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□魍魎
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「お前、やっぱり駄目だ」

揺れた朱色の髪にうなじが陰る。アナログ時計の音がやたらと大きく響いていた。部屋の中は薄暗い。そろそろ明かりを付ける時間だろうか。
ぼんやりと白い肢体、いや、死体? それを眺めながらそんなことを考えた。すると何だかたまらなく可笑しくなって、私は笑い声を上げた。あまりに可笑しいから仰向けになってお腹を抱えて笑った。笑ってやった。ベッドのスプリングがギシギシと鳴る。無機物が擦れ合う音が聴覚を支配した。

「とうとう狂ったか? 可哀想にな」
「はは、ははは、あはははっ」
「本当に……ダメだ」

可哀想? 本当に可哀想? ねえ、私はそんなに可哀想?
朱色はベッドで笑い転げる私を見下ろす。蔑むような、憐れむような、はっきりしない目だった。私はそれが何故だか至極楽しい。喉がやたらカラカラに乾いて、かさついていたのが少しだけ不快だった。耳元でカチカチと発条を巻く音が聞こえる。
――嗚呼、そろそろ終わってしまう。

だから、ほら、ほら、もっといろいろな表情を見せてごらんよ。

彼がおもむろに私に手を伸ばす。それは私のうなじの辺りを目指していた。あら、やだ。やめて。止まってしまうじゃない。止めるつもりでしょ。
とっさにその腕を避けて掴む。同時に笑いも止まった。冷たいだけの無機質なその手は、見た目だけ人間のものだった。
……カチカチカチと、耳元で響いている発条の音が僅かに遅くなる。

「うるせえよ」
「やだ。やだ。私に向かってよくそんなことが言える」
「調子に乗るなよ。殺すぞ」
「やだ。あら、やだ。とっくに生きてはないでしょ」

口を開閉するたびにカタカタと音が鳴る。木屑がボロボロと零れて宙を舞った。
彼の琥珀の虹彩に皹が入る。仄白く部屋に差し込む月明かりが、彼の顔を縦に裂いた。
彼の頭が割れてしまわないよう、私は両手で彼の頬を包む。鼻孔を彼の悲しい匂いがふわりとくすぐった。夜気は冷たい。

きっと、私に未練があるのだとしたら、彼を手中に収めることができなかったということだ。ふらりと現れてふらりと去っていく彼を、引き止めることができなかったことだ。どうしてこんなに上手くいかないのだろう。

ただすき≠セっただけなのに。
彼がすき≠セ。
琥珀の瞳も。
磁器のような白い肌も。
夕陽のような朱い髪も。
彼がすき≠セ。
他の人間はあまりすき≠ナはないのに。
彼は特別だ。

なのにいつもいつも、上手くいかない。私のやり方が悪いのか。それとも運が悪いのか。

「どうしてだろう」

ただ両手で包んだ彼の顔を眺める。それに僅かに目を細めた彼は、不意に私へと両腕を回した。同時に私の体はカラカラと音を立てて宙に浮く。
私を抱きかかえる彼の瞳を、私は少しだけ驚いて見た。

「頼むから」
「……」
「言うことを聞いてくれ……」

彼は呟いて歩き出す。ドアを抜け、夜道を歩く。青白い月明かりが不気味に視界を染め上げていた。梟が鳴いている。通りかかった墓地の墓石で蟒蛇が身を休めている。虫が囀っている。風は冷たい。彼の体温も、冷たい。

それからどれくらい歩いたのだろうか。彼は河原で立ち止まった。向こうの方で舟渡をやっている。向こう岸は明るい。祭りでもやっているのだろうか。灯りが漏れて、笑い声が聞こえていた。花も咲いている。
彼は私を抱えたまま舟渡を行っている者の側まで歩んだ。そして私を船に横たえる。

……発条の音が止まった。ああ、ネジを巻かないと。巻いて。巻いてよ。でないと私は動けない。発条仕掛けの人形なんだから。

彼は舟渡の人に六文を渡した。彼は船に乗ってない。私だけ、向こう岸に行くらしい。
やだ。やだ。やだ。待ってよ。
船が鈍い音を立てて動く。彼は私を見下ろしていた。

「先に、行って待ってろ」

なんで。なんで。

「オレはまだそっちに行けない」

どうして。どうして。

「だから、待ってろよ」

船が動く。岸から、彼から離れてく。私は発条が切れてしまって動けない。彼がひどく寂しげに私を見ていた。


「お前と同じところに行けたら良かったのにな」

20101126

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