小説
□相愛
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「それじゃ、行ってくるわね!」
「ああ、気をつけるでござるよ」
いつものように薫は前川道場に出稽古へ出かけた。
そして剣心はいつものように庭で洗濯。
恵が会津へ戻り、左之助が旅立ち、弥彦が長屋へ移り住んでからもう二月が経とうとしていた。
「ん〜いい天気でござるな〜」
木漏れ日を浴びて伸びをする剣心。
「さて、薫殿が帰ってくる前に洗濯と買い物を終わらせて風呂の準備をするでござる」
そう言って剣心が腕まくりをしたとき
「こんにちわ〜」
「おろ?」
玄関の方から聞きなれた女声が聞こえた。
(この声は…)
「―妙殿」
赤べこの妙だ。
「剣心はん、こんにちわ。薫ちゃん、いてはる?」
「薫殿ならつい先程出稽古に出かけたでござるよ。」
「あら、残念やわ〜。せっかくおいしいお菓子持ってきたのに…」
「そうでござったか…妙殿、立ち話もなんでござる。茶でも入れるゆえ、上がっては…」
「あ、ええのよ!気にせんといて。うちもこの後仕事やさかい、これ、薫ちゃんと食べてぇな。」
「左様でござるか…。では、有難くいただくでござるよ。」
「ええ…」
薫の喜ぶ顔が目に浮かび、にっこりと微笑んで菓子を受け取る剣心…
「…ところで剣心はん!」
「おろ」
…に、妙が顔をぐっと近づける。
「最近、薫ちゃんとはどうなん?!」
「どうとは…?」
「んもう、いややわぁ!夜のことに決まってるやないの!邪魔者がみんな消えはってもう二月にならはりますのに!一体どうなってはるの?!」
「なっ…!妙殿…」
興味津々と言わんばかりに瞳を輝かせて問う妙に、剣心はたじろいた。
妙の言う『邪魔者』がいなくなって早二月。
たしかに接吻ぐらいの進展はあってもおかしくない頃だろう。
しかしなにしろ奥手な剣心と薫のこと。
肩を寄せ合い月を見たり、手をつないで出かけることはあっても、周囲の期待しているような展開はまだない。
「…はあ…。その様子やと接吻もまだみたいやね。」
「…。」
妙の冷静かつ的確な分析にますます言葉を失う剣心。
「…よし。ええわ剣さん!うちに任せとき!」
「へ…?」
痺れを切らした妙は、なにか思いついたようにポンッと剣心の肩をたたいた。
「今日はご飯はつくらんと、薫ちゃんの帰り、楽しみに待っときや!」
と、言い終わるか終わらないかのうちに妙は風のように去って行ってしまった。
「帰りを楽しみに…?」
一人取り残された剣心は呆然としながらふらふらと庭へ戻っていった。
夕日も傾きかけた午後5時過ぎ
剣心が風呂をたいていると薫が帰ってきた。
「ただいま〜」
「お帰りでござる…ってどうしたでござるかその荷物…」
薫の手にはたくさんの酒やらできあいの惣菜をつめた重箱やらが山積みになっていた。
「うんなんかね、帰りに妙さんに会って貰ったの。今夜はこれでパァっとやりなさいって。あと剣心への文も預かってきたわ。」
「妙殿から…?」
薫はコクリとうなづいて剣心に文を渡し、大量の荷物を置きに台所へ向かった。
それを見届けて剣心は妙からの文を開く。
剣心はんへ
剣心はんと薫ちゃん、いつまでたってももどかしいさかい、今日は薫ちゃんに精の付くもんぎょうさん持って帰ってもらはりました。
好き合うた若い男女が二月も二人っきりで一つ屋根の下に居るのに、いつまでもちんたらしとったらあきまへん!
薫ちゃんは奥手やし、まだなんも知らない初な子やさかい、ここは剣心はんが手取り足取り…ふふ
弥彦君なら任せてください
今日はずっと赤べこに居るようにしてそっちには行かせまへん
たんと精つけてあんじょう気張ってや!
妙
……。
「…妙殿…」
「どうしたの?」
大きくため息をつく剣心の背後から薫がひょっこり顔をのぞかせる。
「薫殿…!」
「妙さんなんだって?」
「え…あ、いや、特に何も!
