薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 15
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みんなが朝練を始めてから私にできることといえば、いつもより少し早目に起きて朝食を作ったり洗濯したりすることくらいで、変わったことといえば、朝食をあまり食べなかった真澄くんがみんなと揃って朝食を食べる機会が増えたということだろうか。

みんなが演じている姿が好きだし、あまり乗り気ではない至さんが気怠そうにしつつも朝練に欠かさず参加しているということが何より嬉しかった。
最初は本意ではなくとも、せっかく演劇に触れたのだから、演じる楽しさを少しでも知ってほしい。
決して至さんに直接言うことはないことだけど、私のささやかな願いでもあった。

今日も朝練から戻ってくるみんなのために朝食を作りながら、自分と至さんの分のお弁当も作っていく。
この人数のご飯を作るのにもだいぶ慣れたものだ。
昨日の夜に下準備していたおかずや今朝パパッと作ったものなどをお弁当に詰めていると、リビングの扉が開く音がして、支配人の松川さんかなと音がした方を気にしていると、その音の主は松川さんではなく真澄くんだった。

「あれ?もう朝練終わったの?」
「ううん、今は休憩中。水なくなったから取りに来た」

タンブラー片手にスタスタとキッチンまでくれば、ウォーターサーバーからタンブラーに水を入れる真澄くん。
朝に弱い彼はまだ眠いのか、重い瞼を何度か瞬きしている姿は、いつもより少し幼くて可愛らしい。
言ったら怒られそうだから、これは私の心の中に秘めておこう。



「………この間はごめん。泣かせるつもりなんてなかったのに」

唐突な言葉に料理を作る手が止まる。
至さんとのことを聞かれた時のことだと一瞬でわかった。

「真澄くんは全然悪くないよ!
私こそ急に泣いちゃってごめんね。年上なのに情けないね」

真澄くんは何も悪くない。
精一杯の笑顔を作って微笑むと真澄くんが少しホッとしたように見えた。
真澄くんもこの話題を深く掘り下げる気はないようで、話題はすぐ違うものへと変わった。


「…………それ、食べたい」


水を汲み終わった真澄くんの視線が私の手元にあるお弁当に注がれていた。

「これお弁当だからあげれないけど、お弁当のおかず余ったから、真澄くんの朝食にプラスしてあげるよ」
「それは嬉しいけど違う。
俺も昼にさつきの弁当食べたい…」

ふと出た言葉に嬉しさが込み上げてきた。
お弁当は格別特別なものが入っているわけではない。
この場を繋ぐための言葉だったとしても、ただただ嬉しかった。

「さつきの手間になるなら諦めるけど…」
「2つが3つになっても全然苦じゃないよ!
こんなお弁当でいいなら喜んで作るよ!」

嬉しさを噛み締めていると私が悩んでると思ったのか、真澄くんが少し困った顔になってしまい、慌てて全力で否定をして、すぐさま私が持っている予備のお弁当箱を棚から出す。

「私のお弁当箱なんだけど、これじゃ小さいよね…。
今日はこれで我慢してもらうか、買ってきてからにするか、どうしようか?」
「今日はそれでいい」

ピンクの花柄のお弁当箱を使う真澄くんを想像すると申し訳ない気持ちとなんか可愛いなというほっこりした気持ちになった。

「今日、真澄くん専用の買ってくるよ。
どのくらいのお弁当箱がいいかな?」
「至より食べる。至のよりたくさん入れて」

こうして度々至さんに対抗するかのような真澄くんの言葉に、なんだか男の子の兄弟を見ているようで微笑ましい。
真澄くんは落ち着いていて大人びた印象が強いけれど、たまに見せる年相応な子供らしい部分がとても可愛らしい。

「ふふ、じゃあ一緒に買いに行こう!
あ、咲也くんと綴くんとシトロンくんもお弁当いるかな?」
「…咲也は購買のパンが好きだって言ってたからいらない。綴は学食あるからいらない。シトロンは家にいるから論外。
これ以上増やすの禁止」

ぶすっと膨れる真澄くんに思わず笑みがこぼれる。
そんな中、今日の夕方に待ち合わせをして2人で買いに行くことを約束すれば、真澄くんは朝練に戻るとキッチンを離れた。
稽古場に向かおうとリビングの扉の前まで来ると、ふと振り返りパチンと目が合った。


「至に泣かされたら、いつでも俺のところに来ていいから」


そのひと言だけ告げて、リビングの扉をバタンと閉めた。
私の「……ありがとう」という言葉が真澄くんに届いたかはわからない。
また真澄くんの優しさに触れた気がして、心がじんわりと温かくなった。


