薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.01 春愁のエトランゼ 05
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仕事先の相手方との会食の日。
ペンを拾ってもらったことも含めると茅ヶ崎さんには3度も助けてもらった。
1日であんなに関わることになるとは思っていなくて、男の人は苦手だし、さらにあんな次元の違うような人と関わるなんて恐れ多いけれど、でも茅ヶ崎さんは本当に優しく接してくれた。
きっと私だからではなく、困っていた人がいたらみんなにそうなのだろう。

会社の女性陣にお誘いされても断ってるらしく、彼女がいるのでは?というのは有名な噂であった。

課長の代わりに茅ヶ崎さんとB社へ打ち合わせに行き、そのあとのランチで思わずヘマをしてしまい、お芝居をしていることを告げてしまったけども、茅ヶ崎さんは深く追求してくることはなかった。
声優と告げたとしてもアニメやゲームとは無縁そうだから大丈夫かなとは思ったけど、今はネット社会。
調べればすぐ何をやっているかバレてしまう。
本人も詮索されることを嫌う人のようで、他人の私に対しても深く踏み入ることはなかった。
友達でも恋人でもないから当たり前なのかもしれないけれど。
でも、社長と課長以外にも知ってもらえたのは正直良かったのかもしれない。
そしてそれが茅ヶ崎さんで本当に良かった。

ランチをした日以降、茅ヶ崎さんとは喋る回数も増え、たまに休憩室で一緒になれば話すことも多くなった。
そんなある日の出来事。
B社での仕事が終わったその夜、私と茅ヶ崎さんは2人で居酒屋にいた。

「そういえば立花さんってお酒飲めないんだっけ?」
「あっ、はい!弱くてすぐ意識を飛ばしてしまうので、姉からすごい止められてまして…」
「そうなんだ…。それは社会人として面倒だね。飲まないと怒る人もいるし」

ど、どどうしてこうなった。

最初は課長もいて3人だったのだが、奥さんから鬼電が来たらしく1時間もしないで帰ってしまった。
領収書切っといていいから!と告げて颯爽と帰って行き、今まさに茅ヶ崎さんと2人っきりという状況である。

「課長が無理やり連れてきたけど、立花さんこのあと用事でもあった?」
「いえ!特に何もないです!
土曜の明日はお休みなので全然大丈夫です」
「そっか、なら良かった。
でもさっきから浮かない顔だけど、何か悩みでもある?」

あ、やってしまった…!
ランチの時とはまた違って、2人っきりで緊張してますとは口が裂けても言えない…!
そんな、あなたに気があるんです、みたいな発言をしてはダメだ。迷惑以外のなにものでもない。
頭にとっさに浮かんだ悩み事を茅ヶ崎さんに告げていた。

「あ、あの…お芝居について…なんですが。
お芝居がその…単調だと言われてしまって。
もっと色々経験して、演技の引き出しを増やしておけとお叱りを受けまして…」

それは嘘ではなく、本当に最近悩んでいることだった。
久々にがっつり怒られてしまい、映画を見たり、本を読んだり色々したけど、経験に勝るものはなく、どうしたものかと悩んでいた。

「そうなんだ…。芝居に関しては全くわからないからアドバイスは出来ないと思うけど、相談や愚痴を聞くことくらいなら俺でも出来ると思うし、またご飯にでも行こうよ、ね?」

茅ヶ崎さんから王子様スマイルをもらってしまった……。
そして、すごく気を遣わせてしまった。
でも、また茅ヶ崎さんとご飯に行けるのは素直に嬉しいな。


茅ヶ崎さんに演技の相談もしつつ、たわいもない話をしていくうちに緊張もほどよく解け、茅ヶ崎さんとの会話を楽しむ余裕も出てきた頃、背後から自身を呼ぶ声がした。

「あれ、さつきちゃん?
あ、やっぱりさつきちゃんじゃない」
「と、時子さん!お疲れさまです!」
「何々?彼氏とデート?」
「ち、違いますっ!会社でとても良くして下さっている先輩です!」

声優の大先輩から声をかけられ、茅ヶ崎さんに時子さんを紹介しつつ、私が声優とバレないようにするのに必死だった。
何とかその場をやり過ごせたのはいいものの、サウナにでも入ったのか?とツッコミたくなるくらい変な汗をたくさんかいた気がする。

「茅ヶ崎さん、すみません。
時子さん、とってもパワフルな方で…」
「立花さんってさつきなんだね、下の名前」
「は、はい。そうですが…何かありましたか?」
「あ、ううん。何でもないよ。
ただ、ずっと苗字で呼んでたから下の名前知らなかったなって思って」
「そうですよね。なかなか知る機会ってないですよね」

