薄花桜に囚われたままの愛と哀と藍と

□act.02 愛の酷薄 22
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「そこを動かずに待ってて」と電話を切り車でさつきの元に急ぐ。
何を聞いても電話先では「ごめんなさい」と何度も繰り返されるだけで、多分自分の現在地も正確に言えないくらいパニックに陥っているのだろう。
自分とさつきの携帯会社が同じなら電話番号だけで位置情報が確認できるサービスがあったはずと咄嗟に思い出しスマホを取り出す。
幸い同じ携帯会社だったようで、すぐさま位置情報を確認すれば、ここから車で15分程度の場所にいるようだ。
彼女がいると指す地図を確認しながら、急いで車を走らせた。

近くに車を駐め位置情報を確認しながら足早に向かえば、カバンを抱きしめながらうずくまっているさつきを見つけホッと胸をなでおろす。

「さつき」
「…ぃ……さ……」

なるべく優しく名前を呼ぶとさつきはそっと顔を上げる。だが、その顔は涙で濡れていた。

「ケガは?痛いところはある?」

さつきの視線に合わせるようにしゃがみ、そう問えばゆっくり首を横に振る。
電話越しに話した時よりはだいぶ落ち着いて見えるが、泣いている女子の慰め方はどうすればいいのかわからないなと思いながらもさつきの背中を何度かさすってみれば、また瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちた。
これは頭を撫でた方が良かったのかもしれない…

「……近くに車駐めてあるから、寮に帰ろう」

そうさつきの肩を抱き、立ち上がらせようとすれば、足に力が入らないのかさつきは膝から崩れ落ち、前に倒れかける寸前のところで抱き寄せた。

「あっぶな…」
「っ…ごめん、なさい」

小さく出た声は掠れ、聞こうと思わなければ聞こえないほどに、ひどくか細い声だった。
上手く歩けないさつきを背負い、車まで戻る。
寒空の下にずっといたせいか、さつきの体は氷のように冷たかった。


「さつきと同じ携帯会社で助かったよ。携帯番号で位置情報出るサービスを使う日が来るとは思わなかった」

泣く声を無理やり抑えているのか、すすり泣く声が自分の後ろから微かに聞こえる。
泣いている原因を直接聞いていいものか悩みながら言ったその言葉にも「ごめんなさい」という掠れた声が返ってくるだけだった。



「………オーディションって聞いてたけど、何か嫌なことでもあった…?」


さつきの体が少し強張ったのが背中越しでもわかった。
少しの沈黙の後、さつきは夢見が悪く嫌な過去を思い出したこと、オーディションであったことをぽつりぽつりと呟く。
小さく途切れ途切れの言葉に、俺はただそっと耳を傾けた。
嫌な過去の内容は伏せていたが、監督でさつきの姉でもあるいづみから過去の話を聞いていた俺に、その言葉は胸が締め付けられるような話であった。

何気ない些細な言葉でも、時として容易く凶器になり心を抉る。
そして、それは心的外傷…トラウマとして心を蝕み続ける。
誰にだって嫌いなことや苦手なもの、はたまた何かしらのトラウマだってあるかもしれない。
事の重大さなど他人に量れるものではない。


「……無理よ。やっぱり茅ヶ崎くんとは付き合えない」

俺の脳裏にチラつくあの人の光景を追い払おうと車に向かう足を早めた。


駐めてある車まで戻り、後ろに倒した助手席にさつきを横に寝かせる。
なるべく丁寧な運転をしながら寮まで急ぐ中、さつきは先程の話の続きを またぽつりぽつりと口にした。


「…続けたくても、できない人もいます。
続けられる環境があっても……去る人もいる……なんて贅沢なんだと、思いました」

その言葉に俺も含まれて言われているんだろう。そんなことを頭の片隅で思いながら、ただ静かにさつきの声を聞いた。

「…とても贅沢です。恵まれてます。
辞めることを…止めてくれる、仲間が私には……」
「さつきには応援してくれる、背中を押してくれる家族や劇団のみんながいるよ」

「私にはいない」とそう呟く前に俺の口は勝手に動いていた。
恵まれている人間は、自分の恵まれてところを気付けずに、他者を羨ましいと妬む。
俺からしてみれば、自分以外の人間は恵まれすぎているとさえ思う。
だからと言って、今自分は不幸だと思うわけでもない。そこに興味がないだけだった。

「………その中に、至さんはいますか?」
「そうだね。劇団を辞めた後も俺はさつきのことを応援するよ」



数分後には静かになった車内にさつきの小さな寝息が聞こえてきた。
寮に着くなりスマホを取り出し監督に電話をかける。
軽く事情を説明し、扉を開けてもらい またさつきを背負い監督たちの部屋に向かった。

「妹がご迷惑をおかけして、すみません」
「いや、このくらいべつに平気だよ。先輩に色々言われて過去のこと思い出したみたいで相当混乱してた。明日はずっと一緒にいてあげて。
会社には俺から休ませてもらえるように言っておくから」
「ありがとうございます」

監督は深く頭を下げる。監督さんも色々思うところはあるのだろう。
さつきをベッドに寝かせ、顔を見れば幾分か顔色はマシになったように見えた。

「私、まだ洗い物残ってるので、片してきます。
温かい飲み物作るので、もし良かったら至さんの部屋まで持っていきますよ」
「…なら、お願いしてもいいかな?」
「わかりました。あとで持っていきますね」

監督が部屋を出ていくと、部屋には俺とさつきの2人となった。
静かな空間にはさつきの規則正しい寝息が聞こえる。
もう大丈夫だろうと そっと立ち上がりそのまま部屋の電気を消す。さつきが起きないよう静かに扉を閉め部屋をあとにした。

