薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.01 春愁のエトランゼ 10
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「今何してるの!? ちゃんとご飯は食べれてるの!?
お父さんといい、さつきといい、なんで何も連絡寄こさないの!」
「えっと、お姉さん?
今にも倒れそうだから、一旦落ち着いて」

姉らしき人物が俺の後ろにいる立花さんの腕を引っ張り詰め寄る。
顔面蒼白でふらつく彼女の手を取り、腰を支えて倒れないよう自分に引き寄せると立花さんの手はひどく冷たくなっていた。
久々に会ったようだが、どうして姉と対面しただけで、こんなに怯えるのだろうか。
自分に声優だとバレた時、彼女はパニックに陥っていて、「これ以上、居場所を奪わないで」と泣いたことに繋がるというのだろうか。
自分の中で勝手に憶測だけが巡り、答えはもちろんわからない。

未だに震えている立花さんを落ち着かせるように、胸に引き寄せると、少し顔色が良くなったように見えた。


「あなたは彼女の親族の方ですか?」
「あ、はい。さつきの姉の立花いづみと申します。
あなたはさつきとどういった関係なのでしょうか」
「大変失礼しました。
今、さつきさんとお付き合いさせて頂いております、茅ヶ崎と申します」


腕の中で彼女の体がビクッと跳ねたのがわかった。
今は任せてと口で伝えられない分、泣いた赤子をあやすように背中を優しく叩き落ち着かせる。

「さつきの彼氏……」

少し驚いたような顔をして俺の腕の中に未だいる彼女を見ると、姉と呼ばれる人物は少しずつ冷静さを取り戻したようであった。

「あ、あの…2人で物件見てましたよね…?
恋人同士なら同棲する部屋探してた、とかですか?」

ブラウンの髪の色をした少し気弱に見える青年が申し訳なさそうに俺と立花さんの姉との会話に入ってきた。

「え?ええ、まあそうですが」
「! あの、私MANKAIカンパニーの主催兼監督をしていて、現在住み込みの団員を募集しておりまして、もしご興味があればどうでしょうか…?」
「住み込み…」
「監督!これから同棲しようとしてるカップルに何言ってるんすか!」

青年の言葉が耳に入っていないのか、立花さんの姉はそのまま続ける。

「団員寮があるんです。平日の夜と週2回、稽古に参加して公演に出れば朝晩の食事は無料です!」

寮費と食事がタダになるのは正直かなり嬉しい話だ。
本来2人部屋らしいが、1人部屋で使用してもいいとのことで、荷物が多い俺にとってもかなり良条件。
詳しく話を聞いてもいいかもしれない。

「さつきも寮においでよ。
私の部屋を一緒に使えばいいし」

立花さんの姉である監督さんが、彼女の目線に合うように少し屈むと、先ほどは打って変わってとても優しい声音で話しかけた。

「お姉ちゃん、すごく心配なんだよ。
もしお金に困ってたりするなら寮においで。そこからお仕事通うのもありだと思うよ。
彼と一緒なら心強いだろうし」


そりゃこんな状況で彼女が頷くわけはない。


「一度、さつきと話し合ってみるので、後日改めてご連絡する形でもよろしいでしょうか?」
「はい!ぜひお願いします!」



立花さんの姉と団員と思われる青年4人に挨拶をして その場を去り、会社に戻るため2人で駅まで歩く。
立花さんは彼女たちと別れた後も一向に口を開こうとせず、足元は未だに覚束ないため、腕を引いてそのまま電車に乗った。

しばらく電車に揺られていると、ぽつりぽつりと彼女が喋り出した。


「……どうして、あんな嘘…ついたんですか」

あんな嘘とは恋人同士だと言ったことだろうか。

「言ってほしくないように見えたから。
職場の同僚ですって。
昼間は派遣で働いて、実は……」

今にも泣きそうな彼女が目に映って、続きの言葉を飲み込んだ。

「言ってほしかった?
あの場所で、お姉さんの前で」

下を俯いたまま首を横に振った彼女の瞳から涙がこぼれた。
それは安堵の涙なのか、もしくは……また憶測で話すのはやめよう。
彼女も含め今は寮に入るかどうかだ。

「今晩うちにくる予定だったし、その時に話そう」

彼女が静かに頷いたあとは会社までお互い無言だった。



仕事を終え、立花さんと一緒に我が家に帰宅した。
この流れもいつの間にか定着したなと思いながら、彼女をソファに座らせる。

「少しは心の整理ついた?」
「……さっきよりは。でも今も、頭の中がぐちゃぐちゃです」
「そう。……俺は寮に入ろうかなと思ってる。元々課金とかのために家賃浮かせたかったしね。
稽古とか面倒ではあるけど、まあそれだけやってれば問題なさそうだし」

ゲームの音や食事を作る生活音で満ち溢れていたこの部屋は、今は別物のように感じるほど静寂だった。

「立花さんはどうするの?
寮に入るのか、入らないのか」
「……元々、家族から離れるために一人暮らしをしてきたので、姉がいるなら私は…」
「そんなにお姉さんにエロゲ出てることがバレるの嫌?」
「!!!」