「…まさか、ね」

「?? ごめんなさい、今聞き取れなくて、何か言いましたか?」
「え?ああ、いや。終電そろそろじゃないかなって思って。
立花さん、終電の時間大丈夫?」

茅ヶ崎さんに言われてハッとなり腕時計を見る。
確か、ここからだと職場よりも終電の時間が早かった気がする。

「すみません、全然気がつかなくて!
今、終電調べますね。茅ヶ崎さんは大丈夫ですか?」
「ああ、俺はまだ終電あるから大丈夫だよ」

すぐ携帯を開いて終電を調べる。
あ、ここの駅からだと あと15分後に終電だ。
歩いて10分くらいだから、急いだら間に合いそうだ。

「すみません、茅ヶ崎さん。
あと15分後に終電でした」
「そっか、なら急がないとだね。
駅まで送っていくから、もう出ようか」

会計を済ませ、お店を出る。
途中から茅ヶ崎さんの様子が少し変だったけど、私何かしちゃったかな。

ご馳走さまでしたと伝えても、「ああ、うん」としか返ってこない。そのあとはお互い無言で駅までの道を歩く。
路地裏のお店だっため、辺りにあまり人が歩いておらず、大通りまでは少し距離がある。

き、気まずい…。

茅ヶ崎さんとは今まで無言の時間もあったけど、こんなに気まずいと思ったことは一度もない。
とりあえず私が何かしてしまったことは明確なわけで、謝らなくてはと口を開こうとした瞬間。雨がパラパラと降り出した。

確か折り畳み傘が鞄に入っていたはずだと鞄を開き傘を探す。

「茅ヶ崎さん、私傘持ってるので…きゃっ!」
「どこ見て歩いてんだ嬢ちゃん!」

酔っ払いの男の人が前からぶっつかってきて、私は後ろに尻もちをついてしまった。
そのまま男の人は怒鳴って行ってしまったが、鞄の中身がほとんどが地面に飛び出してしまった。

「立花さん、大丈夫!?」
「す、すみません。よそ見していて…
あ、大事な書類が…!」

大事な書類をクリアファイルに入れていたとしても雨が降ってきた地面に落ちては濡れてしまう。
慌てて鞄の中身を拾うと茅ヶ崎さんも一緒に拾ってくれた。

「茅ヶ崎さん、すみません。
鞄の中身はこれで全部のは………茅ヶ崎さん?」

茅ヶ崎さんは何か手に持ったまま立ちつくしていた。

「……これ…」

終わった。私の人生完全に終わった。
ギュっと心臓を鷲掴みにされ、自分の体温が一気に下がったのを感じた。


茅ヶ崎さんが手にしていたのはエロアニメの台本。
昨日の夜、会社が終わってから収録があり、台本をそのまま鞄に入れたままだった。
声優がバレたとかそんなもの以前に、言い逃れが出来ないような卑猥なタイトルと表紙に描かれた服の乱れた女の子のイラスト。
終わった、アニメの台本だとは気づかないとしても変態だと思われた。

このまま消えてなくなりたい…

「ご、ごめんなさい!本当にごめんなさい!」

もうどうしていいか分からず、茅ヶ崎さんの手にある台本を奪い取り、そのまま駅の方に走った。
今、説明しなくても月曜日に会社で会ったら気まずいけれど、とにかく今を逃げ切りたかった。


1番知られたくない人に、知られてしまった。


「待って! 雨降ってて、もう終電も間に合わないのに、どうやって帰る気!?
それにここ人通り少ないからタクシーも通らないよ」

「お、お願いします…離して……」

あっという間に追いつかれ腕を掴まれる。
頭がパニック状態で何も考えられず、目からは涙がボロボロと流れ落ちた。

「小泉桃花」
「え…? な、んで…」
「ビンゴ…か。
もう終電間に合わないし、雨で濡れたし……こっちきて」

なぜ、その名前を茅ヶ崎さんが知ってるの……?

頭が真っ白になり、足が地につかない浮遊感に襲われ、血の気が引く感覚がした。
ただ、腕を掴まれていたところの感触だけがやけにリアルで、きっともうあの頃には戻れないのだろうと茅ヶ崎さんの背中が涙でどんどん霞んでいった。

腕をを掴まれたまま、連れてこられたのは言わばラブホテルだった。
どうして裏名義の名前を知っていたんだろう、台本を見て気付いたというのか、これからどうしようと頭の中でいろんなことがグルグルして、もう爆発寸前であった。

部屋に着くと茅ヶ崎さんは濡れたスーツの上着を脱ぎ、私の分の鞄も一緒にソファーに置くとドアの前で立ちつくしていた私の方に視線を向けた。

「すぐ近くにあったからラブホ来たけど、まずはシャワー浴びておいでよ。話しは後で聞くから。
体濡れて気持ち悪いでしょ、風邪もひくといけないし」

「……………」

「何? それとも一緒に入りたいの?」

「い、いえ!そんな…!」

「そう、なら早く行っておいで。
終わったら次に俺もシャワー浴びるから」

私は茅ヶ崎さんから逃げるように浴室に駆け込んだ。
熱いシャワーが雨で冷え切った体を温めていく。

「鈍臭いから、そうなるんでしょ?
もっと頭使えって言ってんだよ!」

デビューして間もない頃に先輩に言われた言葉を思い出した。



人付き合いも仕事も、いつも最後は上手くいかない。

2017.8.28.

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