パラレル

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それからというもの、街に降りる回数も増えた。
ルルーシュは、長い間、各地を渡り歩いているため、博識だった。
彼の語る世界は、今まで見たこともないもので、驚くばかりだった。
自分たちを飽きさせないように、難しい話の後には必ずと言ってその土地に語り継がれる歌を唄ってくれた。
だから、ロロもナナリーも聞き飽きることがなく、ルルーシュの元に通い詰めた。
ほっそりと長い指は、傷一つなく、今まで見てきた誰よりも綺麗だとロロは思った。
その指が竪琴を奏でるたび、心が温かくなる。

「ルルーシュ、昨日の続きを聞かせて下さい」

木陰に入るなり、ナナリーがせがむ。
木の合間からこぼれ落ちた日が、風と共にゆったりと揺れ動く。
レンガで出来た段差に腰掛け、ルルーシュが微笑んだ。
彼はいつも邪険にすることなく、笑顔で迎えてくれる。そのことが嬉しかった。
昨日の話は、遠く離れた国のお姫様と騎士の恋物語だった。
身分を超えた恋の話に、ナナリーはすぐに夢中になった。
けれど、傍にいたロロもそれは同じだった。
地位も財産もすべて捨て去り、愛する人とともに生きる道を選んだお姫様は、どんな気持ちだったのだろうか。
ロロは、両手を組んで話に聞き入るナナリーを見つめた。
いつの日か、自分とナナリーにも彼らのような苦悩の日が訪れるのだろか。
そう思うと、ロロの胸は痛んだ。
けれど、ロロは彼女を攫って逃げようとは思わなかった。
彼女は、この国を心から愛している。もしも、同じ立場となるならば、自分は潔く身を引き、彼女の幸せを願いたいと、そう思った時だった。
ナナリーのほっそりとした手がロロに触れる、その瞬間、微かに身体が震えた。

「幸せに、なれるといいですね」

目を閉じた彼女が笑顔で言う。握りしめた手に力が籠ったことに、ロロは驚いた。
まるで、自分の気持ちを見透かされた気がした。

「うん、そうだね」

しっかりと握り返せば、今度こそ、彼女は嬉しそうに笑った。




「素敵な歌ですね」

歌が終わったと同時に拍手をすれば、ルルーシュの表情がほころんだ。
綺麗な笑顔を浮かべ、接してくれるがどことなく壁を感じていた。
それが、少しだけ薄らいだとロロは素直に思った。
披露された歌は、余韻を響かせ、今も胸にふわふわとした心地よさをもたらしている。
自分たちがここに来てからずっと話続け、歌を披露してくれたお礼に水筒を差し出せば、彼は困ったように眉を下げた。
水は、何よりも貴重な命の糧であり、お金と同等の価値を持っている。
あちこちを旅する彼はそれを知っているためか、受け取ろうとしない。
痺れを切らしたのはナナリーだった。

「受け取ってください。いつも、私たちにたくさんの歌やお話を聞かせてくれたせめてものお礼なんです」

目の見えないナナリーにとって自分では知ることの出来ないそとの世界を感じることは、何よりも価値のあることなのだ。
ナナリーの熱意に負けたのか、ありがとうと笑顔で受け取ってくれた。
先ほどまで音色を奏でていた竪琴を大切に布で包み、立ち上がったルルーシュは笑っていたけれど、泣いているように見えた。




****




崖の上、緋色の衣が風に揺れる。乾燥した大地が、果てしなく続いている。
巻き上げられた砂が視界を覆い始める。
ここからだと、街のすべてが見渡せる。
オアシスを中心として出来た、小さな国。
もしも、他国が占領したならば、一溜まりもないだろう。
この町に入ってすぐに出会った子供たち。
彼らは、小さいながらも、誰より未来を見据えていた。その心に惹かれたのだ。

今の生活を憂い、水を求めている。

『ルルーシュ』

ふと、風が和らぎ、背中からすっぽりと包み込まれる。頬に触れる髪の感触を、うっすらと感じ、ルルーシュは後ろを仰ぎ見た。
見えた豊かな緑と同じ瞳に心が温かくなる。視線が絡まった途端、頬に口づけられた。

