小説

□デュアル・フレイ
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朝、目を覚まして部屋の天井の次に私の視界に入ったのは、彼女だった。
 生気の感じられない白い肌。その肌に重ねる様に、更に真っ白で質素なワンピース。ぼさぼさながらも中ロング程の量のある黒髪と合わせて見ると、モノクロというより水墨画の雰囲気を持つ女性だった。
 そして何より、ワンピースの脚部がぼんやりしていて足が無い様に見える。彼女の浮いている位置は私のベッドの枕元。
 幽霊。第一印象だけでそう決定するには泥棒、不審者より適切な単語だった。
「!!」
 この時漫画や小説、或いは夢の中の様に素直に絶叫出来たらどれ程良かったか。目前の恐怖に筋肉は萎縮し、寒気と痙攣が同時に押し寄せてきた痛みが、ベッドでうずくまる私の体に走った。そしてこの痛みを金縛りというなら、夢では味わえない、現実の電気信号の痛みなんだと、確信した。
『きゃあああああああああ!!!』
 っとベッドの上の私がこんなんだから、代わりにと言わんばかりに一つの甲高い声が寝室に響いた。
『にゃんじゃこりゃあああああああああ!!!』
(……ん?この声…)
 少し、母さんの声に似ている気もしたが、違う。母さんのはがずない。この声の出は明らかにすぐ近く、私の寝室から直に出ている声だ。今、この寝室にいるのは私と……そして
『あのネコさん何したのよおおおおお!!!』
 この人しかいない。私の枕元に浮いてる幽霊さん、彼女が叫んでいるんだ。
『うぉぁわああああどぉぉぉしよおおお!!!』
「あ、あのー…」
 幽霊が怖いか怖くないかと問われたら無論怖い、スッゲー怖い。けど私のにわかオカルト知識での怖いと思う以上に幽霊さんの方が真剣にパニックしている様に見えた。何ていうか映画やドラマの役者さんの演技がリアル過ぎて逆に引いてしまう、そんな感覚。だから少し冷静になれて私はこの一言を言えた。
「ど、どうかしたんですか……その、幽霊さん?」
 寒気や痙攣はとりあえず治まっていた。
『あ…ごめん、その急に叫んじゃって…私もいきなりこんな所にいたからびっくりしちゃってさ…』
「はぁ…そうなんですか…」と相づちを打つ私。何だこの光景。びっくりしたのは私の方よ。とりあえず叫ぶのを止めた幽霊さんはその代わりに私の寝室をキョロキョロ、そしてオドオドし始めた。
『何、ここ?私何でこんな所にいるの?』
「そりゃこっちの台詞ですよ」
 我ながら何普通に幽霊と応答し合っているのだろう。と呆れながら、微量な安堵感を感じた。どうやら彼女はオカルト創作物によくある悪霊とか地縛霊といった類ではなさそうだ。ちゃんと顔を見ると(今はオドオドしてるけど)穏やかそうな顔立ちをしている。悪霊というよかむしろ守護霊を連想させる。あれ?でも待てよ……彼女、やっぱり見れば見るほど………
「……か、母さん?」
その時だ。ドタドタドタと私の寝室に近づく一つの足音が聴こえたのは。
「空ぁー、そろそろ起きないと遅刻するわよ!私もう出るからご飯自分で用意してね。後お昼ご飯代電話の所、鍵ちゃんと閉めておいてね、じゃ!」
 バタン、バタン。とドアの開閉の音だけ聴くとやけにリズミカル。しかしその間の僅かな時間に膨大とも思える音声情報を脳に叩き込まれた私。父親がいなく、朝早くから出勤しなければいけない多忙な我が家、母子家庭ではよくある日常の母から子への今日の連絡事項だった。
「あれ?…でも母さん……」
 しかし今は日常ではない。朝起きたら幽霊がいた非日常だ。
『もしかして…?』
「あなたの事見えてない!?」
 んま少し考えれば当たり前だ。幽霊は見えない、声も聞こえない、それが世界の常識だ。私の母さんは常識の反応をしたまでで、異常なのは私の方。それはそれで良いとして…
「じゃあ、あなた一体誰?」
一つ、私の中でこの幽霊さんは母さんなのか?説があった。少し、この人が母さんと似ていたから。でも私の母さん生きている。今も元気に電車に間に合おうと全力疾走しているだろう。なら誰?母さんに似ている貴女は?
