小説

□Dear You 〜想い〜
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――あれからもう、三年が経つんだね…

今日はね、いつものお魚屋さんのご夫人に鯖を三匹いただいたの

「家族分」って…

晩のおかずが決まってよかったわ

前に一度作ったら予想以上にうまくできて、あなたが「おいしい」って喜んでくれていたから
また煮付けにでもしようかな






あぁそういえば今日は

夕日がすごく綺麗だったわ

あの日と同じ

茜色の 空―…















































「はい、これもお願いね」

「おろ〜」

春の日差しがすがすがしい朝。
にっこりと微笑んでいる薫の手には大量の洗濯物と一枚の紙切れ。
おおかた今日の買出しの品を書いたものだろう。

「味噌、米、塩、醤油…って、また随分と重いものばかりでござるな〜」

「しょうがないのよこれは…いつもの買いだめじゃなくて本当にないんだもの」

「…ふむ」

確かに、と剣心はうなずいた。
それは結婚して五年が経った今でも、なお家事の一切を取り仕切る剣心の方が、なくては困ると思うもであったからである。
確かに料理に主要な味噌も米もその他も、残りわずかであった。
が、こうも一気に頼まれるとさすがの剣心も持ちきれるのか不安になる。

(どのように持つか…)

剣心が難しい顔をしていると、そんな剣心の様子を察知し、薫が慌てて口を開く。

「あ、大丈夫よ!いくら私でもこんなに沢山の重い荷物を剣心一人に持たせようなんて全然思ってないんだから!」

焦って弁解する薫に、じと〜っとした疑いの目を向ける。

「や…あの…最初は…ちょっとだけ…」

ぼそぼそと言う薫を見て「やはりな」と半ば諦めたような顔でため息をつくと、剣心は薫の手から洗い物を受け取った。

「あ、だからね剣心、今日は剣路を恵さんに預けて、私も一緒にお買い物行くわ!」

「えっ…」


それは剣心にとってはちょっと意外な言葉だった。

なぜならここ最近剣路が生まれてからというもの、夫婦二人で外出するという機会はほとんどなくなっていたからである。
特に近頃目が離せない年頃になった剣路は放って置けない。
どこに行くにも剣路が一緒、とゆうより家族三人で出かけることが多かった。




剣路のことはもちろん可愛い。
見た目は自分そっくりだが、勝気なところや一生懸命なところなどは薫そっくりで、似すぎていてたまにクスッと笑ってしまうことがしばしばある。

が、しかし
どういうわけだか自分にはなかなか懐かない。
自分が薫の傍に行こうものなら、まるで獲物を狙われている獣のように威嚇してくる。
母親を取られまいと必死なのだろう。
薫はそんな時いつも「男の子だし母親に懐くのかしら、女の子だったら剣心にも懐いてくれてたかもね」などといっておかしそうに笑うのだ。
剣心は「なるほど」と妙に納得しつつも、多少の疎外感を感じることを余儀なくされていた。





そんなこんなで、緋村夫妻は二人で出かけるはおろか、家ですらなかなか二人の時間というものはない。
強いて言えば、剣路がおとなしく眠っている夜ぐらいであろうか…





「ね、せっかくだからお買い物の前に街の方をお散歩しましょ?」

「え、いやしかし…」

「平気よぅ、恵さんも今日は暇だからゆっくりしてきなさいって言ってくれたし、弥彦も赤べこが終わったら様子見に行ってくれるらしいから…ね?」

様子を伺うように剣心の顔を覗きこむ薫を見て、剣心は頬を緩める。

「そうでござるか…承知したでござる。恵殿たちには何か土産でも買って帰ろう」

剣心の言葉に、薫の顔はパッと明るくなった。

「うん!あのね、こないだ剣路と街でおいしい甘味処みつけたのっ!だから…」

「おろ、薫殿の真意はそこでござったか」

「えっ…ち、違うわよ!私はただ久しぶりに剣心と二人で出かけるのが楽しみなだけだも…」


慌てて弁解するも、言い終わらないうちに薫の頬は赤く染まってゆく。

自分で言ったくせに…、と内心苦笑しつつも、こういったところにまだ少女の幼さを残す薫を心底可愛いと思ってしまう。


「はは、冗談でござるよ。では拙者急いで洗濯を片付けるゆえ、薫殿はその間に出かける支度をするでござる」

「…っうん!ありがとう剣心!」


にっこりと幸せそうな笑みを浮かべながら子供のようにいそいそと部屋へ戻る妻の姿を、夫は幸せそうに眺めた。




































「けんしーん」

「薫殿」

休日の昼下がり、ということもあってさすがに街は多くの人でにぎわっている。
家族で食事にきている者、買い物をしている者、簪や紅を楽しそうに眺める女子たち…
はぐれるから、と差し伸べられた剣心の手を薫は照れながらも嬉しそうに握り、二人はにぎやかな街を歩いた。