***


真澄くんとお弁当箱を買いに行って、結局私と至さん、真澄くんと咲也くんの分のお弁当を作ることになった。
そんなとある日曜日。声優の仕事を終え、みんなが食事中か食べ終わった頃であろう夜の8時頃に寮に帰宅すると、いつもは賑やかなリビングがやけに静かだった。

今日は仕事で夜遅くなるからと姉に夕飯を任せたから姉の大好物のカレーなはずだ。
そんなカレーの日に姉の楽しそうな声も聞こえてこない。
少し不思議に思いリビングの扉を開けると、そこには姉と松川さんだけのようだった。
少し空気が重いのは気のせいだろうか。

「た、ただいま」
「あ、さつきおかえり」
「さつきさん、おかえりなさい!」

姉が私の分の夕飯を準備してくれて、姉が作ったカレーを食べながら、今日の出来事を教えてくれた。
元春組で今は演劇学校の教師である鹿島雄三さんが観に来て指導してくれたらしいのだが、姉も含めみんながっつりダメ出しをされたのだそうだ。
雄三さんの言葉は厳しく、それでいてとても的確だったらしい。それにみんな意気消沈したのか、ご飯もろくに食べることなく各自部屋に戻っていったということだった。
落ち込んでいるみんながまた前を向いて頑張っていけるよう、しっかりサポートしていきたいという姉の言葉に、私も陰ながらサポートできればという思いがさらに強くなった。

「至さんも落ち込んでると思うから、あとでのぞいてあげて」
「う、うん。わかった。このあと部屋に行ってみるね」


私が行ってどうなるとは思えない。
それでも少しでも前を向くきっかけになればとご飯を食べたあと至さんの部屋に赴いた。

至さんはいつも通りゲームをしていたけれど、どこか落ち込んでいるような浮かない顔で、ゲームを楽しむというより、ただ淡々とゲームをこなしていた。

「雄三さんが来たこと、姉から先ほど聞きました」
「そう」
「食べたいものとかありますか?
何か軽いつまめるもの作ってきます」
「……食欲ないから今日はいいや」

上の空で生返事しか返ってこず、どうにかこの重い空気を変えようと今日あった出来事をできるだけ明るく話した。

「あ、そうです!
PCゲームなんですが乙女ゲーのヒロインの声を担当することが今日決まったんです」
「そう。おめでと」
「そ、それで、中世ヨーロッパのお話なんですが、ディボルトみたいなキャラがいて…」
「だから何?」

私の言葉を遮って至さんがゲームの画面から視線を私に移す。
その目はいつもの優しい目ではなかった…。

「ここにきた要件はそれじゃないんでしょ?」
「えっと…その……差しでがましいとは思うんですが、私…春組の皆さんの演技が好きです。
今はまだ荒削りでも、みんなで切磋琢磨していけば、とても素敵な舞台になると思うんです。だから−−−」

次の言葉を言おうとした瞬間、視界がぐらつき気付けば床を背に天井と至さんの少し怒った顔が目の前にあった。
押し倒されたことを認識する間もなく、至さんの低く静かな声が部屋に響いた。

「もう黙って。今はいいからそういうの」

怖いういう感情よりも、至さんの弱さに触れることが許されない悲しさで心がいっぱいになる。
少しは心を許してくれていると思った。
距離が近付いてると思っていた。
少し近付いたと思った距離がスッと開いたような気がした…。


「……ごめん。もう疲れたから今日は寝るね」


その言葉だけ残して、私の上から退くと至さんは軽く散らかったテーブルの上を片してPCの電源をオフにする。
片付けを手伝おうと倒れた体を起こし至さんの元へ向かおうとすれば、いいからと止められ部屋を出て行くよう促されてしまった。


至さんの部屋を出てリビングへと戻る。
明日の朝食とお弁当のおかずの下準備をして、お風呂に入って自分の部屋に戻ると、先ほどとは違って少し嬉しそうな姉の姿があった。

「お姉ちゃん、何かあった?」
「あのね、咲也くんたちの部屋の扉が開いてて中覗いたら布団がなくて探してみたら、劇場の板の上で5人で寝てたの。
舞台から逃げないで向き合おうとしてくれたことが嬉しくて、私も頑張ろうって思ったよ」


喜ばしいことなのに、みんなが前を向いて頑張ろうとしてるのに、どうしても心がチクチクと痛んだ。



こんな私じゃ何もできない。




2017.10.10.

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