novel

□イタチ
1ページ/1ページ


そんな細い腕で何が抱えられるというのですか。
そんな薄い肩で何を背負うというのですか。
いくら虚勢を張ったところで、貴方がそんなに脆くては簡単に潰れてしまうでしょう。
中身が強くとも、それを覆う匣が脆いのです。
それでは簡単に匣もろとも潰れてしまいます。

貴方は聡明ですが滑稽ですね。

匣はまだ無事ですか。
もうだいぶ傷んでいるようです。
中身はもう潰されてしまいましたか。
まだ僅かに残っているようです。


その残りは、私がもらっても良いものですか。



「がらんどうに」
「……」
「なってしまったら、貴方は諦めてしまうのでしょうね」

私の言葉に彼は人形のように無言を返した。
格子窓からは空が見える。
陰鬱な鉛色の蓋のようだ。
静かに地上を圧迫する雲は、今にも泣き叫び出してしまいそうだった。
目の前にいる青年は、それに潰されてしまいそう。
薄暗いせいもあり青白く見える貌には、過去の少年の面影など微塵も残っていない。

「事前に言ってくだされば、お菓子の一つでも用意しました」
「……」
「お団子、好きだったでしょう」

好きだった
過去形になってしまったのは、今の彼がそんなものを食べているように見えなかったからだ。
不健康な肌の色は、その漆の髪により際立っている。
痩せてしまったのか。
やつれてしまっのか。
私より背が高いはずなのに、貴方の方が小さく見えてしまった。

「弟さんは元気ですか」
「……」
「……?」
「…怪我を…、負っている」
「…大変ですね」
「……オレが」
「?」
「オレが負わせた」
「けんかですか。大変ですね」
「そんなものじゃない」
「あら…」
「違う…」
「……」
「違うんだ。そういうのじゃ…ない。」

ゆっくりと、宙を見ていた彼の瞳は下に落ちた。
まるで痛みに耐えるような表情だ。
怪我を負わせた弟を思っているのだろうか。
後悔するとわかっていながら、何故そうしたのだろう。
まるで親に叱られた子供のように、彼はひどく小さく見えた。
なんだか可哀想で、気の利く言葉の一つもかけてあげられたら良かったのだが、どうにも私には上手くできない。

「謝っても赦されませんか」
「…赦されては、いけない」
「でも赦されたいから苦しいのでしょう」
「……」

わからないと、彼は首を振る。
彼は自分が苦しいのかどうかすらわからないというのか。
両親を思えばの、話なのかもしれないが。
私は彼の全てを知ってるわけではない。
しかし何も知らないわけではないのだ。

「彼岸へ行ってしまえば楽でしょう」
「!」
「此岸では、苦しいのでしょう。」
「…オレに、死んだ方がいい≠ニ、言っているんですか…」
「そんなこと言っていません。ただ、こちら≠ノいるのが苦しいなら、あちら≠ノ行ったら楽になるかもしれないと…そういう話です。」
「……」
「ああ、でも。彼岸にはご両親がいましたか。」
「……」
「ならまず、弟さんよりご両親に謝らないといけませんね。」
「…赦してはくれませんよ…」
「…叱られてしまいますか。」
「……」
「安心してください。なら私は川を挟んで此岸で待ってます。賽の河原で石詰み遊びでもして待っていましょう。叱られてしまったら、帰ってきても大丈夫ですよ。」
「…そうですか」
「彼岸も此岸もダメなら、ここ≠ヘどうです。敢えて言うなら、そうですね…幽境≠ナはどうでしょうか」
「かくりょ…?」
「…彼岸と此岸の間ですよ」

どちらにもいけないなら、間にいればいいでしょう。
私のように。
生きるわけでもなく。
死んだわけでもなく。
閉ざされた空間で。
薄暗い、誰とも関わらない空間で。
彼がゆっくりと、こちらに瞳を向けた。
薄暗い世界で、彼の瞳がほの暗く光る。

――匣の中身が。

匣はまだ無事ですか。
もうだいぶ傷んでいるようです。
中身はもう潰されてしまいましたか。
まだ僅かに残っているようです。

中身はまだ。
彼の。
思いは。
まだ。


「……」

そっと、彼へと手を伸ばした。
叱られて反省している子供をあやすように、髪に触れる。
彼の黒真珠の瞳は細められて、どこか遠くを眺めるように私を見た。
髪に触れていた手を、彼が掴む。
ひんやりとした冷たい手のひらだった。

「また…」
「!」
「来ます」

一瞬だけ、弱々しく手が握られた。
しかしすぐに離れて、彼は背を向けた。

格子窓の向こう側で、雨がポツポツと降り出した。
彼の背中が雨に霞んでいく。

「かなしい、」

彼の背中が雨に溶けてゆく。

「かなしい人です」

遠い昔の人たちが、愛≠ニ哀≠掛け合わせてその言葉を作ったなら。
私が呟いた言葉はどちらの比率が大きいのだろう。
あの脆い匣に入った中身は。
やはり弟の為に残されたものなのでしょうか。
それが欲しいと手を伸ばした私の方が、滑稽かもしれませんね。
それでもやはり。



「貴方はかなしい人でした。」







20100609

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