薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 11
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「今日は至さんがさつきの引っ越し作業のため、綴くんは執筆作業のためお休みです。2人だけですが、はりきって稽古していきましょう!」
「よろしくお願いします!」
「ヨロシクダヨ」

いづみの「まずは柔軟から!」という声を合図に咲也とシトロンは稽古場の床に座り柔軟を始めた。


「監督はさつきさんのお手伝い行かなくて大丈夫だったんですか?」

監督に背中を押してもらったりと補助をしてもらいながら柔軟をしていた咲也がふと思った疑問を投げかけた。

「手伝おうかとは言ったんだけど、荷物少ないから車出してくれる至さんだけで大丈夫って」
「至とさつきはラブラブアベックネ!」
「あ、あべっく……?」
「シトロンくん、どこで覚えたの…死語だよ、それ」


終始穏やかな空気が流れる稽古場とほぼ同時刻。
至とさつきはさつきの部屋で引っ越し作業を進めていた。

「ここだけ異様というか、息子のエロ本見つけた母親の気分」
「あ…えっと……出演した作品の頂き物のサンプルをどこに仕舞うか考えた末、洋服に紛れさせてクローゼットかな…って」

クローゼットの中身が全部段ボールへと入れられ、2人の前に残ったものは、さつきが出演した作品のサンプルがキレイに収納された箱のみとなった。
備え付けの家具が多かったことと、一般の成人女性の荷物より少ない量しかないさつきの部屋は、生活感があまりなく殺風景だったが、クローゼットの奥にひっそり仕舞われていた箱の中身はこの部屋の中で抜群の存在感を放っていた。

「ゲーム機やCDなんかは、もう引っ越し用の段ボールに入れたんですけど、これどうしようなかって…。
さすがにR指定のものを学生もいる寮に置くのは気が引けるというか」

姉と同室の部屋にさすがにこれは危ないだろう。
箱の中に入ってるものを手に取り作品を確かめれば、仁科さつき名義のもから小泉桃花名義の出演作品のものがずらりとあり、オタクからしてみれば宝の宝庫である。

「売るにしてもサンプルじゃ管理番号あってダメだし、処分はしたくないんでしょ?」
「そうですね… トランクルームに預けるとか…」
「うーん……まあ段ボール数個くらいの量っぽいし、俺の部屋にでも置く?」
「お願いしてもいいですか?
あ、やりたいものとか聞きたいものあれば、お好きに開けてもらっていいので」
「マジか。非売品多くてテンション上がる」

「むしろ差し上げます」と言われ無駄にテンジャンが上がってしまった俺は、さっそく箱の中身を物色しながら仕分けつつ段ボールに詰めれば、これでひと通り引っ越し作業が終了した。
ほとんど荷物は実家に置いてきているらしく、必要最低限ものしかない部屋は俺の部屋とは大違いで、業者いらずの引っ越しは羨ましい限りだ。
先週終わった自分の引っ越しは骨が折れる作業ばかりで、しばらく引っ越しはしたくないなと積み上がる段ボールを見てため息が漏れた。


「じゃあ寮に戻ろうか。
そういえば夕飯の買い出しもしてくんだっけ?」
「あ、はい。食料買って帰らないと今日もカレーになっちゃうので…
お姉ちゃんのカレー絶品なんですけどね」

苦笑いを浮かべるさつきの顔を見て、さつきがいなかった寮での短くて長い3日間を思い出した。
監督の作るカレーは確かに絶品で最初こそ喜んで食べていたが、3日間朝晩2食のカレーづくしはある意味地獄だった。
4日目もカレーはもうさすがに勘弁である。
喜ぶのは監督大好き真澄くらいだ。


