「流星の歓喜」 4 流星たちが住まうのは、天帝が住まう王宮の一角。 常時、星の様子が分かるようにラウンジには大きなモニターが設置され、刻々と変わりゆくそらを映し出している。 スザクはその前に備え付けられているソファーに腰掛け、モニターを見つめる。 次々に映し出される星の映像は、多種多様であり、その一つ一つに聖冠が存在する。 星にとって、己の命と同等、いやそれ以上かもしれない。 何よりも大切で、星を導く尊き存在である。 聖冠に優劣は存在しない。 皆、同じく星を守護する存在であり、長く聖冠であろうと新たに聖冠に選ばれた新参であろうと流星にとっては、同じ尊き存在なのである。 ――だから、だ。 スザクは、戸惑っていた。 モニターに映し出された、まだ産まれたての何も存在しない星。 ――ルルーシュの星だ。 とくん、と胸が高鳴り始める。 胸の奥から沸き上がる熱に、スザクは困惑してしまう。 今すぐ、彼のあの深い紫の瞳を見たくてたまらなくなる。 ここから飛び出し、彼の元へと会いにいきたい。 彼の声が聞きたいと。 傍にいたいと。 次々と溢れだす想いに、思考がついていかない。 こんなことは、初めてだ。 ルルーシュに出会う前にも、スザクは他の聖冠を護るため、全力を注いでいた。 それが、流星であるスザクの使命であり、何より尊き聖冠を護ることが出来ることを誇りに思っていた。 だが、ルルーシュは違う。 聖冠とか、流星とかそんなことではなく、彼の存在そのものに惹かれてやまないのだ。 まるで、星が聖冠を欲するかのように、スザクの胸の内にある星の欠片が騒めくのだ。 ルルーシュと逢うたび、彼に触れるたび、その騒めきは大きくなっている。 スザクは、ぎゅっと胸元を握り締めた。 カシャッ、とすぐ側で聞こえ、スザクは顔を上げた。 側に立っていたのは、同僚のピンク色の髪をした少女。 最年少で流星になった彼女は、表情を変えることなく、手元の携帯を弄っている。 「深刻な顔してる」 「そう、かな……。アーニャは一人なのかい?」 アーニャは「そう」とだけ言い、携帯を見つめている。 不意に鳴り響きだした警報にスザクはすぐさま駆けだした。 「スザク!」 後ろからア‐ニャが声を上げ呼び止めるがそれどころではない。 モニターから発せられた緊急事態の文字は一つの星を指していた。 ――そう、ルルーシュが守護する星である。 このラウンジから各星へと続く扉はどんなに急いでも五分はかかる。 その時間がもどかしい。 もし、彼に何かあれば。 そう考えるだけで、心が凍てつくほどの恐怖がスザクを襲う。 (早く、早くいかないと! ルルーシュ!) 廊下を走り抜け、漆黒のそらへと続く柱がようやく目に入る。 胸に着けているバッチを素早く外し、ゲートに掲げるが焦る気持ちとは裏腹に扉は動かない。 何故、と混乱する頭で扉を睨み、再度バッチを掲げるが扉は動く気配を見せない。 「くそ! 何で!」 忌々しいと舌打ちをした時だった。 「スザク」 再度名を呼ばれ振り返った先にいたのは、さっき一緒にいた流星の一人――アーニャだった。 「ごめん、ア―ニャ。今は君の相手をしている暇はない」 それだけ言い放ち再び扉に向き直る。 その瞬間、膝裏に強い痛みを感じてスザクはその場に蹲った。 「いッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」 声を上げるのは流星として恥でもある。 ずきずきと響く痛みに歯を食いしばることで耐える。 そして聞こえてきたのは呆れた声。 「あなた、馬鹿?」 顔を上げると、アーニャが見下ろしていた。この痛みの原因は彼女だ。 「何が……」 相変わらず無表情な彼女の顔を見ているとさっきまでの焦りがすっと引いてゆく。 「ゲートは流星二人一組じゃないと開かない」 至極まっとうな彼女の意見に項垂れるしかない。 先ほどから彼女が自分を呼びとめていたのはそのためだったのかとようやく気付く。 それすら失念していた自分に呆れてしまう。 肩を落としたスザクにアーニャが問いかける。 「スザク、寝ボケている暇はない。ルルーシュ様が危ない」 アーニャの呼びかけにはっと我に返る。 そうだ、今は落ち込んでいる場合ではない。 アーニャと共にゲートの前に立つ。 彼女の瞳と同じダイヤモンドと共に。 (ルルーシュ!) ただひたすらルルーシュの名を呼び続けた。 ****** 「さあ、観念してください。ルルーシュ様」 目の前に立つ長い髪の女をルルーシュは睨みつけた。 