コラム部屋

□アニポケ感想
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ポケモン世界における「ジムリーダー」の存在意義の個人的考察。
ゲーム上で彼らは「ジムバッチ」をかけてトレーナーとバトルする役職であり、このバッチを8つ得ることでポケモンリーグへの挑戦権、つまるところ「立派なポケモントレーナーとしての認定」をする試験官的な役割を担っている。
ゲーム中ではそんなに描かれていないが、ジムリーダーになるためにはそれなりの試験もクリアする必要があるようだ(ポケスペより)。
こんな言い方するとジムリーダーってトレーナー育成のための公務員っぽい感じもするが、子供用にチューンされたアニメに限らず各作品での彼らにそんな空気はしないです。
町の管理を任されてる人がジムリーダーしたり
ジムリーダーを副職として、別業務まっしぐらな人(わりかし多め)がいたり
世襲制でジム継いだり
滅多に人がこない山奥でジム開いたり
そもそもジム業ほっといて旅でふらふらしてる人だったりw

公務員っぽい設定のくせにどの作品でも基本自由過ぎる方々なのです。アニメ版に至っては原作以外のジムがあったりやりたい放題である。

ここで基本に立ち返る。職業として描かれがちのジムだが彼らの本分は「認定」である。以後これを基準にして考えていく。

彼らは一体トレーナーの何を認定しているのだろうか。そもそも何で立派なトレーナーになるために「8つのバッチ」を手に入れる必要があるのか。これが原作でもよくわかんない。特に説明もされず「町着いたけど暇だしジム行くか」的なノリである。ポケスペに至っては金銀編終了間際に「バッチをとってリーグに出よう」制度ができたほどである。(以後の章あんま浸透してないけど)

公式コミカライズのポケスペでさえあの扱いである以上、基本「二次創作オッケー、自分で考えてにやにやしてねー」という了解なんだろう。
そのくらい統一感がない。これをいいとするか悪いとするかは、まあ放っておいて、ならメリットに甘えるとして自分の意見を述べる。

要は「立派なトレーナーの育成」がジムリーダーの目的であり、その立派とは何かということだろう。
人とポケモンの間に立つトレーナーという人々。彼らの仕事は言わずもがな「ポケモンとのふれあい」であって、立派なふれあいといえば「どんなポケモンとでもコミュニケーションをとれる」ことだろう。
簡単に言ってしまえばどんなポケモンのトラブルも解決できる知識だとか価値観だとか専門性、柔軟なケア力を持ってることが「立派なトレーナー」なんだろう。
そんなトレーナーを育成するにはどうしたらいいのか。
一つは言わずもがな経験値だろう。だからこそジムはいろんな土地にあり
「旅をしながらでなければ行けない場所」に位置がバラけてるのだろう。

二つ目は対応力。ポケモンというのは色の強い個性があり草タイプのポケモンの知識は炎ポケモンのトラブルに対応できないケースが多いだろう。
無茶苦茶な言い方をするなら「広く深く」知識を蓄える必要があるのだ。
でも一つの分野で深く研究してしまえばその分視野が狭くなってしまい、これでは「経験」が浅くなってしまう。
矛盾。
この問題を解決するために、旅した先の町に待ち受ける「ある分野の専門家」。
ジムリーダーの検定が存在するのだと思う。

水には水の世界があり、大地には大地の世界がある。その分野を極めたものはおのずと、その世界に似た人格を形勢していくのだろう。
水の専門家には柔軟性があり、大地の専門家には包容力があるとしたら、そんな彼らに宿る力との戦いは、そのまま自然との戦いになるのだ。

柔軟性が必要なトラブルが発生したらどうさたらいいのか、包容力が要する事件に会った場合どうすればいいのか。

各タイプ専門のジムリーダーとの戦いの中において必要な「経験」と「対応力」で対処し勝利した者こそ、「どんなポケモンともコミュニケーションをとれる」素質ありと判断されバッチを渡させる。そしてバッチを多く持ってる者こそ、立派なトレーナーなんだろう。

むろん、「広く深く」より「狭く深く」でも「広く浅く」でも個性は個性。否定するものではない。
ただポケモンと人間、異なる種族の境界線に立つ者に世界から求められる能力はそれなんだろう。
寧ろ四天王制度まである以上、最終的には各々のタイプの専門家がいて
「米は米屋」
「ドラゴンはドラゴンのプロ」
と分担するのが1番だろう。だがその専門性を求めるよりまず、「誰でもできる基本的な知識がある」ことが前提にあっての専門家。
その基本的なことを新人トレーナーに教えるのが、ジムリーダーじゃないんじゃないかと自分は思う。



………正直前フリが長くなり過ぎちゃったので、今日は真面目な解説記事として終了。次記事、このことを踏まえてのオチに続く。
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