紅ニ染マル轍


□赤い空
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辺りを朱い朱い帳が覆っていた。
徐々に藍色が滲んでいく空には、幾つかの黒い点が寝床を目指して羽をばたつかせている。
馴染んだ烏の鳴き声が数度響き渡れば、先ほどまで騒いでいた幼子たちの笑い声もいよいよ空の藍に溶けていった。

最後に子供たちの別れを口にする声を聞き、ゆっくりと宿屋を目指して歩き出す。

冷たさを孕んだ風が、ただ音もなく吹き抜けた。







――――――――――









「…おや、」
「!」



宿屋のドアを開けると同時。
入り口の客間には、昼間の男が昼間と同じ席に座り、昼間と同じように佇んでいた。

まるでそこだけ時間が止まっていたのではないかと思ってしまうほどの光景に、思わず眉をひそめる。

けれどもすぐにそんな表情を裏へ引っ込め、口元に弧を描いて言葉を紡いだ。





「……まさかとは思いますが…昼間からずうっとそこに?」
「まさか、」
「そうですか…。
あまりに昼間と同じ光景なので、少々驚きました」
「……そういう、貴女は」

今まで

どこへ


「……」


プツリ、プツリと。
言葉の一つ一つを丁寧にゆっくりと、まるで小さな子供を相手にするかのように男は紡ぐ。
その蒼い双眸は相変わらずの得体の知れない感情を宿し、こちらを見据えている。

ふと、流れ込んでくる風に入り口ののれんが揺れた。

肌を這うように吹き抜ける風の冷たさに外へと一瞬視線を向け、小さく答えた。






「…宛もなく…ただ気ままに散歩を…」
「ほお…」
「それが何か」
「…いえ、この辺りは、辻斬りが出ると、いうじゃありませんか…」
「………」
「時にして…お一人、なので?」
「…ええ」
「女一人旅となっちゃあ…格好の餌食だ…」
「………」




会話の意味がわからない。
言葉の割に身を案じる様子はまるでなく、むしろこちらに探りを入れているように思える。
そして昼間と同じように、時折隣にある木箱を気にするように視線を向けてはこちらを見ていた。

その男の様子を不気味にすら感じながら、今度はこちらが問いを口にする。





「貴方こそ…一人旅で?」
「まあ、どちらかと言えば…一人、ですかね」
「………」



曖昧な答えだ。
それは一人ではないことをほのめかしているのか。
なら連れはいるのか。
しかしそう考えたときに、この男が人間をつれて歩くという姿も想像し難い。




「曖昧なお答えだこと…」
「まあ…」
「…まるで、」



目に見えぬモノでもつれていらっしゃるようだ



「………」


そう、言葉を紡ぐなり細められる男の双眸。
僅かに身の回りの空気が冷えた気がした。



「目に、見えぬモノ、とは?」
「…そのまんまですよ…」
「ほお…」



低く、吐息のように吐き出された声。
艶めかしさを含むそれは、それ以上に不気味さを孕んでいる。
再び吹き抜ける風の冷たさに思わず身震いすれば、男は「今晩は冷えますね」などと呟きながら席を立ち上がった。
それと、同時。




「お!昼間のお二人じゃあないかい。」
「!」


宿屋の主が現れる。
現れた相手に反射的に視線を向け、小さく会釈をすれば宿屋の主もまた昼間と同じ笑顔で言った。



「…どうも」
「はは!袖振り合うも多生の縁ってな!今日会った客同士が話してるってのも面白いもんだな。」
「…………」



悪意のない笑顔。
感情の宿る瞳。
宿屋の主を見ていると、この男が果たして血の通った人間なのかと疑いたくなるほどだ。
そんなことを思いながらも、ふと、昼間ぶつかった少年の姿が脳裏をよぎる。
そして思い出した少年の存在を、何気なしに口にした。




「ああ、そういえば主人…」
「ん?」
「昼間に少し変わった子を見かけまして…」
「変わった子供?」
「ええ、自分に触ると呪われて死ぬ=cと。」
「―!!」




そう口にするや否や、宿屋の主の顔は明らかに強張った。
笑顔は一瞬で表情から消え去り、かすかな怖気を顔色に浮かべている。
その表情の変化を見るに、確実に知ってはいるのだろう。
いい機会だと思い、その表情の変化を気にとめもせずに続けた。






「不躾な子供で…」
「えっ?」
「ぶつかるなり出ていけだのと怒鳴り散らし…挙げ句謝罪もせずに逃げていく。」
「あ…あの子は…」
「…ご存知で?」
「…………」




かすかに軽く首を傾けてみせれば、宿屋の主は苦虫を噛み潰したかのように表情をさらに歪める。
しばらく思案するように黙り込んだ後、宿屋の主はこちらを睨むように見ながら言葉を紡いだ。
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