薫殿の元気が出るように惣菜をたくさん作ったから食べて欲しいと…」
「ふーん、へんね。私充分元気なのに…
まぁいいわ。珍しそうなお酒もたくさん貰ったし!たまには二人で飲むのも悪くないわよね!」
「そう…でござるな」
無邪気に笑う薫を剣心にはまぶしそうに眺めた。
(さて、どうしたものか…)
夕食に妙から貰った鰻やら何やら、精の付くものを一通り食べ終えた剣心と薫は、風呂も終え、寝酒としてちびちびと酒を飲んでいた。
「ねえ剣心、このお酒珍しいわね。なんていうお酒なのかしら…」
「薫殿は知らないほうがいいかと…」
今、薫と剣心が飲んでいるのは『精がつく』といわれるマムシ酒。
原型こそ留めていないが、蛇の成分が入った酒などと知っては、薫は気絶するに違いない。
「え〜なによ〜」と膨れながらも、薫はちびちびち酒を飲む。
「あら、剣心。あまり飲んでないのね。」
「あ、いや拙者は…」
「まああまりおいしいものじゃないものね。妙さんったらなんでこんなのくれたんだろ…」
「…」
剣心が酒を自重しているのはまずいからではない。
「ふう…
月がきれいね〜」
「そうでござるな」
開いた襖から月の光が差し込む。
まだほんのり湿った薫の髪は綺麗は藍色をきらきらと輝かせていた。
(―綺麗でござるな…)
「きゃ!」
剣心が見とれていると、その見とれていた女性は大胆に夜着を酒に濡らしていた。
「大丈夫でござるか?!薫殿!」
「平気よ…すこしかかっただけ…」
剣心が慌てて我に返ると、愛しい人は、濡れた夜着に身をつつみ、頬をうっすらと桜色に染め、うるんだ瞳でこちらを見つめている。
「…――!」
剣心は思わず、薫をグイっと自分の胸に抱き寄せた。
「―け、けんし…?!?!」
酔っているためか、薫はうまく滑舌が回らない。
「―薫殿…」
「…けん…しん…どうしたの…?」
薫を抱く剣心の手は、心なしか震えていた。
「薫殿」
抱きしめていたかと思うと、剣心はすっと薫から身を離し、そっと口付けをする。
「…ん…」
突然の出来事に薫は目を見開いたが、剣心の唇のぬくもりを感じ、薫はきゅっと目を閉じた。
やがて剣心の唇が薫のそれから離れ、再び強く抱きしめられる。
「…薫殿」
「なぁに…?」
恥ずかしそうに剣心の胸に顔を沈める。
「今から話すことは…
拙者の独りよがりかもしれぬゆえ、聞き流してくれてよいのだが…」
「…ん?」
ふと見上げると剣心の肩がかすかに震えている。
前髪で隠れているので、表情までは読み取れない。
「拙者はずっと…
…怖かったでござるよ…」
「え…?」
薫は剣心の言いたいことがわからず聞こうとしたが、すぐに剣心の真剣な目が薫を見つめたので、聞けなくなってしまった。
「拙者が…普段どんなにおだやかに装っても…いつも笑顔をと心がけても、元は多くの命を奪った人斬り…
その過去は変えられない……」
「剣心…」
「そして…
人斬りは所詮、死ぬまで人斬り――…」
「あ…」
――いつか、刃衛に言われた言葉…
「そんな拙者が…こんなに穢れのない薫殿の傍にいてよいのかと…
離れたほうが薫殿のためなのではないか、などと考えもした…」
「剣心それは―…!」
否定したかったが、剣心の言葉に悲しみがあふれ、薫は言葉に詰まってしまった。
「けれど―…」
「…え…?」
「けれど…やはりそれはどうしても拙者には無理でござった…薫殿の傍を離れるのは…」
「剣心…」
ハハっと自嘲気味に笑う剣心を前に薫の意識ははっきりと取り戻されてゆく。
「守るものが出来たと思った―…薫殿に出会ってから…」
「うん…」
「拙者にとって一番守りたい大切な人だと…
だがそれは、同時に薫殿を一番危険な目に合わすということ―…」
「…うん…」
「…」
剣心が俯き、拳を握る。
その様子を静かに見守る薫。
「―それでも…」
「…」
前にいる薫をまっすぐ見つめた。
「それでも、薫殿は拙者が守るから―…
何があっても守ってゆくから…」
「ずっと拙者の傍に、いてくれぬか…?」
薫の大きな目はより一層大きくなる。
一瞬なにを言われたのかわからなかった。
その言葉はずっと待っち望んでいた言葉でずっと聞けなかった言葉だあったから―…
しばらく呆然としていたが、不安げな…それでいてどこか哀しそうな顔で自分を見つめる剣心を見ると、薫は愛しさと切なさで胸がいっぱいになった。
思わずぎゅっと剣心を抱きしめる。
「うん…
ずっと…ずっとあなたの傍にいるわ…
何があっても…」
「薫…」
月明かりのもとで、二人はもう一度、ゆっくりと口付けを交わした――。
互いの想いを確かめるように―…。
→続く