小説

□ホワイトデーSS:8
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「コミケに出ようと思います」
「…は?」
 たった今、締切が修羅場な原稿の一山を越えてコーヒーを一杯啜ったルルちゃんが何を言いだすのかと思いきや、いつもみたいなよく分からないことを言いだした。さすがに今回の締切戦争はヤバかったから、頭おかしくなちゃったのかな。
「いやーほら、ありがたいことにうちの今の連載ってだいぶ人気も安定してきてここ数年は安泰だし、伊舞鬼先生んとこに出向しても恥ずかしくないようにあんたをそれなりに鍛えたら締切にも余裕出て来たじゃない?不可抗力ながら?」
「不可抗力は余計だよ、ルルちゃん」
 っていうか僕は今回の締切ギリギリだと思ってたけど、ルルちゃんとしては余裕だったのね。もしかして締切絶対防衛ライン、僕には敢えて黙ってたのかな。
「…っていうか僕の技術が向上するに越したことないのでは」
 んでもって掘り下げるところはそこじゃなくってえ…
「コミケってあの同人誌即売会のコミックマーケットのことだよね?あれってアマチュアの出るイベントじゃないの?プロのルルちゃんが出ていいの?」
「あー、良いみたいよ。基本的にプロアマの規定はない自由に出版してもいいがモットーのイベントらしいしね。それこそ現役の漫画家さんやアニメーターさんも出展しているのよ」
 むむむ、それを言われたら確かに僕が御贔屓している作家さんも数名は時期になったらそれ系の告知を出していた気がする。でも大抵その時期になるとルルちゃんのとこも忙しくなるからスルーしてしまっていたけど。
 …普通にプロとして成功している作家さんも、当たり前だけど忙しい時間の中捻出して同人誌書いているってことだよね?趣味の範疇の。
 …ど、どんだけ行動力あるの…
…いやで考えたら本当に活動できる鬼って、商業誌出版だけじゃなくて自分でプロデュースできる本とかも書いてみたいのかな?
「まあコミケの理念ってのはそもそも市場に出せれない創作物でも平等に出展の機会を与える、ってところもあるしね。普段の作品じゃできないこと書く鬼もいれば、普通に趣味の本も出す鬼もいるし、セカンドビジネスとしてコミケブランドを使ってボーナスを稼ぎに行く作家さんもいる。そこも含めて自由なのよ」
 …な、なるほど。それじゃあ今やっている仕事も一段落着いてきたルルちゃんの次の目標でとりあえずとっつきやすいのがコミケ、ってことになるのか。
 …忘れちゃいけないけど、この子ももうプロの一員だもんね。常に時代を読んで漫画家として次に何の技術を習得しようか、常に考えている根っからのクリエーターだ。
 一つの作品の締切にひーひー言っている僕にとって、まだ何段階も先のスタートラインに立とうとしてるんだな、ルルちゃんは。
「でも漫画家として次のステージに立とうとした案がコミケとか、そこはルルちゃんらしいよね。他の漫画家さんはデザイナーだったりイラストの仕事にも手を伸ばしているって聞くし」
「…まあぶっちゃけ斗鬼先生の受け売りなんだけどね」
 っと漫画家としての成長を見せて改めて惚れ直しそうだったけど、結局アイディアの発端元は中学の頃と一緒だったらしい。
「斗鬼…先生、ね」
 忘れもしない。