買い物を終え、車で劇団の寮へ向かう。
当初は寮に向かうだけで緊張していたさつきもだいぶ表情が柔らかくなと車中で楽しく話すさつきを見て思う。

劇団と寮について話を聞きに行ったあの日から寮に入ることを決めて今に至るまで、終始顔を強張らせていたさつきは、春組の3人と支配人に少しずつ慣れたようで、会話に笑顔が増えてきていた。
さつきが曖昧にであったが声優であることと派遣で働いていることを自らの口で告げると、皆一様に尊敬の眼差しをさつきに向け、支配人に至っては場内アナウンスをお願いしたいと張り切っているくらいだ。
咲也は演技についてさつきに色々聞いていたり、綴はさつきの家事を積極的に手伝ったり、真澄は監督の妹ということもあって、初日からやたらさつきに構う姿も度々見かけたし、シトロンに関してはさつきを笑わせるためか、いつも以上に変なことを連発して監督に怒られていた。
春組の皆の性格故か当初懸念していていたことは今後なさそうな気もするが、やはり問題は監督自身だろう。
はたから見れば少々シスコン気味の良き姉だが、声優の仕事に関してあまりに何も干渉してこない監督に少し違和感を覚える。
まだ少しの期間しか見ていないから正確にはわからないが、ゲームで培った感がそう告げる。


「ただいま戻りました」
「おかえりなさい!
さつき、至さんお疲れ様!
あ、今日カレーでいいかな?」
「お姉ちゃん、稽古で疲れてるでしょ?
今日は私が作るよ。
だからカレーはまた今度作ってほしいな」


時々どちらか姉なのかわからなくなるが、仲睦まじい姉妹を見てホッと小さな笑みがこぼれた。
まあゲーム脳の俺の推測はさておき、俺がわざわざ突っ込んで話をややこしくする必要はどこにもないわけで、そっとしておくのが1番いいだろう。


***


春組の稽古を程よくやって9時に終わらせゲームをする日常は、想像より平穏な日々であった。
今日は体調が悪いということで、稽古を休み部屋にいた。というのは表面上の理由で、本来は俺がやっているオンラインゲームのイベント開始日で、会社が終わってすぐ引きこもっているというわけだ。


「至さん、さつきです。入りますね」

部屋のノックと共にさつきが部屋に入ってきた途端、いい匂いが鼻をかすめた。

「さすがさつき、グットタイミングでの夜食をありがとう」
「それはよかったです。今日はシャケと昆布のおにぎりと追加のコーラと、あと適当にお菓子見繕ってきました。これで足りますか?」
「うん、完璧。さつきは一流のメイドになれるよ」
「ふふ、お褒めの言葉として受け取っておきます。
でも派遣のお仕事の次は家政婦のお仕事をしてみるのも楽しそうです。
あ、追加で持ってきたコーラは冷蔵庫で冷やしておきますね」

さつきが時々見せる憂いを帯びた笑顔。
そんな顔をさせたかったわけじゃないんだけどなと言った後に少し後悔してみても、俺には彼女の抱えてるものをどうにかできる術を持ってはいない。
部屋にある小さな冷蔵庫に飲み物を入れてくれているさつきの背を眺めながら、おにぎりを口に放り込んでいた。


「ゲームしなくて大丈夫なんですか?」

飲みかけのコーラとほかほかのおにぎりをもぐもぐと食べていると、さつきが俺の脱ぎ散らかした服を畳みながら首を傾げた。
いつもはゲームをしながら片手間に食べていたため、こうやって落ち着いて夜食を食べてる姿は珍しいのだろう。

「あと10分後に集合だから今のうちに食べないと多分食いっぱぐれる」

なるほどとすべてを察して服を畳む手を早め、テキパキと散らかしたものを片していくさつきが有能すぎて、これでは俺がどんどん堕落していく。
いや、そうしてほしいと願ったのは俺本人か。


「それじゃあ私はもう行きます。
明日もお仕事あるので、あまり無理はしないで下さいね」

おにぎりが乗っていた皿を回収しながら、ふわりと微笑むと、そのまま部屋を出ていった。

さつきは俺のゲームの邪魔を一切しない。
寮に来る前、俺が部屋でゲームをしてると大抵さつきはペンを握りしめ台本チェックをしていた。
これがもしカップルなら放っておかないでよととっくに泣かれているところだろう。
彼女は何もかもが完璧すぎる。私生活は若干鈍臭い彼女だが、この手のことに関しては完璧だ。
それは寮に来て毎日接してから余計感じることだった。

他人の顔色を伺ってばかりの生き方は疲れるだろう。
実際俺はもう体験済みである。
休日に外に出るのは億劫だが、ちょうど予約してたゲームとフィギュアの発売日が日曜だし、日頃の感謝を込めて、日曜にどこかに連れて行ってあげてもいいかもしれない。


「あ、やば。集合1分前」


急いでPC前に座り直すと、もうゲーム内のチャットは賑わっていた。


2017.9.18.

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