SHORT

□眼鏡の話
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「うちさー、眼鏡キョウになったんだー」
「…ふーん…」

眼鏡キョウ?

キョウ、強、今日、協、恐、狂…。

まあいいか。
皐月が意味不明なことを喋りだしたのは今に始まったことじゃない。少なくとも、俺と出会った三歳の時にはもうとっくに始まっていた。

お互いが十八歳になった今でも。

「あー!聞いてないでしょう?」
「聞いてるし」
「うそばっか。あのね、眼鏡キョウってね…」

そう言いながら、皐月は俺の現代社会(と言う名の教科書)にシャーペンを走らせる。

「自分のに書けよ!」
「こう!」

満足そうに微笑む皐月。

無残にも凸凹になったその教科書には、こういう文字が書き加えられた。


眼鏡教



「……………は?」

ちなみにただいま授業中だ。よい子は真似しちゃいけないぜ★





彼女曰く、ついこの間までは普通の仏教徒だったのだそうな。

「でも、仏教って地獄が怖そうじゃん?だから代えたの」
「へー」
「『へー』じゃない!何?あんた、火炙りとか串刺しとかされても平気なの!?」
「普通に嫌だよ…」
「でしょ?!ばーっか!」

突っ込むのも疲れてくるので、簡潔に話を纏めるとなんてことはない。ただたんに、よくある宗教勧誘に引っ掛かったまでの話。
眼鏡教はその名の通り眼鏡を神に祭り上げる宗教で、どういうわけか眼鏡教には地獄という概念が無いのだそうな。

眼鏡を掛けるものは、この世の真理を見いだすであろう。そして、死後は皆、その真理の一部となるのだ…。

「でも皐月、眼鏡してないじゃん。視力どっちも2,0だったとか自慢して」
「ばーっか!これから悪くするんだよ!毎日暗いところで本読んだりとか、色々努力してんだよ!」

…どっちがバカだ!

「てか、何その口癖。前はそんなに『ばーっか!』とか言わなかったじゃん」
「教祖様の口癖だよ。ばーっか!」


んなところ辞めちまえ!!


…なんて思ったのは俺だけか。そうかそうか。





皐月はそれから毎日目の悪くなる努力をした。
暗いところで本を読んだり、暇があれば目を擦ったり、超至近距離でテレビをみたり。

端からみればただの馬鹿だが、彼女の目はいついつだって真剣に輝いていた。

「…てかさ、別にだて眼鏡でもいいんじゃね?わざわざ悪くしなくても」
「………」

無視か。そかそか。

しかしそんな努力も虚しく、皐月の目が悪くなることはなかった。彼女は天性の健康人間だったのだ。羨ましいんだか可哀想なんだか…。

そして、

あの冬の日、皐月は姿を消した。

俺の前からあっさりと…


『ごめんなさい。教祖様を裏切りたくないんだ。真理は常に私、そしてあなたと供に………ばーっか!』


…意味が、わからない。本当にわからない。
てか、いや、いいや。死ね。
死んじまえ!!

…死ねと言いつつも、俺の目からは涙が止まらない。

俺はただただ、見守ることしかできなかったんだ。


なんなんだよ眼鏡教て?なんなんだよ真理って??

真理って、何なんだ?





「…ていうわけなの」
「ふ〜ん」

まーちゃんがつまらなそうに相槌を打つ。
どちらかといえば、今はジンジャーエールに刺さったストローを噛み締めるほうに集中がいってしまっているようだ。

「このクソガキ…」
「は?」
「ううん、なんでもないよ」

まーちゃんは、

「しかしその男もばーっか!だよなあ〜。なんで気付かないかな?」
「それはさ」
「自分がやつらに騙されてるって」

まーちゃんは、

「…本当にね」
「あ?」

真理ちゃんは、ズレた眼鏡をクイッと直した。

「大丈夫だよ皐月。今度こそ、今度こそ本物だから」
「…うん」





また朝が来た。

皐月がいない朝。

とりあえず、俺は

「おはようございます」

ぷすっ。

あ、

腕に何かが刺さる感触。

「おやすみなさい」

見知らぬ男の笑顔が見えた。

そして、俺は…俺は…

「第6892日目の朝へ、いってらっしゃい。****くん…」





また朝がきた。

いつもの朝だ。

どこからともなく、トーストの匂い。
今日の朝ご飯はパンらしい。

何気なく、机の上に置いてあった携帯をチェック。

着信、メール、ともに0。

皐月が消えて、76日目の朝。

季節はすっかり春に…
「そういえば、どうやって皐月は消えたんだっけ?」

独り言が、白い息に虚しく溶ける。

白い息…?春なのに…?

まあ、いいか。

俺はまた今日も、いつもの制服に腕を通す。


まもなく卒業だ。


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