薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 17
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「話があるから、後でバルコニーに来て」と端的なメッセージを監督に送信をして返信を確認してから部屋を出た。

監督に告げる内容は、誰にも相談はしていない。
相談したところでどうだという話でもない。
監督もああそうですかと頷いてくれるかは正直わからない。
だが、今言わなければという衝動だけで動いていた。


「あ、もう来てたんだ」

バルコニーに着けば監督がバルコニーの手すりに体を預け、外の景観を見ているようだった。
俺の声で来たことに気付いた監督は振り向き、「話って何ですか? あ、椅子にでも座りながら話しましょう」と言いながらお互いガーデンテーブルの椅子に腰を下ろした。


「監督さんには最初に話した方がいいと思ってさ」

この人に回りくどく言ってもダメだろう。
深刻さが出ないようなるべく笑顔で軽く、結論を簡潔に述べた。

「色々考えてみたんだけど、俺 劇団やめるね」
「え!?」

何か演技の相談か何かだと思っていたのか、俺のその発言を聞いて、大きい目がさらに見開かれる。

「元々、俺 浮いた家賃と食費をネトゲにつぎ込もうと思って、この劇団に入ったんだ。
演劇にも興味ないけど、稽古に出て脇役やるくらいなら何とかなるかと思ってさ」
「そんな理由だったんですか……」
「それなのに結構セリフは多いし、みんな一生懸命やってて俺だけ場違いな気がしたんだよね。
今のうちにやめた方が、ほかの人探す時間もあるからいいと思う」

監督の顔がどんどん曇っていく。
演劇が人一倍好きな監督にこの発言は耐え難いかもしれない。

「そういうわけだから、みんなには明日話そうかと−−−」
「待って下さい!」

終始無言だった監督が俺の言葉を遮った。

「演劇には今でも全然興味はないんですか?
みんなと舞台に立つことなんて、どうでもいいんですか?」

監督とさつきが重なって見えて、俺は咄嗟に監督から視線を逸らした。

「朝練に出たりしてくれたじゃないですか」
「それはゲームのためで…」
「ゲームをやるだけなら、朝練に出なくてもできます。
さつきが言っていました。しっかり基礎練もやってるって」

思わずため息が漏れた。
やはりこの人に「はい、そうですか」と上手くいかないようだ。


「本当は、俺もちょっとみんなに当てられて、その気になりかけてた。
このまま公演までゲーム時間減らして頑張るのもいいかと思ってさ」
「だったら−−−!」
「でもダメだと思う」
「何でですか!?」
「俺は咲也や綴みたいに、みんなと打ち解けて一緒に頑張っていくことなんてできない。
人と深く関わることが苦手なんだ。共同生活だって、あんまり好きじゃない。
だから、咲也たちみたいに全身全霊を打ち込むことなんて、きっと無理だ」

「それが本当の理由ですか?」

監督に引き下がる様子はなく、俺の目を見てはっきりと言葉を紡ぐ。

「このまま続けてみて、やっぱりダメだったら、みんなに迷惑がかかるだろう?」
「じゃあ、みんなや公演のことが、どうでもいいわけじゃないんですね」
「そりゃあね。短い期間だけど一緒にやってきたわけだし」


俺の言葉を聞いて監督が少し考え込み、そして少し間をおいて、口を開いた。


「あの子は…さつきはどうするんですか?」

都合がいいように付き合ってるって言ってあるし、妹の話が出てくることは一応想定はしてあった。

「さつきは、ここにいさせてあげて。
俺がここを出てくだけで、一生会えないわけじゃないし、まだあの会社を続けるなら会社でも会えるし」
「もちろん至さんには劇団としても残って欲しいです。それと同時に、あの子にとっても至さんは必要です!」
「……さあ、それはどうだろう」

監督の言葉に思わず本音が漏れた。
さつきに俺が必要だとは思えない。
むしろいなくなった方がいいとさえ思える。
お人好しだから自分のことは二の次だし、俺という重りがなくなった方が、少しは楽になるんじゃないかと思う。