逃げ出したい時は逃げてもいいと俺は思う。
現実世界でどうして傷付いてボロボロになるまでやり遂げようとする必要があるのか。俺にはわからない。
ゲーム以外で熱くなったことなどないから、そんなことわかろうともしなかった。



「そうだね。劇団を辞めた後も俺はさつきのことを応援するよ」
「……あり、がとうございます。
その言葉が本当に、嬉しいです…」

車でのさつきの言葉を思い出していた。
俺は人を諭すことも叱咤するようなタイプでもないし、そんなことができるほど出来た人間でもない。
元々仁科さつきのファンでもあったし、さつき自身に対しても応援しているというその言葉に嘘偽りはない。
だが、応援しているという言葉はあまりにも単調でありきりたりな言葉だ。
もっと上手く励ます言葉のひとつでもかけられれば良かったのだろうが、あいにくこの手の俺の語彙力の乏しさがただ露呈するだけだ。
そういうところは俺より監督さんの方が上手いだろう。

……人と深く関わることを避けてきた頃の俺には、今みたいな発想が出てきたこと自体に今更我ながら驚いた。
さつきと出会って、そして劇団に入って環境だけではなく確かに少しずつ俺の感情も変化している。
どうするのが正解なのか、やはりリアルの世界にも攻略本があれば楽なのになと、スリープモードだったPCを起動させた。

普段考えないようなことで頭を悩ませながらゲームをしていれば、いつの間にか寝る時間を過ぎていたようで、いつも以上に寝不足のまま寝ぼけた状態でスーツの袖に腕を通した。
朝ご飯を食べ損ねコンビニで何か買って行こうかと考えながら玄関までの廊下を歩いていると、右肩が少し重くなった。

「イタル、いってらっしゃい」
「亀吉、俺の名前覚えたのか」

重みを感じた肩には、どうやら亀吉が俺の肩に止まったかららしい。

「イタル、オタク。あんまりゲームするなヨ」
「うるさいな」

あまりにも動物らしからぬ発言をする亀吉とやりとりしていると廊下の角から人が飛び出してきた。


『待ってよ、お父さん!』
「……は?」

急に飛び出してきたのは焦った様子の真澄で、さらに真澄の口から出てきた言葉に理解が追いつかない。
悩む暇もなく真澄は言葉を続けた。

『お母さんと離婚するなんてウソだろ?』
「なんの真似だよ、真澄」
『お母さん、泣いてたぜ?親父だって、本当は信じてるんだろ?』
『待ってて。オレ、お母さんを呼んでくるから!』

いつもの様子の違う真澄の横に今度は綴と咲也まで加わり、非常にカオスなことになっているが、自分に説明もないまま何やら話は勝手に進んでいく。

『お母さん、お父さんが行っちゃうよ!ほら、引き留めないと!』
「え、まさかさつきか監督どっちかが母親役……?」

咲也の言葉で次に出てくる人物を想像するに至るまでは何となく現状を把握し始めた。

『ぐすん、ぐすん……ワタシもスロット回すネ。ケーバで三連単当てるヨ……』
「まさかのシトロンか……!」
『ほら、お母さん、何か言って!』
『考え直せよ、親父。親父の酒癖悪いとこも、ギャンブル癖もみんなわかってるしさ』
「ひどいな、俺の設定」


綴が言った父親の設定に思わずクスリと笑みがこぼれた。


『お母さんも全部わかった上で、お父さんと結婚したんだよ!?』
「もしかして、ゲーム好きとかけた設定か…」
『お願いだから、出ていくなんて言わないでよ』
『親父、考え直せって』

泣いているフリをしているシトロンの横に寄り添うように咲也が立ち、綴や真澄が俺に詰め寄り声を張り上げる。

『オレ、これからもお父さんと一緒に暮らしたいよ!』

咲也が必死に訴えかけてくるところで、気付けば俺は声を出して笑っていた。

「…ぷっ、あははは!」
「至さん…?」
「お前ら、バカすぎ」

込み上げてくる笑いを堪えることができなかった。
こんなに声を出して笑ったのはいつぶりだろう。

「昨日の夜、みんなで考えてたんです。どうしたら至さんを引き留められるか…。
オレたちが演技で至さんを本気にさせてみせます。一緒にやりたいって思ってもらえるように。
だから一緒に舞台に立ってください!お願いします!」
「咲也……すっかり座長っぽいな」

出会った頃より頼もしくなった咲也を目の当たりにして、そう心から思った。
自分が見ないように関わらないよう現実から目を背けているうちに、まだ17歳の少年はこんなにもたくましく成長していた。
そして今、俺と真摯に向き合おうといている。


「わかったよ。とりあえずロミジュリまではやってみる」


どうして現実世界でそこまで頑張れるのか、知りたいと見てみたいと思った。
咲也たちの気持ちにその気にさせられたと言えばそうかもしれない。
昨夜、さつきとのやりとりで悩ませていた事柄も彼らを通じてわかるかもしれない。
また辞めたくなるかもしれない。けれど今は、彼らの言葉を信じてみたくなった。


「よかった…」
「おひたし、おひたしネ」
「めでたし、な!」

シトロンの言い間違いに綴がツッコミを入れいる横で真澄がぼそりと俺に呟いた。


「さっさとやるって言えばいい」
「大人には色々あるんだよ」
「………次、あの人を置いていこうとしたら許さない」

真澄のするどい目がこちらを睨みつける。


「ああ、約束するよ」


真澄の目をしっかりと見つめ、そうはっきりと言葉にして伝えた。





2017.12.31.

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