薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 19
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「やめるって、本気なんですか!?」
「一応保留ってことにはなってるけど」

夜の稽古を始めようとした矢先、至さんが話があるからとみんなを集め口にした言葉は「劇団をやめようと思う」そのひと言だった。
至さんは表情を一切崩すことなく、ただ淡々と簡潔に私たちに告げた。


咲也くんたちがなぜだと詰め寄る中、ふと姉を見ると、唇をギュッと噛み締め、少し顔を伏せていた。
姉はこのことを知っていたんだろう。今日みんなに話すということもすべて。

至さんが少し様子がおかしいことは感じていた。
でも、一度拒絶された以上、もう踏み込めなかった。
また拒絶されるのが怖かったから…。


「……やめたければやめたら。そしたらさつきの負担も減る」
「ま、真澄くん…!私、そんなことは…」


前に出ようしたら、真澄くんの手で止められ、藤の花のようなキレイな紫色の瞳が私を見つめる。


「今までと同じように家事やって、朝と夜の稽古まで手伝って、やる気のないやつのためにさつきが寝る時間削る必要ない」
「おい!真澄!」
「真澄くん、至さんがやめてもいいの!?」


綴くんと咲也くんが真澄くんに詰め寄れば、眉間にシワを寄せ、より一層不機嫌になった。
真澄くんの腕を掴んでいた咲也くんの手を振りほどいて、真澄くんは吐き捨てるように言葉を続ける。


「やる気がないならやめればいい。あのおっさんも言ってた」

「そうそう。もう潮時だと思う。
もし、やめても みんなのことは応援してるからさ」


今まで無表情だった至さんが、にっこりとした笑顔で笑う。
「まだやめるって決まったわけじゃないですよね!?」と咲也くんが必死に問えば、「まあ、そうだけど」と至さんは曖昧な返事をして言葉を濁した。


「ゲームよりも舞台の方が面白いってわかったら、本気になってくれるんすか?」
「わからない。ゲームより面白いものなんてなかったし」
「確かにゲームは最高のエンターテインメトネ」
「舞台だってそうです!」

みんなが至さんに必死に訴えかける度、至さんから少しずつ笑顔が消え、至さんは深いため息を漏した。


「…だから、こういう咲也との温度差もあるからさ」


稽古場に静寂が生まれる。至さんの少しイラついた口調。
それは、これ以上 踏み込んでこられたくないという拒絶にも感じた。

みんなそれ以上言葉を口にすることはなく、少しの沈黙が続き、それに見かねた姉が口を開いた。


「舞台にかける情熱は人それぞれです。比べてもしょうがありません。
それよりも至さんがみんなと舞台をやっていきたいかどうか、大事なのはそれだけです。どうですか?」

「…考えさせてくれ」

そして再開した稽古は問題なく終えたが、それでも尚、みんなに漂う空気は重いままだった。
私は誰よりも先に部屋に戻った至さんを追いかけ、部屋に入ろうとしたところで声をかける。


「至さん!…やめるって本当ですか?」
「さすがの俺でも、あの場で嘘はつかないよ」

劇団をやめてほしくない。
姉も咲也くんたちも私だって、みんなそう思っている。
でも、私には止める方法がわからない。
何をどうすればいいか考えていると、ふと視界が暗くなり、身体が温かい何かで包まれた。
頭の上から至さんの声がするまで、私は抱きしめられていることを理解できずにいた。


「お願い、このまま聞いて」
「い、たるさん…?」

「俺はここを出て行くけど、さつきは残れるよう監督に言ってある。
……だから、全部終わりしよう」


それは、とても落ち着いていて優しい声音だった。


「あの交換条件をする前に戻ろう。
大丈夫、さつきの秘密は言ったりしないから。
……本当にごめん。ありがとう」


抱きしめられていた腕が弱くなり、そっと身体を離される。
目が合うことなくバタンと扉は閉められ、至さんは部屋の中へと姿を消した。

私は頬を伝う涙を拭うことも忘れ、ただただ立ち尽くした。
次第に涙がボロボロと溢れ出し服を濡らす。
至さんの言葉を理解した頃には、もうすべてが遅かった。
どうして、今気付いてしまうんだろう。

何度も味わった心の痛みの正体。



私、至さんのこと…好きなんだ−−−



泣きながら部屋に戻った私に姉は少し驚いていたけど、理由は何も聞かずに ただ抱きしめてくれた。
私は泣き疲れて寝たようで、朝起きてみれば姉のベッドで一緒に寝ていた。
朝ご飯は私が作るから、さつきはまだ寝てていいよと頭を撫でられ、私は再度深い眠りに落ちた。

起こされた頃には、もう太陽も昇っていて暖かい陽射しが部屋を包む。
時計を確認すれば時計の針は9時を指していて、遅刻だと飛び起きると姉はクスクスと笑った。

「今日、派遣の方の仕事お休みなんでしょう?」
「あ……そうだった」

お昼から声優の仕事があったのを思い出し、いつもより遅めの朝食を姉と一緒にとっていると携帯が鳴り画面を覗く。
するとそれはマネージャーからLIMEのようで、アイコンをタップしてページを開くと、少年誌のヒロイン役が最終オーデションまで残ったという嬉しい報告だった。

「お姉ちゃん、今日の夜オーディション入ったから遅くなりそう。
夜ご飯もお願いしていい…?」
「うん、大丈夫だよ。
だから、お仕事もオーディションも頑張っておいで」
「うん。ありがとう」

まだ至さんはやめると正式に決まったわけじゃないんだから、今は仕事の頭に切り替えて頑張らなくちゃ。



お昼からあった声優の仕事が終わり、オーディションをやる場所まで1人で向かう。
どんな役のオーディションでも緊張はするが、少年誌のヒロインという大きな役のオーディションはより一層緊張する。
緊張でいつもより冷たくなった自分の手をギュッと握りしめ、歩く足を速めた。


この時の私は、自分が思った以上に弱かったんだと思い知る。


私はいつからこんなに泣き虫になったんだろう……


2017.11.19.

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