‥◆anniversaire◆‥

□試薬的遊戯
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 薄汚れた校舎の角を曲がった時、艶のある長い黒髪がすぐ脇を通り抜けた。
 肩が触れるのをぎりぎりで避けたその一瞬、驚いたように大きな瞳がこちらを見たが、口を開く代わりに昇降口へと向かう速度が目に見えて増した。
 微かなフローラルの残り香を静かに擦れ合う葉の香気が搦め捕り、鼻先を掠めて天へと上昇する。
 何気なくそれを追っていた視線を下ろすと、同じものを見ていたらしい切れ長の眼差しと交わった。
 少しの動揺の色もない瞳は責めるでもなく。

「…見てたのか」

 独り言のように呟くと、もう何十年も同じような光景を見下ろしてきたであろう大木の幹に寄り掛かった。
 蔭を作り出す樹木と、その間を流れる風は心地良い浮遊感を与えてくれる。

「また呼び出されたんだね。今年に入って何人め?」
「さぁな。覚えてない」

 まるで他人事のような言葉とは裏腹に、その声色は堅い。

「さすがにうんざりしてるみたいだね」
「休み時間のたびに此処へ呼び出されるのは面倒だな」

 声色だけでなく、普段よりも更に堅さの増した表情に思わず苦笑する。
 呼び出してきた本人に直接そんなことを言わないくらいの気遣いはあるだろうが、この表情ではおそらく同じこと。
 それでも此処への呼び出しが後を絶たないのは。

「ねぇ、誰か特定の相手はいないの?」
「そんなものはいない」
「そう…」

 何を聞くんだとばかりに訝しげな声で返った答えを受けて、考え込むように目を伏せたが、それも瞬きふたつの間のこと。
 すぐに顔を上げて、ゆっくりと口を開いた。

「じゃあ、その“特定の相手”に立候補しても問題はないよね?」

 聴覚に異常はない。ならば、聞き間違いではない。
 僅かな表情の動きでそう考えていることが解る。
 発せられる話の唐突さには随分慣れているはずだが、言葉が言葉なだけに顔をしかめるなという方が無理だろう。
 それでも、そんな表情は無視して言葉を続けた。

「“特定の相手”を作れば、休み時間を潰すこともだいぶ減ると思うよ」

 気持ちだけ伝えたいって子はいるだろうけど。そう付け加えることも忘れない。

「どう?」

 提案を認識する。
 ただそれだけのことなのに、数式を解くよりも余程、脳は活性化しているかもしれない。
 制服のポケットに仕舞っていた手が引き抜かれ、胸の前で緩く腕が組まれた。

「そんなに考え込まないでよ。同じ部なんだし、一緒にいる時間が少し長くなるだけなんだから」

 言葉を重ねていくほどに深くなる眉間の刻みを真正面から捉らえて放つのは、あくまでかるい口調。
 何でも慎重に考えるわりに、深読みというものが出来ない性格なのを知っているからこそ、説明など不必要。
 これがいつものやり方。

「メリットはあるのか」

 長めの沈黙の後に出てきたのは、裏切らないまでも期待していたものとは少し違う。

「メリット?…そういう考えが“らしい”よね」

 メリット。
 自分は興味のない用事に時間を割かれることが減少する。
 それなら相手は。
 確かに、互いに利がある方が楽だ。
『自分の都合で利用している』
 そんな足枷は邪魔なもの。
 けれど、この男にそんな思いはおそらくない。ただ、律義なだけ。

「敢えてあげるなら“楽しい”ってことかな」
「……どういう意味だ」
「きっといろんなことが楽しいと思うんだ」

 それがメリットかな。そう言って微笑む顔はいつもと変わらぬ笑み。
 直接的に問いを投げられても柔らかくかわす。
 それが意図的なことくらいは解っているだろうが。

「深く考えなくても、これはゲームだよ」
「ゲーム…」

 眉間の刻みは更なる深みで不審感を露にする。

「そう。ルールはひとつ」

『本気にならないこと』

 頬をなぶり二人を包む空気を掠った風が木々の葉をざわめかせたのと同調するように、機械的な鐘の音が鳴り響いた。

「ゲーム・スタート」


  +Fin+
 

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 不二周助誕生日記念物として書いたものです。
 他の記念物とは少し雰囲気を変えようと試みたら、手塚の意思が殆ど介在しない話になっていました。不二が主導権を握りっぱなし。
 攻の不二を書く時でも、極力白に近いグレーを意識していましたが、これはどちらかというと黒に近いグレーにしようとしていた気がします。
 因みに、「試薬的遊戯」と書いて「サンプルゲーム」と無理矢理読ませます(笑)。 

 

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