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□蛇帯
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「ジョウトはいいところですよ。こちらにいないポケモンもたくさんいますし。今度機会があったら是非いらしてください」

ゴトンとゴンドラが揺れる。慣性のままに体は左右に大きく揺さぶられ、いっそう地面が遠ざかった。球体の空間の中で、私の向かいに座る青年は虚ろな瞳をこちらに向ける。俯瞰の風景に毒されたのか、死をちらつかせる虹彩には影が落ちた。
彼は私の話など聞いていなかったのか、「落ちたら僕たち死んじゃうね」と微笑した。
再びゴンドラが大きく揺れる。高度が増した。彼は私を見つめたまま僅かに首を傾げる。

「明後日に、帰るのかい?」
「ええ」
「ジョウトの、エンジュだったっけ」
「素敵な街ですよ。こちらでは見たこともないポケモンも、たくさんいます」
「……」
「機会があったら是非いらしてください。ジョウトの観光地でもあるので、私が案内しますから」
「……僕も……連れていって欲しいな……」
「……」

私は苦笑を返した。彼は陰った瞳に私を映し、少しだけ眉を下げた。暗く淀んだ瞳の奥に、澱が溜まっていく。幼少時も今も、人生の大半が寂寥に埋もれた人間の目だ。それにたまらなく息が苦しくなる。
それに地方を跨ぐというのは、楽なことではない。頼まれれば素直に頷くなんて、安いことはできないのだ。
しかしまるで母親に置いて行かれた子供のように、心細い顔をして見せる彼を拒絶するのは良心が痛む。ギシギシと悲鳴のように軋みを上げる空間で、私はただ返す言葉も見つからず俯いた。

「観覧車、落ちないかな」
「……ちゃんと管理や整備をされてますし、大丈夫ですよ」
「そうかな」
「でも、それでも観覧車は好きでしょう?」
「うん。君も好き?」
「……はい」
「じゃあ、お揃いだね」

子供のような無邪気さを纏い、彼は笑った。
またゴンドラが揺れる。彼はおもむろに私から視線をそらし、どこか遠くに視線を向けた。気付けばもう一周していたらしい。ドアが開き、その向こう側ではにこやかに微笑む女性がいた。その姿を視界に捕らえるのを合図に、私はまだぼうっと遠くを眺めている彼の手を引いて観覧車から降りる。
少しの間、彼は無言だった。しかし不意に、彼は冷えた指先を私のそれに絡める。そして聞こえるか聞こえないかの声で言葉を紡いだ。

「このまま、どこかで消えたいなあ」

呟いた彼の横顔を見る。長い睫が、その暗く落ちた瞳に影を落とした。
ただ私は無言でその手を握り返す。

「僕も、君のあとをついて行きたい」
「……一緒にジョウトに来られたなら、良かったのですが」
「君はいいのかい?」
「ええ」
「なら……」

しかし彼は、そこから先の言葉を飲み下した。二人並んで、雑踏の中を歩いていく。彼の手のひらの冷たさが、やたら強く手に残っていた。


そして、私はイッシュの地を離れた。彼は見送りには来なかった。だがそれはなんとなく予感していたことだ。飛行機から見た俯瞰の風景は、彼と見た観覧車の風景よりずっと広く虚しいものだった。





「ただいま」

穏やかな笑顔で帰ってきた彼女は、両手にいっぱいの荷物を抱えていた。家に帰らずにまっすぐここに寄ってくれたのだろう。紙袋の一つをお土産だと渡す彼女に、傍らにいたゲンガーが嬉しそうに鳴き声を上げる。
半年間仕事でイッシュに行っていた彼女は、少しだけ大人びて見えた。きっと、髪が伸びたからだ。久しぶりに顔を会わせたというのに、何だか気恥ずかしい気分だった。

「楽しかったかい?」
「はい。あちらの方々はみんな親切で、こちらにはいないポケモンもたくさん見ることができましたし」
「そっか。ああ、せっかくだからちょっと休んでいきなよ。美味しい羊羹があるんだ。」

嬉しそうに笑う彼女に、つられて笑う。彼女を家の中に通し、僕は戸を閉めた。

「!」

すると彼女のあとを追うように、戸を通り抜け何かが入り込んでくる。
それは彼女にもたれるように背に触れ、彼女の指先に触れた。あれは何だ。それは緩慢な動作で僕を見る。
白緑色の長い髪を持った青年だった。暗い瞳は虚ろに彼女を映し、次いでこちらを見る。ザワリと何かが背を這い上がった。

「マツバさん?」
「あ、いや、何でもないよ」

あれは、死んだものだろうか。それとも生きてるものだろうか。
青年は、彼女を抱き締めるようにベッタリと憑いている。
何故かそれが無性に腹立たしく感じられた。

早足で彼女のもとへ行く。
あんな汚いもの、さっさと剥がさないと。
彼女にしがみついている青年の肩を掴む。ビクリとそれは大きく震えた。向けられた暗い瞳に、皹が入る。

「それは僕のものだよ」

掴んだ肩を勢い良く引く。青年はいとも簡単に剥がれた。その表情は心細そうに歪む。構わず掴んだ手のひらに力を込める。ゴキンと何かが砕ける音がして、彼の体が透き通る。途端に足元から風に吹かれた塵のように消えていく。青年は宙に霧散した。

「マツバさん? さっきからどうしたんですか?」
「君が変なもの憑けてきたから剥がしただけだよ」
「え……」
「なんて、ね」
「お、驚かさないでください」
「ははっ」

ムッとした表情の彼女に声を上げて笑いながら、居間に向かった。
……彼女は他人に甘いから、だから簡単に取り憑かれるのだ。
目を細めて、自分の手のひらを見る。あの青年も、きっとそうに違いない。
居間に着いてからテレビを付けると、イッシュ地方で観覧車のゴンドラが落下する事故があったというニュースが流れていた。






20100926

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