漆黒のスーツを身に纏い、サングラスで視界を覆うその姿には見覚えがあった。 左腕に走る痛みはすでに麻痺している。 流れ落ちる血が地面を赤く染め上げる。 ルルーシュは顔をしかめた。 星が自分のせいで穢れてしまう。 それが何より悔しい。 「何が目的だ?」 低く問えば、笑い声が返ってきた。 「聡明であらせられるというのに、お分かりになりませんか?」 その甲高い笑いは不快でしかない。 「どうして天帝はあなたのように何の輝きのないものを聖冠などに任命したのでしょうね。 我が姫こそ聖冠に相応しいというのに」 その言葉にルルーシュは彼女の正体が分かった。 自分と同じように天帝の血を引く者に仕えているのだろう。 何度か庭園で見かけたことがある。 その度に、ルルーシュに対し罵りの言葉を浴びせていた。 妹ナナリーと年の変わらない姫。 「確かに、俺は聖冠に相応しくないのかもしれない」 でも――。 ルルーシュはしゃんと顔を上げると銃を構える彼女を真っ直ぐ見据えた。 「それでも、スザクは俺を聖冠だと言ってくれた」 そして、自分を受け入れてくれたこの星の為にも死ぬわけにはいかない。 「残念ですわ。ご理解いただけないなんて。申し訳ございませんが、我が姫のために死んでいただけますね」 赤い唇を引き上げ、女が微笑む。 引き金に細い指が延ばされる。 死にたくない。だが、逃げ場所はない。 (こんなところで死にたくない!誰か……) 構えられた銃がかちりと鳴り、ルルーシュを捉える。 迫りくるその瞬間にルルーシュはきつく目を閉じた。 痛みを覚悟して歯を食いしばる。 閉じた先、見えたのは綺麗な緑だった。 (スザク……) 流星である彼の姿が目の前に浮かんだ。 どれほどそうしていただろう。 覚悟していた痛みは訪れず、変わりに聞こえてきたのは力強い声。 「ルルーシュ!」 ハッと目を開ける。目の前にあったのは見なれた人の背中。 自分とさほど変わらない背丈にも関わらず、やけに大きく感じた。 「スザク?」 呆けたように呟けば、首を巡らせ微笑みが返ってきた。 「もう、大丈夫だから」と綺麗な翠の瞳が伝えてくる。 いつもと同じ優しく穏やかな声。 だが、澄んだ柔らかな光を宿す瞳が今は違っていた。 銃を構える女を睨みつける姿は流石流星とでもいうのか、完全に相手を威圧していた。 今までルルーシュに対し、優位に立っていた女から悲鳴が漏れる。 「な、何故こんなにも早く! 情報は遮断していた筈!」 女が叫ぶがスザクは顔色一つ変えず淡々と答えを返す。 「あまりなめないで頂きたい。我ら流星は己の命を賭して聖冠を護ると誓った。 ルルーシュ様を護るためならば、自分はどこにいたって駆けつけます」 それが自分の誇りだから――。 腰にある銃を手にし、女との間合いを詰める。 勝負は一瞬だった。 スザクが地を蹴ったと同時に女が銃を発砲する。 だが、それは命中することなく空を切る。 次の瞬間には女は地に伏していた。 スザクは彼女を拘束する間、厳しい顔のままただ無言だった。 ルルーシュは自分を護ってくれた広い背中を見つめ、胸を押さえた。 じんと胸が熱くなる。 こんな自分を、身を呈して護ろうとしてくれる。 彼の姿に泣きたくなった。 スザクの真っすぐな言葉はルルーシュの頑なに聖冠を拒んでいた心を溶かし始める。 いまだに聖冠として相応しいとは思えない。 でも、スザクはこんな自分を心から受け入れ信じてくれる。 ――それが、嬉しかった。 ふと、腕を引かれて後ろに下がる。 見下ろせば小柄な少女が撃たれた腕の止血をしてくれていた。 ピンク色の髪を後ろで一つに結いあげている。 庭園を護る妹と同じ髪色にルルーシュは顔を綻ばせた。 「痛い?」 「いや、大丈夫だ」 もともと痛みには耐性があったし、スザクが来てくれたことでさっきまで感じていた恐怖感は消え失せている。 だからそう答えたのだが、顔を上げた彼女は表情こそ変えてはいないが発せられる声は確かに怒っていた。 「我慢は身体にわるい。痛い時は痛いってちゃんと言わないと駄目。 この腕の怪我はぜんぜん大丈夫じゃない」 赤い瞳がルルーシュを見据える。 澄んだ瞳は、スザクとよく似ていた。 「君も流星なのか?」 問えばこくりと頷きと共に「アーニャでいい」と声が返ってきた。 そしててきぱきと応急処置を進めていく。 真っ赤に染まっていた腕がみるみるうちに白い包帯に覆われていく。 とても可愛らしい自分よりも年下に見える少女。 こんな幼い少女が流星として戦っているというのか。 ルルーシュは顔を曇らせた。 