細く伏せられた目が大きく開き、ぶわっと目から涙が溢れ頬を大粒の雫が伝って落ちた。

「お、お願いします……お姉ちゃんにだけは…言わないで、下さい。お願いします……」

「寮に入らないって言っても、一度見つかってしまえばバレるのは時間の問題だと思うよ。
俺を使って立花さんの住んでる所に行くことなんて簡単だしね」

「………」

「立花さんの秘密、守ってあげようか、お姉さんから」

「…え?」

「元々会社に言わない、秘密は守る代わりに俺の世話をするっていうのが約束だったし、寮に入っても俺の世話を引き続きしてくれるなら」


一緒に住むとなると声優という職業を寮の人間全員に明かすことになる。
そうなれば遅かれ少なかれ何かバレるかもしれない。
守れるという保証はどこにもない。半分口から出まかせの言葉だったが、それで彼女が少しでも安心するのなら、今はそんな不確かな言葉でも言わずにはいられなかった。


「茅ヶ崎さんは……迷惑では、ありませんか?」
「正直、面倒ではあるけど、快適にゲームができるなら俺はそれで。
それに、今までの生活は悪くなったし」

数週間という短い期間だったが、人のいる生活も悪くはなかった。
恋人でも友達でもない曖昧な関係だったからこそ、成り立ってきたことかもしれないが。

しばらく考え込んだ彼女が出した答えは、寮に入るということだった。


「じゃあ今週にでも話を聞きに行こうか」
「は、はい」
「あ、もう立花さん呼びじゃダメか。
付き合ってるって言っちゃったし」
「そ、そうですね……姉も立花ですし」
「さつき」
「え、あっ、えっと」

先ほどまで泣いてた顔が一瞬にして真っ赤になり、名前を呼んだだけでこの狼狽えっぷりである。

「職場では茅ヶ崎さんでいいけど、それ以外は至ね。ハイ、呼んで」
「い、いいいいいたたた」
「さつき、そうじゃないでしょ。
い・た・る」

壊れたロボットのよう口をパクパクとさせる彼女の反応が面白くて、つい意地悪をしてしまった。

「顔真っ赤にさせて名前呼んだんじゃ即バレだよ。ちゃんと呼べるようにならないと。ほら呼んで」

「い、いたる、さん」


これは、なかなかの破壊力である。


「さん付けじゃなくてもいいけど、まあいっか。これは照れずに呼べるまで特訓かな」

彼女の服の中に手を忍ばせて腰を優しく撫でる。

「ち、茅ヶ崎さん何を!」
「ハイ、残念。特訓コース突入です」
「茅ヶ崎さん、こ、こんなところで…やめて、下さい…!」
「違うでしょ、ちゃんと名前呼んで」
「い、至さん、やめて…下さい」

「やめてあげない」

耳を甘噛みしながら、手は彼女の服のなかを弄り始めた。
顔を真っ赤にさせて言われても逆効果ってことそろそろ学ぶべきだと思う。
まあ、手慣れてきた彼女なんて、あんまり見たくないからこのままでいいか。


散々彼女のことをいじめ抜いて泣き疲れたのか、俺のベッドで裸で無防備に眠る立花さんを眺めていた。

今日あのまま別れていたら彼女は自分の家で夜通し泣いたかと思うと、ここに来て少し気が紛れただろうか。
彼女の家庭事情も、彼女に関しても知らないことだらけだ。
別に家庭事情に首を突っ込むつもりはないし、面倒だから正直知らないままでいいとさえ思う。
だが、咄嗟に彼女を庇ったり、守ってやるだの自分らしくないことをした。
彼女を縛り付けて、俺は結局どうしたいんだろうか。
好きにでもなったというのだろうか。

確かめようと眠る彼女の顔に近付く。
あと数十センチでキスができるというところでピタリと止まり、ザッと彼女から離れた。


身体中にじわっと脂汗が滲み出る。
キスをしようとするとどうしても拒否反応が出てしまうのだ。
彼女と何回も男女の関係になっているが、唇にキスをしたことは一度もない。
ほかの人より心を許している立花さん相手でも無理のようだ。
これは一種のトラウマというものなんだろう。
人との間に一線引くようになったもの、上手く恋愛ができなくなったもの、全ての原因は間違いなく"あの人"だ。

「厄介だなあ…ほんと」

俺の呟きは暗闇へと溶けていった。


***


劇団に入らないかと勧誘された日から数日後。
天鵞絨町にある劇団の寮に詳しく話を聞くため駅から歩いている最中、ふとさつきが立ち止まった。

「い、至さん。
1つだけワガママ言ってもいいですか?」
「何?プリペイドカード買ってとかだったら全力拒否」
「ち、違います!それは今、至さんが欲しいものですよね」
「あ、バレた」
「寮に着くまで、いえ一瞬でいいので、手を…握ってくれませんか…?
そ、その…さっきから手の震えが止まらなくて……」

これは彼女からの初めてのワガママではないだろうか。
そんなことに俺は思わず笑みがこぼれて、ふっと笑いながら手を差し伸べた。

「お手をどうぞ、お姫様」
「あ、え、その…!」
「道の途中で急に挙動不審になったら通報されるよ、ほら早く」
「………あ、ありがとうございます」


そっと重ねられた手は少し震えていて冷たかったが、少しずつ温かさを取り戻していき、寮の前に着く頃には彼女の震えも止まっていた。
この恩はガチャ代打でもして返してもらおうかな。




この選択が未来を大きく変えることになるとは、この時 微塵も思っていなかった。



To Be Continued...


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