青の世紀 私は始め――、私は終わり――、 限りなく生きる者――。 「どうも、今年は異常気象らしいよ、ナナリー」 カタカタと湯気を上げるポットに手を伸ばした。 ロロは、先ほどとってきたばかりの紗蓮木の花びらを、湧いたばかりの湯が張られた銅の器に浸した。 白い花びらの先が桃色に染まっている。 石造りのキッチンに湯気が白くのぼった。 花びらが水面に揺れ、徐々に水気を含みふやける。 花びらが沈んだ瞬間、ロロは花びらを掬いあげた。 途端にむせかえるほどの強い芳香が、辺りを包み込んだ。 強すぎるほどの匂いに咳きこんだのは、肩まで伸びた亜麻色の髪の少女である。 父の友人が作ってくれた背もたれのない簡素な椅子に腰かけたロロは苦笑いを返した。 自分とよく似た容姿をした少女――ナナリーはいとこにあたる。 ロロの淡い藤色の瞳も亜麻色の髪も、この国の王族が持ちうるものである。 ロロの父とナナリーの父は兄弟だが、兄であり第一の継承権を持っていたロロの父は自身の病弱さと学者としての探究心を捨てきれずに、それを放棄した。 現国王についているのは、弟であるナナリーの父である。 「芽吹きの時期に雨が少なかったのですから、仕方がありませんわ。それより、おじ様の具合はいかがですか?」 「相変わらずだよ……。そうだ、銀蔓の実を上げるよ。昨日、南からきた隊商から買ったんだ」 秀麗な容姿に影を落し悲しげに眉を寄せた彼女に今朝買ったばかりの実を掌に渡した。 受け取ったナナリーは、すぐに顔を綻ばせた。 瑞々しい果実は、この地では貴重なものである。いや、この地上に置いては――。 小さなオアシスを中心として栄えた国。 それが、ロロの住まう場所である。 荒れ果てた土地に存在するオアシスは、無くてはならぬ命の糧である。 雨もほとんど降らず、頼りとなる地下水脈も掘り尽くしてしまった。 それはこの国だけではなく、多くの国を旅歩く商人たちの話ではどこまでいっても土地は痩せ、荒れたままだという。 この星では、たまに降る雨と地下水脈が唯一の水源だった。 「もっと、たくさんの水があれば、おじ様も……」 途中で途切れた言葉は、幾度となくロロも考えたことだった。 ロロの父は、考古学者だったが、長年の無理と、元来の身体の弱さがたたり、今ではおき上がることもままならない。 だから、母は父の代わりに仕事に掛かりきりとなり、ロロが家事全般を担っていた。 時折、王から手伝いを頼まれたりもするが、それが身体の弱い兄に対しての気づかいだと、ロロは知っているが知らぬふりを通している。 この地上に生まれる人は、他の動物たちと比べ脆弱であり、何かしら身体機能が弱い。 完全な正常体として生まれる確率は五%ほどである。 「海、が、あれば……」 「え?」 「う・み。父さんが教えてくれたんだ。南には海があって、それは広場の井戸の何万倍も大きくて深い大きな水たまり何だって」 「初めて、知りました」 「そこから雲が来て、雨が降るんだ」 「本当に……?信じられません。この地上の八十五%は荒野だと聞きました」 ナナリーはロロの父からそう習ったと言った。 身体を壊すまで、ロロの父は研究の合間、ナナリーの教師も担っていた。 今はそれすら、ままならない。 「でも、昔は、この場所にも海があったて、父さんが言ってた」 初めて聞いた時、ロロも信じられなかった。だが、父ははっきりと言ったのだ。 太古、北の地であるこの大地にも海があった、と。 今ある南の海よりもっと大きく広がっていたという。 かつて、この砂漠地帯が大半を占める北の地にも海は存在していた証拠を、ずいぶん前に発見していた。 遺跡の発掘調査で出てきた一枚の古文書。 小さな金属盤で出来たそれには、古い言葉で太古の海の姿が鮮やかに描かれていたのだ。 広大な海は、いつしか消え失せ、一つの珠におさめられたという。 緑柱石(べリル)と同じ輝く緑の珠に――。 それを海晶珠(カイショウジュ)と呼んだ。 父以外の調査隊たちは、遥か昔の夢物語だと笑ったが、ロロの父は違っていた。 倒れる間際まで消えてしまった水の謎を追い求めていた。 今も、父は望みを捨てていない。 「もっと、水があれば……」 湧いた湯が少し温度を下げたころ合いを見計らって、ナナリーに茶を差し出す。 彼女の真っ白な手に触れると、いつだってロロの胸が騒ぐ。 コップを彼女の手に渡すと、やわらかな笑みが返ってくる。口をつけると、香るハーブの匂いに彼女はさらに顔を綻ばせた。 ナナリーは、目が見えない。 それも、またこの地の環境が影響している。 見えない変わりに、ロロはいつも香りの強いものを彼女に差し出す。 少しでも、彼女を癒すことができれば、と。そう願わずにはいられないのだ。 「ロロ、心臓のお薬は飲まれましたか?」 「うん、大丈夫だよ。発作も落ち着いてる」 父の身体が弱い上、ロロは心臓を患っている。 母一人に負担をかけてしまっていることに、胸が痛む。 水が。多くの水があれば、人の病気は治るだろうか。 ロロは、窓の外に見える荒野を見つめた。 風に巻き上げられた砂が吹き荒む何もない土地。 水がほとんど存在しないため、植物が育たない。 植物がなければ、それを求める動物たちも、人も住めやしない。 果てしない砂漠。 満ち足りた豊かな水の宝玉が、この世界のどこかに存在しているのだろうか。 ロロは荒野の先を見つめ続けた。 next |