薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 18
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人生の起点をあげるならば、それはきっと高校3年生の冬だろう。


中学生で声優の養成所に入り、無事に16歳の時に事務所の準所属となった。
オーデションを受けては落ちるの日々だったけれど、主役とまではいかなくても、名前のある役を貰えたり、地道にではあるがお仕事を貰えることが少しずつ増えていった。
決してトントンと順調だったわけではない。
でも狭き門をくぐり声優という肩書きを得たからには、こんなところで挫けている時間はなかった。
何度も役のオーデションに落ちたとしても、腐ることなく前向きに頑張っていけたのは、応援してくれている家族と当時付き合っていた九条有馬くんの存在が大きかったと思う。

同級生でバスケ部の部長だった有馬くんとは2年生の時に初めて同じクラスになった。
2年になってすぐの頃、一度告白されたのだけれど、まだ彼のことをよく知らなかったし、声優の仕事もあったからと、仕事のことは伏せてそれとなく断った。
それでも有馬くんは嫌な顔ひとつせず、今まで通り変わらず接してくれた。
何かと毎回席が近かったり話す機会がたくさんあったこともあって、ほとんど周りに話したことがなかった声優の仕事についても話すことが多くなった。

運動神経抜群でリーダーシップもあり、誰にでも優しい彼は、少し大雑把なところもあったけれど、笑顔が絶えない人だった。
2年生の秋にもう一度有馬くんから告白され、彼と晴れて付き合うことになった。
付き合う前と変わらず有馬くんは優しくて、バスケ部のエースだった彼は部活動が忙しいにも関わらず、放課後や休日などデートに誘ってくれたりした。
デートの回数は多くなかったけど、できる限り一緒に登下校をしていた。
そんな些細なことだったけれど、学生の時の私はそれが愛されているなと幸せを感じる瞬間だった。


高校3年生になり私生活の充実さとは相反して、声優の仕事は低迷気味であった。
用事があって事務所に顔を出した時、マネージャーから新しい仕事について話を切り出された。

「18歳になったし、新しいことにチャレンジしてみてもいいと思うの。
役幅が広がっていい勉強になると思うわ」

差し出された資料には、かわいい女の子が描かれていた。
さらっと文字に目を通すと、アダルト美少女ゲームという文字が目に入り、思わず資料から顔を上げた。


「あ、あの…これって……」
「一応18禁のPCゲームだけど、そういう描写は少ないみたい。
ギャルゲーは何本も経験あるし、その延長線だと思って、これも経験だよ。
エロゲー通った有名な人たちがたくさんいるの、さつきも知ってるでしょう?」
「……私、やってみます。やらせて下さい!」


あの時の私に迷いはなかった。
今のこの状況を打破したかった。ステップアップしたかった。
チャンスがあるなら掴みたい。ただその一心で私はその世界に飛び込んだ。
脇役で初めて出た学園もののエロゲーは大ヒットし、瞬く間に色々なメディア展開がなされた。
歌も歌う機会があたったりと本当に様々な経験をさせてもらった作品だった。
そしてこの作品を機に少しずつ仕事が増えていった。
どうしても裏名義の仕事の方が多くなっていったけれど、演じることができるそのことが何より楽しくて生きがいだった。

有馬くんには裏名義の仕事は伝えてはいない。いずれバレてしまうかもしれない。
声優の仕事を誰よりも応援してくれる有馬くんなら、きっとわかってもらえる。そう思っていた。
何だかんだ伝える機会を逃し続け、気付けば進学か就職か考える季節になっていた。


「さつきも大学行くんだよな?」
「うん。そのつもりだよ。
有馬くんはスポーツ推薦だったよね」
「あ、あのさ。さつきさえ良かったらなんだけど、同じ大学行かない?
さつきの学力なら問題ないはずだし」


手を繋いで歩いていた足がぴたりと止まる。
確かに同じところに行けたら嬉しいなとは思った。
けれど本人から言われるとは思ってもみなくて嬉しさのあまりフリーズしてしまった。
そんな私を見て有馬くんは「ダメだよな…やっぱり」とシュンとしてしまい私は慌てて彼の手をギュッと握り返した。