それに気づいた少女――アーニャはルルーシュを見つめると首を傾げた。 「どうしてそんなに悲しそうなの?」 「え……?」 「私たちは流星。星の欠片を持っている。だから、この星の声も聞こえる。 ルルーシュ様が心を痛めて悲しんでいるって、この星は泣いてる」 まだ何もない土だけの星を見渡し、アーニャが呟く。 ああ、そうかと。ルルーシュはよくやく気付いた。 この星は生まれたばかり。赤子と同じなのだ。 自分が不安になったり心を揺らせば、星もまた揺れ動く。 (そうか、聖冠はいわば子を育てる親とでもいうのか) ルルーシュはくすりと笑んだ。 その瞬間、アーニャがルルーシュの腕を引っ張る。 「今、星が笑った。ルルーシュ様が笑ってくれたって」 「本当か?」 問えばこくりと頷きが返ってくる。 「そう、か」 ルルーシュには星の声は聞こえない。それでも。 愛おしいと思った。 心から信頼を寄せ、慕ってくれるこの星が何より愛しい。 ルルーシュは広がる星を見つめ、囁いた。 「ありがとう」 「大丈夫だった?ルルーシュ」 慌てた様子で駆けてくるスザクは傷一つ負ってはいなかった。 さっきまで相手に見せていたのが嘘のように穏やかだ。 「ああ、俺は平気だがスザクの方こそ大丈夫なのか?」 「僕は平気。もう心配ないよ、本部に通報しておいたから。すぐに捕獲部隊が来る」 スザクはそう言って気を失い地に伏している先ほどの女を一瞥するがすぐに視線をルルーシュに戻し微笑む。 女は両腕を銀色の輪で拘束されていた。 「彼女は君のことを……」 スザクが言葉を濁す。だが、ルルーシュはスザクを見据えはっきりと断言する。 「俺を殺して、聖冠の名を奪うつもりだったようだ」 スザクが翠の瞳を見開き、唇を噛みしめる。 まるで痛みを耐えるかのようなその姿に胸が痛んだ。 「すまない……。迷惑をかけた」 スザクに向かい頭を下げれば、スザクが困惑しながら声を上げる。 「ッ! 迷惑だなんて、そんな!」 「だが、俺が聖冠になどならなければ、こんなことは起きなかった」 俯き唇を噛みしめるルルーシュを諌めたのは赤い瞳の流星である。 「それは違う」 「アーニャ?」 「ルルーシュ様だから狙われたわけじゃない。 彼女の目的は聖冠。聖冠の名を欲する者は後を絶たない。 だから、私たち流星は存在する。」 それに――。と彼女の赤い瞳がルルーシュを見上げる。 「そんなこといっちゃダメ。さっきも言ったけど、星が悲しむ。 今だってルルーシュ様の星、泣いてる」 ルルーシュははっと顔を上げると何もない星を見渡した。 淡淡と紡がれる言葉。抑揚のない声だからこそ、よけいに胸をついた。 なのに、自分が言った言葉はこの星を捨てるも同然の言葉。 どんなに悲しいだろう。 どんなに傷ついただろう。 湧き上がるのはそんな後悔ばかりだ。 ルルーシュはその場に膝をつくと、生まれたばかりの星を覆う土を両手ですくい上げた。 「ごめんな、不甲斐無い聖冠で」 呟けば情けなさと悔しさで涙が込み上げてきた。 耐えようと歯を食いしばったが遅かった。 溢れた涙が頬を伝う。 でも――。伝えなければ。 「俺はお前と出会えて本当に嬉しい。お前が生まれてきた姿を見た時、本当に嬉しかった。 まだまだ未熟で悲しませてばかりな俺でもまだ受け入れてくれるか?」 その瞬間、掌から眩いばかりの光が溢れ、それはいつしか地面を――星全体を包み込んでいった。 ルルーシュは目を見開いた。 「これは……」 淡く虹色に輝く光はゆっくりとルルーシュを包み込んでいった。 そして聞こえてきたのは、幼い子供の声。 “うれしい? ほんとう?” “ぼくらは、ここにいていいの?” ――これは、星の声? ルルーシュは驚きに目を瞠った。 それでも確信が持てなくて流星である二人を見つめれば二人とも笑っていた。 「ルルーシュ、応えて上げて。君を呼んでいる声に」 スザクの呼びかけにルルーシュは涙の残る頬を手で拭った。 そしてしゃんと顔を上げると星に呼びかける。 「生まれてきてくれて、そして俺を聖冠として認めてくれて本当にありがとう。 これから一緒に歩んでいこう」 ――未来に向かって。 星が心を開き、聖冠を包み込む。 スザクは息を飲んだ。 ルルーシュが浮かべる微笑みは慈しみそのもの。 柔らかな光を宿すアメジストの瞳から目が離せない。 ああ、彼は聖冠なのだ。 星が求め、何よりも慕う尊き存在。 この日生まれたばかりの星と聖冠は新たな絆に宿った絆のもと、未来に歩み始めた。 その立ち会いに二人の流星の温かな眼差しがあったことは彼らだけの秘密である。 next |