 中学の頃のルルちゃんが漫画家を目指すきっかけとなった、少年ギャンプの人気作家の薬師丸斗鬼先生。自身も奇形の角を持つハンディキャップを持ちながらも、そこから感じ取ったことを創作品に加工する技術を武器にして戦う姿に、中学生のルルちゃんが生きる指針を示してくれた方である。
 …そんなルルちゃんに救われた僕にとっても、先生のさらに先の先生のような神みたいな存在だった。神っていうか繋がりとしては孫?になるのかな。おばあちゃん?
「…んでその斗鬼先生もコミケに参加されていると」
 ルルちゃんにとっては本当に神が降臨するような場でもあるのね。そりゃ神聖度合が桁違いだろう。
「そりゃ神様と同じ場所に立てるっとなると行きたくもなるよねえ」
「でしょ〜、あの方かれこれ二十年くらいコミケ参加されているからありがたみが薄れそうなんだけど、本当なら参加してくれるだけで嬉しいことなのよね」
「…に、に…二十年?」
 コミケってそんな昔からやってたのか。
 そんでもって参加してたんか!現役の漫画家ながら!
「…ば、化物だ…斗鬼先生…本物の…」
「…そしておどろくことなかれ、二十年前と言えば斗鬼先生の代表作、『鬼境サーティーン』が絶賛連載中でアニメ化もしていた、本当に忙しくて忙しくてたまらないってタイミングだろうとあの鬼、何かしらの本出してたのよ、多分怒られても出てた…」
「…怒られてたら出ちゃダメなんじゃないだろうか…」
 …いやでも原作者だから良いのか?そこらへんよく分からないけど、だからこそ本当に神みたいな作品を書き続けることが出来るんだろう。
 …規格外はどこの世界にもいるもんだね。
「んでもってレポ漫画見るとまあ楽しそうなのよね。クソ忙しいはずなんだけど、会場でしか出せない本を出す快感。ファンとの交流、寝ないで出す価値あるって毎年本当に楽しそう。寝てないんじゃないかしら、この二十年」
「…だとしたら本当に化け物なんじゃないだろうか」
 …けど楽しい、か。
 楽しんで創作するということ。
 商業誌の創作はあくまで出版社から依頼された商品になる作品を担当者や世間の流行を調査して製造されたものであって、その活動を楽しんでやるに越したことはないとは思うけど、
 生活費を稼ぐ以外にも、鬼の生活には物語と言う存在があった方がいい、っとも思う。
 それが世間から望まれている形であるか以前に、自分が現実を生きる為に必要な空想なのかどうなのかは、ぶっちゃけ読み手だろうが書き手だろうが相性ってのがあると思う。
 世間の出版社が出した本に自分の感性や需要が会えばそれに越したことはないんだろうけど。別に生活必需品ではないからなくても死なないとは思うけど。
コミケに出る彼らは、そんな市場主義に囚われないで『自分が読みたいから』『本屋に売ってないから』
自分でじゃあ作ろうか。
って筆を取れた鬼達なんだろう。それはある意味プロよりすごいことなのかもしれない。
…少なくとも自分の作品も書けないで、ルルちゃんにくっついてばかりの未熟者の僕にはまだ行けない世界なんだろう。
「…っていうかそれこそチヨは出ないの?」
「…ふえ、僕?」
 そんなこんなネガティブなことを考えていると、心の中を読まれたようなことを聞かれてしまう。
 …やっぱりネガってる時の僕っルルちゃんの予想通りな反応しかしてないんだろうか。
「いやいやいや、僕には無理だよルルちゃん!自分で本を出そうだなんて!」
「…いや、私の口から言うのは反則だとは思うけど…」