「さすがに人が多いでござるな…薫殿、甘味処にも寄ったことでござるし、そろそろ夕飯の買出しに行くでござる」

「あ、うん!」


しばらく散歩して十分に街を堪能した剣心と薫は、そのまま市場へと向かった。












「―さぁ剣心、次のお味噌で最後よ、頑張って!」

「おろ〜」

一通り買い物を終えた二人は、最後に馴染みの味噌屋へと向かっていた。
にこにこと歩く薫の後ろにはもちろん、大量の荷物を担いでいる剣心の姿―…


「おばちゃぁん、お味噌くださ〜い」

「あら、薫ちゃんじゃないの」

「こんにちは」

二人してにっこりとご挨拶。

「いらっしゃい。おや、今日は剣路くん抜きで二人でお出かけかい?仲がいいねぇ」

人のよさそうに微笑む夫人の言葉に、二人は互いに顔を見合わせ、ほんのり頬を赤らめる。

「お味噌、いつものでいいんだね?」

「あ、はいっ」

「はい、まいど」

終始優しい笑顔で対応してくれた夫人に礼を言い、剣心たちは家へと向かった。
















「…ね」

「ん?」

家への帰宅途中―
夕日に照らされた一本道での会話。

「あそこのご主人…ね、ついこの間、流行病で亡くなったんですって。」

「味噌屋の…でござるか?」

剣心の問いに薫は無言でうなづく。
そういえばいつもは主人と二人仲良く店番をしているのに、今日は主人の姿は見当たらなかった。

「昔から顔なじみの店で、あそこのご主人にも奥さんにも小さい頃からよくしてもらっていたの…だからお葬式にも行きたかったんだけど、あそこのご主人が『湿っぽくなるのは嫌だ』って言ってたらしくて、結局お葬式は身内だけでとり行ったんですって…」

「そうでござったか…」

「うん…」

薫は寂しそうに言った。
剣心も何度か主人に世話になったことがあったので、少し俯いて主人の死を悼む。


「…でも強いわよね…奥さん…」

「強い?」

しばしの沈黙の後、薫がつぶやくように言った。

「だってご主人が亡くなってまだ半月も経ってないのにあんなに元気に店に出て…あんなにご主人との思い出が詰まったところで…
私だったらきっと泣いて、そんなお店でたくなくなっちゃうわ」

なぜか自分が泣き出しそうな薫。

「……薫殿…それはきっと逆でござるよ…」

「え?」

思いがけない剣心の言葉にくるっと振り向く。

「…きっとご夫人は…沢山の思い出が詰まっているからこそ元気でやっていけてるし、守らねばと思うのでござろう」

「思い出が詰まっているからこそ…?」

薫は自分の考えと全く逆のことを言う剣心を不思議そうに見つめた。
そんな薫に気づき、剣心は軽い微笑みを返す。

「…死に逝く者は皆…多かれ少なかれ『忘れられる』ことを恐れる…
ひょっとすると人によっては、死において一番怖いことかもしれぬ」

「…」

「…が、同じように残されるものもまた『忘れてしまう』ことを恐れるでござるよ」

「忘れてしまうこと?」

「あぁ…」

夕日に照らされ、いつもとは少し違った真剣な顔で前を見つめている剣心に、薫は何か得体の知れない違和感を覚えた。

「人は…大切な人を失った時、その人のことをいつまでも覚えていたい…と思う反面、その人がいないという辛い現実からは目を背けてしまう…
いわゆる現実逃避でござるな」

「…うん」

「誰にでも少なからずそういったところはあるでござろうが…そうやって現実から逃げているうちに、いつの間にかその人の顔も、声も、しぐさも…
時の流れも手伝って、その人についてのすべての記憶が僅かずつだが薄れていってしまうでござるよ」

「…そんなことっ…」

言いかけたところで薫はハっとした。
剣心の言葉に、言いようのない切なさを感じた薫はすぐさま反論しようとしたが、ある思考がそれを遮った。


(――私は…?)