先ほどまで威勢がよかった監督は目を少し伏せて、静かに話し始めた。


「高校のときに当時付き合ってた人と色々あって、さつきは男性が苦手になりました。
そしてそれが原因で私たち家族から逃げていくように家を出たんです…」

「……それは、俺が聞いてもいい話?」


監督がこくりと頷いて、俺は監督の話にそっと耳を傾けた。


「私が直接聞いたわけではないので、詳しいことはわかりませんが……。
当時、さつきが付き合ってた人はさつきが声優をやっていることを知っていました。
応援してくれていると本人も嬉しそうに話してくれたので、当時私も嬉しかったのを覚えています。
会ったのは数回ですけど、物腰が柔らかくて、とても優しそうな好青年でした」

話が進むにつれて監督の声が震えてきていた。
監督の様子からして楽しい話ではないことは容易に想像ができる。

「でも高校3年生の冬、さつきがボロボロになって帰ってきたことがありました。
母も私も驚いて原因を聞いたんですが、泣いてばかりで、その時は何も話してはくれませんでした…。
少し経ってボロボロになって帰ってきた原因は、当時付き合っていた彼だとわかりました。
それがわかった時には、さつきは学校を休みがちになっていて、私は居ても立っても居られなくて、学校まで乗り込んで彼を見つけ出して問いただしました」


目を伏せた監督の目から、ぽたりぽたりと涙がこぼれた。


「そしたら彼が笑いながら「あんな気色悪いやつが彼女なんて無理。お姉さんもかわいそうだね、あんな妹を持って」と言われ、頭にきてぶん殴ってやりました。
学校中でさつきが援助交際をやってるとか枕営業してるっていう噂があることないこと広まっていて、私が知った頃にはもう手遅れでした」

「……やっぱり知ってたんだ、小泉桃花のこと」

「可愛い妹が一生懸命頑張ってることを私たち家族が知らないわけないじゃないですか。
あの子が彼や学校の友達に直接どんなひどいことを言われたかはわかりませんが、心に深い傷を負ったことは確かです。
心の優しいさつきのことです。私たちに知られないよう、迷惑がかからないように家を出て行ったんだなと思いました。
さつきが声優の仕事を大好きなのは知ってます。だからどんな形であっても応援したいと思って、母も私も一人暮らしに反対しませんでした。
さすがに派遣で働いていたことは知らなかったので驚きましたけど、お金で大変なら少しでも私たちを頼って欲しかったなとは思います」


何を言われても辞めなかった声優の仕事。
家族から逃げるように家を出ても続けたかったこと。
なぜそんなに頑張れるのか。
きっと俺がその立場なら挫折してるだろう。


「駅前で久しぶりに会って、そんなあの子が至さんと付き合っていると聞いて、あの時すごくホッとしたんです。
嬉しかったんです。心を許せる大切な人が出来たんだなって」
「……そんな可愛い関係じゃないと思うけど俺ら」
「それでもさつきを知った上で心の支えになってくれていることは見てわかります。
だから、さつきの悲しむ顔を私はもう見たくないんです」


きっと俺はさつきを傷付ける存在になり得る。


「だから、もう少し待ってみてほしいんです…!」
「……それでダメだったら?」
「そのとき考えましょう」
「後々困ることになると思うけど」
「私が責任を持って何とかします」


早くここを出て行った方がいいと思う。
気付いた頃には遅く、俺は頭とは違うことを口にしていた。


「……わかったよ。じゃあ、保留にする」


なぜそんなことを口にしたのかはわからない。
監督に言いくるめられたから?
さつきの過去に同情したから?
言葉に言い表せない、俺の知らない感情が頭を支配する。


「みんなにもこの話をしていいですか?」
「ん?ああ、元々話すつもりだったしね」
「さつきには、至さんから直接言ってあげて下さいね。
私から言うよりいいと思うので…」


俺が言っても泣かせてしまうだけだと思うが、それを今 監督に言ってもしょうがない。
俺は「わかった」とだけ告げて、バルコニーを後にした。



ゲームのようにリスタートできたらよかったのになと頭の片隅で思う。

そしたら俺は、どこまで戻そうか………



2017.10.22.

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