「ううん、行きたい!有馬くんと同じ大学に行けたらいいなって思ってた!」
「本当?うわ、やった。俺、今めちゃくちゃ嬉しい」

彼のはにかむ笑顔に私もつられて笑う。
本当に幸せだった。学科は違うかもしれないけれど、同じ大学に通える未来を想像するだけで、心が満たされていくのがわかった。

時間が合えば一緒に図書室や図書館で勉強を教えてもらったりと、私は仕事と両立しながらなかなか忙しない毎日を送っていた。

冬休み前の模擬試験でA判定をもらったから、今日の帰りに有馬くんに報告しようといつもより浮き足立って彼の教室に向かう。
高校3年になって残念ながらクラスがわかれてしまったが、迎えにきてもらったり、彼のクラスに行く楽しみが増えたと思えば悲しくはなかった。

教室にいた有馬くんを見つけて、ドアの近くにいた子に呼んでもらおうとした瞬間、彼もこちらを気付いたようで荷物を持って「帰ろうか」と2人で教室を後にした。


「…少し話があるから、裏庭寄っていってもいい?」


彼の言葉に頷き裏庭まで歩く。
制服にマフラーではもう肌寒くなってきたななんて思いながら有馬くんに着いて行く。
裏庭に着いて人がいないことを確認した彼は神妙な面持ちで口を開いた。


「小泉桃花ってさつきの芸名…?」


その告げられた言葉に、私は頭が真っ白になった。


「な、んで…」
「クラスのオタクに聞かれた。お前の彼女ってエロゲ出てんの?って。
適当なこと言うなよって言ったら、小泉桃花が出てるやつ聞かされて、嘘だろって思って名前調べたらさつきの名前出てきた」


何か言おうとしても喉の奥に突っかかった感覚があり、上手く言葉にならない。
何か、何か言わないと。大丈夫、ちゃんと説明すれば有馬くんなら、きっとわかってくれる。
そう一生懸命考えて私の口から出た言葉は、謝罪の言葉だった。

「ご、ごめんなさい…」
「本当なんだ…」
「…すぐ言わなくて、ごめんなさい。タイミングが掴めなくて…」

俯く彼の手を取ろうと手を伸ばそうとした、その瞬間。

「で、でもこれも声優の仕事で……」
「触んな!」

伸ばした手を力一杯振り払われ、その反動で私は後ろに倒れこむ。
泥水の冷たさに気付かないくらい、目の前で起こった現状に私の頭は追いつけていなかった。

「…家族は知ってんの?」
「声優やってることしか、知らないと思う」
「かわいそうだな。
自分の娘が人前で喘いでるなんて知ったら。
お前プライドないわけ?」


いつも優しくて笑顔の彼は、もうそこにはいなかった。
汚いものを見るような冷めた目が私を見下す。

「自分の彼女が誰にでも股開くクソビッチみたいな女とか気色悪すぎ。
そんなやつに騙されてたと思うと反吐がでる」
「それはお芝居の話で、私は有馬くんしか……!」

立ち去ろうとした彼を追いかけようと立ち上がり「待って!」と大きい声を出せば、彼は振り返り酷く顔を歪ませて私に言い放った。

「どうせ偉い人たちにも媚び売ってんだろ。どうせお前顔だけじゃん。
声優じゃなくてAV出る方が向いてるよお前」

我慢していた涙が溢れて出して止まらない。
上手く説明できていたら変わっただろうか。
隠さずきちんと伝えていたら理解してくれただろうか。
ぐちゃぐちゃに混乱した頭で考えても答えなど見つかるわけもなく、私はただただ泣き続けた。

制服も汚れ、泣いて腫らした顔のまま帰宅すれば、母や姉に心配され、その温かさに私は声を出して泣いた。
姉に抱きしめられながら、私は声を枯らすまで泣き続けた。

母や姉に理由を聞かれても、私はただ首を横に振るだけだった。
とてもじゃないけど言えなかった。

あと3週間ほどで冬休みだし、彼とは別のクラスだから会わないようにすればと、重い腰をあげて登校することにした。
土日の2日間引きこもって、ほんの少しだけ心の整理が出来た。
彼と別れたとしても私は大学に行くという意思は変わらない。声優を辞めるという意思も変わらない。
けれど、その心意気も虚しく一瞬でへし折られてしまった。


