人に結びつく物証に乏しく、2006年5月現在迷宮入りとなっている。
 また被害者の頭部、胴体の大部分は現在も見つかっていない。


▽1997-神戸連続児童殺傷事件
 1997年に兵庫県神戸市で発生した連続殺人事件。
 被害者が全て小学生であったこと、通り魔的犯行や遺体の損壊、挑戦状の郵送など残虐行為が目立つ特異な事件であったが、のちに逮捕されたのが14才の少年(少年Aとする)であったことが社会に最も強い衝撃を与えた。 また、この少年の容姿が美しく、ある匿名巨大掲示板では、ファンすら現れる始末であり、その残虐な行いと共に一部の非常識な人に悪影響を与えていると言われている
 この事件を境に、少年事件やそれに関連する法整備、少年事件におけるマスコミの対応などが大きく注目されるようになった詳細


▽2000-愛知主婦殺人事件
 犯人の高校生は、動機として「殺人の体験をしてみたかった」と供述していたが、学校内では極めて成績優秀であると見られていたため、その評判と犯罪行為との乖離が疑問とされた。そのため精神鑑定がなされ、犯行時にはアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であったと認定し、2000年12月26日に名古屋家庭裁判所は医療少年院送付の保護処分が決定した。

▽2001-池田小児童殺傷事件
 大阪教育大学附属池田小学校に侵入した37歳の男が、児童8名(1年生1名、2年生7名)を殺害し、児童13名・教諭2名に傷害を負わせた。犯人は殺人罪などで逮捕・起訴され、2003年8月28日に大阪地方裁判所で死刑判決を言い渡された。同年9月10日に弁護団が控訴するも9月26日に本人による控訴取り下げがあり、判決が確定した。裁判中も被疑者の遺族に対して罵倒したばかりか、判決言い渡しでも裁判長に暴言を吐いて退廷を命じられるなど、反省の弁は皆無であった。そして、2004年9月14日、大阪拘置所で死刑が執行された。死刑確定から1年ほどでの死刑執行は極めて異例であり、戦後の混乱期などを除けばおそらく史上最速とみられる。また、犯人は高校時代から自殺願望が強かったこともあり、死刑確定後は早期の死刑執行を望んでおり、最後まで遺族に謝罪することはなかった。

▽2002-北九州監禁殺人事件
 家族に殺し合いをさせ、児童にまで殺人や遺体の解体を行わせており、世界的にもほとんど類をみない残虐な事件と言える。あまりもの残虐さに、第一審では、検察側は「鬼畜の所業」と容疑者男女を厳しく非難した。詳細

▽2003-長崎男児誘拐殺人事件
 2003年7月1日午後7時頃、ヤマダ電機テックランド長崎本店に家族で買い物に来ていて、一人でゲームコーナーで遊んでいたT少年に対して、加害者の当時中学1年のМ少年が「お父さん、お母さんに会いに行こう」と騙す。路面電車に乗車、商店街を連れ回した後、長崎市万才町の築町パーキングビルで被害者を全裸にし、腹などに殴る蹴るの暴行を加えた。さらに、ハサミで性器を数箇所切り付け、欲求を満たした後、逃走の邪魔になると言う理由で突き落とし殺害した。

▽自殺サイト殺人事件
 容疑者である36歳会社員の男は人の苦しむ姿を見て興奮するという性癖を持っており、過去にも通りがかりの人などにいきなり襲いかかり口を塞いだとして逮捕されたという前科が3度、同様の行為を初犯から今回の殺人事件で逮捕されるまで50件以上行っていたことが判明。
 この男がもがき苦しむ人を見て興奮するという性癖へと走るきっかけとなったのは、容疑者が少年時代に読んだある快楽殺人を主題とした推理小説の挿絵からであると警察で供述している。
 その後、この男が目を付けたのが自殺サイトである。自殺サイトを物色し、自殺志願者を言葉巧みに騙し集団自殺に見せかけて被害者を呼び出しては殺害するという、快楽殺人という手口までに及んだ。


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