自分は、どうであっただろうか?
父、越路郎の死を告げられたとき―
逃げなかったか
受けとめたか
そして―…




(今ハ……?)










…顔は、覚えている。
着ていた服も、好きだった食べものも。


…だが、声が思い出せない。


母を呼ぶ声
怒ると怖かった声
自分の名を呼んでくれた、あの優しい声…


断片的には思い出せても、どのような声だったかと問われると、やはり考え込んでしまう。


剣心の言う『記憶の薄れ』を感じ、薫は俯いた。
あんなに大好きだった父の声を忘れていることに対する、悔しさと哀しさ、そして絶望にも似た感情が渦を巻き、涙が込み上げた。


「薫殿…?」

剣心が心配そうに薫の顔を覗きこむ。
薫は小さくため息をつくと、涙交じりの声で言った。

「…やっぱり…永遠なんてないのね…」

「永遠?」

「うん…私は、ちっちゃい頃から父が大好きだったし、今でも尊敬してるわ…
だから、死を告げられたときもこの気持ちだけは変わらないと思ったの…」

「薫殿…」

前を見ると桜がひらひらと舞っている。
薫が花びらをとろうと手を伸ばすと、桜はふわりと角度を変え、それからゆっくりと地面に落ちた。

「あんなに大好きだったのに…
声がね、思い出せないのよ…いつも傍で聞いていた、あの優しい父の声が…」

「…」

「まだ父が亡くなってそんなに経ってないのに、だめだなぁ…
ずっと忘れないって思ってたのに…剣心の言った通りだわ」

ふっと自嘲的な笑みを浮かべる薫の表情はとても哀しげで、桜の花びらたちに包まれ、なんとも儚く、美しいものとして剣心の目に焼きついた。


「…薫殿」

しばらくして剣心が穏やかな笑みを見せながらゆっくりと口を開く。

「声とは…確かに一番身近なものではあるが、常に傍で感じていないとすぐに忘れてしまう…一番不確かなものでござるよ」

「そうなの…?」

「ああ…だからお父上の声が思い出せないからといって、薫殿の父上殿に対する気持ちが薄れたとかいうことではないでござろうし、父上殿も悲しんではいないと思うでござるよ」

「剣心…」

剣心の優しい笑顔に薫も自然と笑みを見せる。

「まぁ少なくとも拙者は自身が死んだらあまり薫殿には覚えていて欲しくないでござるよ」

「え…なんでよ?」

少し訝しげな顔で薫がたずねる。

「薫殿が拙者を恋しがって毎日泣いて過ごすのが目に見えているからでござる」

「なっ…」

にこにことからかい顔で言う剣心を薫はきっと睨んだ。

「そんなことないもん!」

「そうでござるかな?」

「そうよ!神谷活心流師範代を甘く見ないでほしいわ」

「では薫殿、拙者がもしいつか死んだとしても拙者のことを忘れず悲しみを乗り越えると約束できるでござるか?」

薫は『死』の言葉に一瞬ためらいを覚えたが、「どうでござる?」と剣心に唆されると「で、できるわよ!」と言って少し怒ったように唇をかみ締め、剣心を見つめた。


そんな薫を見て、剣心が声を立てて笑う。
薫は剣心が自分をからかって楽しんでいることに気がつくと、むむっと恨めしそうな表情を浮かべ、「何よっ」と剣心の頭をポカリと殴り、怒ってすたすたと行ってしまった。

「おろ〜薫殿、待つでござるよ〜」

「知らない!」


やれやれと小さなため息と笑みを漏らしながら、剣心は重い荷物を抱えながら薫の後を追いかけた――。


















































君二 約束シテホシイ

イツカ自分ガ

コノ世カラ消エテモ

君ハ 泣カナイデ

哀シミ二 溺レナイデ

ドウカ 強ク生キルト




約束シテホシイ―…



















































桜舞う帰路をゆっくりと歩く
薫と二人、幸せな時間。

剣心は微笑みながら薫の話にあいづちを打つ。

胸の奥でわずかに疼く、小さな淀みを隠しながら―…
















→続く

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