 あんたも漫画家を目指すのであれば。
 向き不向きを調べる為にも一回くらいはコミケで自分の本とか出してみれば?

「無理無理無理無理!斗鬼先生達と同じ舞台に立とうだなんておこがましいよ!っていうかまだまだ未熟過ぎて世に作品出すのがすっごい怖いよ!バッシングされたり無視されたり全然売れなかったりしたら自信粉々になっちゃうよー!ひー!」

「…おお、ここ数年ポジティブな話が多かったからこんなチヨ久々でドキドキしちゃうわね」
 …何でドキドキする。っていうかここ数年とか言わないの。
 …確かに無駄に長いコーナーになっちゃったけど、一応本編開始前の物語のつもりだからね?これ?っていうか本当にどの辺がホワイトーデーだっけ?
「…っていうかそんな弱音吐いて伊舞鬼先生に殺されなかった?」
「…いや、今はルルちゃんの前だし」
「私の前でもダメよ。忘れがちだけど」
 …忘れている訳ではないんだけど、それでもまあいざコミケに出てみない?って軽く誘われてしまうと僕の立場としては戦々恐々してしまう。
「…いやだってあの場って自由とは言うけど基本的には二次創作の祭典だよね?僕二次書くような作家じゃないよ?」
「ほー、えっちな本しかない、って認識ではないのは良い所ね」
 …ま、まあそういう本も多いのは知っているけど、あっちこそ作画力や話題性を掴む能力がないとやっていけないだろうし、大変ではあると思うけど。
「…でもオリジナルを出すのに適した場所、ではないでしょ」
「まあ向き不向きの話をしてしまうのであればそうよね」
 …あの場に来る鬼というのは、それこそ市場に回っていないようなレアな本や自分の性癖に合った本、有名作家さんのネームバリューを求めたりコスプレを見たりしたりしてるのが主な目的であって、本当に無名の作家の本を掘り出したろ!って思って吟味してくれる場ではないだろう。
 参加者はお客ではない、ってあの場ではよく聞く話だけど、漫画評論家や試験官がくる場でもないのだ。
 …いないことはないかもしれないけど、それこそプロの作家を目指すのであれば普通に普段から持ち込みしろ、って話である。
 二次創作から人気が出てスカウトされる、って話もあるんだろうけど、それこそ商業誌という商品前提で出版される体裁があるより成りあがるのは大変な場なんだろう。
「誰でも何の本を出しても良いとは言っても、本当に誰も来なかったら心が辛いじゃないかー!一つの作品作るのにどんだけの時間を要すると思ってんだよー!世間の辛さをわざわざ大きなイベントに出て味わいたくない!」
 ってそこれこそ。
 本当のプロの戦場で戦っている彼女にとっては殺したくなるようなネガティブな発言なんだろう。僕も自分で言って後から血の気が引いたけど、この場で一緒にさっきまでその途方もないような作業をしていたばかりじゃないか。
 心が辛いとか。
 僕の立場から本来発言さえ許されない言葉なのだ。
 殺されはしないだろうけど、ぶん殴られる覚悟をして恐る恐るルルちゃんの方を見ると。
 …彼女は、軽蔑する訳でも憤怒する訳でもなく。
 いつもみたいに葛鬼ルル先生の顔をして机に座っていた。
「…あんたの本音、久々に聞けてよかったわよ」
「…え?」
 肩透かしといえばそれまで何だろうけど、僕の弱音オブ弱音は珍しく作家、葛鬼ルルのどこかの部分とシンクロできたのだろうか。
 …あ、でも眼鏡を光らせて見る見るうちに怒る寸前の顔に戻っていったぞ。
 今のはいわゆる台風の眼の無風空間の幻だったのだろうか。
「だからといって書かない理由にするな」
「…はい。おっしゃる通りでございます…」
「…まあその悩みは漫画家というよりか本来なら生活必需品でないものを作って生計を立てざるを得なくなってしまったクリエーター皆が悩むことではあると思うけどね」
 …っと、彼女の心というよりか、僕のさっきの叫びは何だか全世界の第三次産業で働いている鬼の代弁だったようである。そんな壮大なこと言ってた?
「読んでもらえる本って結局のところ話題性がある本だしね。作品のクオリティよりも悲しいかな、商品として重要視されてしまうのはそこよ…でもね、チヨ」
 ポン、っと僕の肩に手を置いて、漫画家葛鬼ルルとしても中学からの同級生としての言葉を彼女は投げかける。
「それでも書かなきゃ話題に上がる可能性すらないのよ。そしてコミケはそんな商売理念から脱した、売れる売れないが目的の場所でもないのよ。自分が出したいのか出さないのか、表現したいこと以外で悩むのはとりあえず出せれてからしなさい。良い本は出せらた本。その先の悩みはその先ですればいいのよ」

 ってそう言う私も。
 まだコミケに出たことないから斗鬼先生の受け売りなんだけどね。

「それを今回確かめたくて出展するのかもしれないわね」
「…今の言葉も斗鬼先生の言葉?」
「…うん、ちゃんと会ってみてから、自分の言葉でこれまでの想いを伝えてみようと思う」
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