コラム部屋

□アニメ感想4
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やっぱりあの曲がり角にもカーブミラーがほしいですね。将来的に。
ってなことで、今回のアニメ感想にいきましょう。
今回はこちら!

21:有頂天家族

「雰囲気アニメ」というジャンルが毎回どのクールにもありまして、
内容的には派手な演出とかないんですが、アニメ全体を包む「雰囲気」と一言で言ってしまえばそれまでなんですが、

背景
演出
声優さんの演技
BGM

など。
言葉では説明しづらいんですが、要は画面を通して見ている自分にもそのアニメの世界の「雰囲気」を楽しんでいるような。
話数を重ねるごとに視聴生活スタイルが豊かになっていくような、そんなアニメ。
まあ一言でいえば「独特の雰囲気」を持っている作品なんですが、

今回の「有頂天家族」は久々に自分の中で大ヒットする「雰囲気アニメ」でした。
作品の舞台が京都なだけに、京都が好きな自分としてはマッチしていた作品だったかもしれません。
「有頂天家族」の作品概要を簡単にいえば

京都に住むタヌキと天狗と人間の織り成す物語

ってところでしょうか。
主人公が人間に化けた言葉を話すタヌキ、といえばジブリの「平成ぽんぽこ」を思い出してもらえれば助かるのですが。
かといって
自由奔放に生きるタヌキと天狗の織り成すキテレツな冒険活劇

という物語でもなく、

あくまで京都の人間生活にひっそりと(ちゃかりとも言える)暮らすタヌキと天狗。日常シーン的にはそんなに動きはなく、序盤に至っては主人公の一家「下鴨家」

「弥一郎」
「弥二郎」
「弥三郎」←主人公
「弥四朗」

とお母さんの紹介話を兼ねて、彼らの既に亡き父親の「総一郎」の思い出話を中心にしたエピソードばかりでした。
しかしまあこれが面白いこと。
元の原作の影響か、主人公達の台詞回しが一々凝っていて面白いし、久米田先生タッチなのでどこか毒の強そうなデザインしているけどみんな純粋でいいキャラ達でした。(「じょしらく」とは逆で絵が久米田先生だけど、ストーリーは久米田っぽくないっていうw)
また亡き父の「総一郎」がやはり大物でしてね、物語が進むにつれて段々と父の死の原因に近づく弥三郎なんですが、当時、死を前にしながらも雄大で立派な父であり続けた父さんのエピソードに涙を誘います。

いい父親でした。そしてこれまでのエピソードからその血を受け継いだ兄弟達のキャラがあると思うと、血という見えない繋がりを大事にしている作品だと感じてきます。
とある登場人物の「恵比寿」さんも「食べることこそ愛だ」という持論を持っていて、今期は「銀の匙」と合わせて食と血の繋がりに対して考えるクールでした。

しかし、父の死の真相に近づくにつれ判明していく事実。ここからは弥一郎と総一郎の弟の早雲との「タヌキ界選挙編」となるんですが、過去話とかが少な目になって視点が現在となり物語が激化していきます。

これまでお父さんが人間に拐われた原因は最後に杯をかわした弥二郎がお父さんを一人(匹)にしてしまったとしていて、弥二郎はそれに責任を感じて蛙の姿になってずっと井戸の底に引き込もっていました。誰とも会わせる顔がない、と。
しかし父を人間に引き渡したのはなんと弟の早雲であり、今度の選挙でも弥一郎を鍋にしようと下鴨家一同を拐ってしまうのであった。
ヒロインの海星に助けられ、逃げ出してきた弥四朗は井戸の底にいる弥二郎に助けを求め、覚醒した兄ちゃんがみんなを助けにいく様。

いやー、そこからの逆転劇は気持ちのいいものでしたね。
4匹の兄弟が一丸となってアホウな逆転劇をして、父さんの教えである「面白きことはよきことかな!」と快進していく姿は、正しくこれまで父の過去話が多い中でも、現在、その子供達にも立派に「阿呆」が受け継がれていて素晴らしいシーンでした。

面白きことはよきことかな。

現代の日本に忘れがちなこの思いを、京都に住むタヌキ一家から学ぶことができました。
こーいう雰囲気アニメはずっと記憶に残っていくので本当に見る価値のある作品でした。
またいつか見たいものですね。
今回はあんまり触れられませんでしたが、弁天様の過去とかも気になりますし、弥三郎の恋路は一体さてはてどこへ向かうのやら。
阿呆で人間らしいタヌキ達の活躍をまた見たいですね。

拙い文章となってしまったが、自分もまた「阿呆」ということで、今回はこの辺で。
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