「淫乱」「クソビッチ」


机に書かれた罵詈雑言に足がすくんだ。
ハッと周りを見渡すとクラスメイトは目線を逸らして、ヒソヒソと話しながら嘲笑う声が聞こえる。

「立花さん援助交際してるらしいよ」
「え?私は枕営業してるって聞いたけど」

「ヤらせてくれるって本当かな?」
「バカお前。いくら顔可愛くても変な病気うつされたらどうすんだよ」


気付いたら私は教室を逃げ出していた。

出席日数のためと登校する度に、勝手に一人歩きした噂やイジメはエスカレートしていき、私はいつしか学校に行くことが出来なくなり、引きこもるようになった。
私の意思など見るも無残に呆気なく散っていった。

受験勉強のために仕事をセーブしていたから、ほとんど仕事もなく、ただ引きこもる毎日だった。
母も姉も学校からイジメのことは聞いていたようで、学校に行かない私のことを責めるようなことはなかった。
こんな出席日数ではもう大学進学は厳しいだろう。声優の仕事もこのままフェードアウトしてもいいかもしれない。
彼の言う通り向いてなかったんだ。

そんなジメジメとした考えが頭をぐるぐるしていた時に、トントンと部屋の扉を叩く音がして、すぐに母の声が聞こえた。

「さつき入るわね。
お散歩がてら、お使い頼まれてくれない?
ずっと部屋にいたら身体なまるでしょう。
たまにはお天道様の光浴びてらっしゃい。
余ったおつりで好きなの買ってきていいから」

財布と買い出しの内容が書かれたメモを手渡される。
「それじゃ、よろしくね!」と部屋を後にした母の背を見送って、私は部屋着から着替えマスクと帽子を被って外に出た。
2月という寒い季節にしては珍しく日差しが出ていて暖かい。
ただ何となく遠回りしようとスーパーとは逆の方向に歩き出した。

走る車や木々や花々を見ながら歩いていたら、いつの間にか遠くまで来ていた。
立ち止まってあたりを見渡せば、大学のキャンパスがあり、あまり来ないところまで来てしまったようだ。

母に頼まれたものを買って帰ろうと踵を返した瞬間、見知らぬ男性とぶつかってしまった。
男性は携帯をいじっていて前を見ていなかったようで、立ち止まって急に振り向いた私と運悪くぶつかってしまったようだった。

「す、すみません」

男性の荷物が手から落ち中身が散らばってしまい、私は謝罪をしながら慌ててしゃがみ込む。

「いえ。こちらこそ、すみません」

散らばった教科書や参考書を見ると大学生のようで、男性と一緒に散らばったものを拾い上げる。
すると、ふと見たことのあるアニメショップの袋から、ゲームやCDが入っているのが見えて私は思わず男性に問いかけてしまっていた。

「そのPCゲーム…好き、なんですか?」
「え?ああ、うん。まあ女の人が見て楽しいやつじゃないと思うけど、俺の周りは好きなやつ多いかな」
「そう、なんですね…。
あ、これで全部だと思います。ぶつかってしまって、本当にすみませんでした」

男性に拾ったものを渡して、頭を何度か下げてその場を立ち去った。
男性の目を見るのが怖くて、直接顔は見ていなかったけれど、そのゲームを好きかと問えば少し気怠い声が明るくなったように聞こえた。
男性から逃げるように走ってきたせいか心臓が速く打ち、立ち止まって乱れた息を整える。


男性が持っていたのは、私が出ているゲームの続編のソフトと私のキャラクターソングのCDだった。

男性は、あの作品が好きなのであって、私のことを好きだとかそういうことではないのはわかっている。
でも、それでも私が携わった作品を好きだと言ってくれる人がいた。
勝手な思い込みかもしれないけれど、ちゃんと好きだと言ってくれる人がいる、今はただそれだけで救われる気持ちになった。

やっぱり私は声優を辞めたくない。

私の意思なんてとても単純で、そして純粋にそう思った。
そして私は大学進学を辞め、高校卒業後すぐに実家を出て一人暮らしを始めた。

正直食べていけなくて、泣きそうになる日もあった。
仕事が上手くいかなくて逃げ出したい時もあった。
何度も人の温かさに、すがりつきたい時があった。



「タオルと水持ってきたよ。
さつきどうしたの?どこか痛む?」
「ううん、違うの…本当に怖い夢見ただけだから」

姉の優しい手が頭、背中と撫でる。
あの時と変わらない。姉の優しさが温かくて、私はそっと静かに泣いた。





夢見が悪かったその日の夜稽古で、至さんが劇団を辞めようと思ってることを知らされたのだった−−−。





2017.11.6
ちなみに、あの男性は至さんです。
昔に出会ってたらいいな、なんて

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