『少し、私の身の上話をした方がよさそうかしら…』
「…はい、お願いします」
 私はパジャマ姿のままベッドの上で正座し、幽霊さんの話を聞き始めた。でもやっぱり、普通逆だよなぁ、立場、と思いつつ。
                ※
『実は私死んでいるんです』
「まあ見りゃ分かります」
『でね、私さっきまで三途の川渡っていたのよ、ジャブジャブと徒歩で』
 いきなり三途の川ですか。何で死んだのか、死んだ後どうやって三途の川まで行ったのとか少し気になったけど、話の進行を優先する事にした。
『で、川を渡っている途中、昔飼っていたネコさんに会ったのよ。三途の川をカヌーでツーリングしている彼に』
「ネコ!?」
 カヌー?何だか訳の分からぬ単語が出てきたけど詰まる所……
「それと今の状況に何の関係があるんです!?」
そのネコさんなのよ……と彼女は強調する。
『ここからは当の私ですら信じたくない話。だからそのままあなたに話しても理解出来ないのはしょうがないわ。それでも良しとして聞く?』
 この場合、これしか返す言葉がないだろう。
「……はい。一応聞いておくだけ聞いてみます…」
『……突然私の前に現れたネコさんはこう言ったのよ。「お久しぶり、ご主人。ニャーは昔君にとても美味しいサンマを食べさせてもらったネコニャ。その時のお礼にニャにか君の願い事を叶えてあげに来たニャよ」ってね』
 ? 表情でも心の声でもこのリアクションしかとれない私。
『予想通りのリアクションありがとう。とにかくネコがそう喋ったのよ、人語で。文字通りこの世のものとは思えなかったけど、まぁ実際あの世なんだからって開き直って、死後のメルヘン世界として彼の話を聞いたわ。そしたら彼自分の事時空を旅するネコだって言うのよ。各々の時空で飼い主を変えて旅し、私もその内の一人。で、私が飼い主の時にあげたサンマが美味しかったからそのお礼に願いを一つ叶えさせてあげるって』
 質問、というよりツッコミ所だ。確かに信じろという方が無理だが、彼女も私にこう思われるの覚悟で話しているのだ。その覚悟にだけは応えよう。
「それでどうしたんですかその願いって……?」
 幽霊にあるか分からないけど彼女はゴクリと唾を飲む仕草の後、答えた。
『…もう一度人生をやり直したい、そう答えたわ』
「じ、じ、人生!?」
 あまりに途方もない単語を私は繰り返した。
『無論冗談のつもりで言ったのよ。時空移動って言ってもそんな事出来る訳ねーって思っていたから。でもネコさんが「オッケーニャ」とか言って変な呪文唱え始めたと思ったら急に目の前が真っ白。そんで「いってらっさいニャー」っていう声が聞こえた途端意識が消えて今度は目の前真っ黒。次に気付いた時はこの部屋にいたわ。「きゃああああ」という絶叫と共にね』
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 幽霊さんが突然現れたネコさんを信じられなかった様に、私も突然現れた彼女が信じられない。だって今の話を整理してしまえば…
「人生をやり直したいと願って来たのがここ…?」
『そう…』
その文頭の後、彼女の語るその一言一言は、耳を防ぎたくなる内容だった。
『さっきは慌てていたから気付かなかったけどこの部屋、まるで私の実家、私が子供だった時の部屋にそっくり…』
私の中で先程のツッコミ所、喋るネコさん、時空移動が全てぶっ飛んだ。
そしてこの二つのキーワードが残った。
何故、幽霊さんは母さんに似ているのか。
どうしてあなたは死んだのか。その二つが一番有り得ない形で結びついた。
『ううん…そっくりってレベルじゃない、ここはもう昔の私の部屋そのもの。だってここは、あなたは…』
 そう、母さんに似ているんじゃない。私と彼女が似ているんだ。おそらく双子、クローン以上に。だってあなたは…
『過去の私』
「未来の私?」
 その後、私達はやっと互いの自己紹介をした。
「私の名前は内藤空」
『私の名前も内藤空。誕生日は三月五日』
「血液型はA。動物占いは狸。ガンダム占いは…」
「『ジム(コマンド)!!!』」
 彼女の歳、死因は怖くて聞けなかった。
               
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