「スザク……」

「辛い?」

あたたかな温もりは、彼が傍にいるという証である。
それでも、ルルーシュは怖くて堪らなかった。大丈夫だと言っても、彼には通じないだろう。
ずっと、見守り続けていた世界。
それが崩壊した日を今でも昨日のように思い出せる。
緑溢れた大地が、炎に消えてゆく様に、心が凍てついた。
手ずから育ててきた星が、荒廃し、死に絶えてゆく。
震え始めた身体を、力強い腕が抱きとめてくれる。

それだけが、唯一の救いだった。

「あの子たちは、心の底から、水を求めている。特にあの少年は、自分の為じゃなくて、大切な人のために水を欲している」

彼らに出会ったすぐ、気づいたまだ幼いながらも、誰よりも欲している。
けれど、それは、自身のためではない。

他の誰かのため。
大切な人たちのため。

それに気づいた瞬間、胸に去来したのはかつての星の姿だった。

「分かっているさ」

「君も本当は恋しいんだろう?」

彼が言いたいことも、少年たちが心から望むことも分かっている。
でも、身体が竦んでしまう。
微かに震え始めた掌を握りしめる。
それ以上顔を上げていられなくて、ルルーシュは広い胸板に顔を埋めた。
彼は、ここに、いる。
それでも、あの時のような別離をもう二度と、味わいたくない。

「すまない」

遥かな、夢を見ていた気がする。

それは、川のせせらぎであり、風の囁きであり。
色とりどりの花の乱舞であり、葉の寄り添いであり。深蒼に満たされた森は、命に溢れ。大地を抱く海は、絶え間なく続く潮騒が唄う。

ここは、かつて命溢れる楽園だった。

――ルルーシュ!!ここはもう駄目だ……

蘇り始めた記憶に、心が叫び出す。
今にも、我が身を真っ二つに引き裂かれそうな痛みが、全身を貫く。
ゆるりとかぶりを振ったのは、新緑を映したら瞳の青年だった。
この星が生まれてから、ずっと傍にいた彼が言った。
どうして、こんなことになったのか。

この星を導く役目を負っていた彼は、立ち尽くした。
豊かな森は薙ぎ倒され、海はどす黒く汚れ、異臭を放つ。
この星に最後に生まれた人が、争いを始めたのだ。
知力を持つ人々は星冠の声を早々に忘れ、自らの欲望のために、森を切りたおし、動物を追い詰めていった。
それでも、星冠の名を頂く彼は諦めなかった。星冠は星を導き、共に歩み、そして共に生きる。
彼は声をかけ続けた。
けれど、ついには届かなかった。

――ルルーシュ、この星はもう、駄目だ

これ以上は耐えられないとかぶりを振った青年は、星そのものだった。

『スザク?』

『少し、眠るだけだよ。だから、心配しないで』

だから、お願いだと彼が懇願する。
これ以上、争いを、流れ続ける血を、君に見せたくない、と。
哀しみを含んだ瞳。
けれど、頑なな意志を宿していた。

泣かないで、と。彼が微笑む。――僕はいつだって、君の傍にいる、と。

大地はこの瞬間も焼かれ、荒らされている。どれほどの痛みが彼を苛み続けているだろう。
弱音など一度も吐いたことのない彼が、限界だと全身で語っている。
それでも、己の身より星冠に心を砕く。
その想いが辛かった。

苦しい。苦しい――、と。星が泣いている。

涙が止まらなかった。
そして、目を閉じ眠りについた彼の姿が地に飲み込まれると同時に星に呼び掛ける。
眠れ――、と。

彼に、大地に、そっと口付けを送る。傷付けて、すまない。
守れなくて、ごめん。

何度も心で呟き、炎に包まれる星を見つめる。
星冠の声に従い、眠りにつきはじめた星。

『ゆっくりと、眠れ』

汚れてしまった海を、傷付いた森を、もはや星の力は癒せない。
両手を炎に包まれる平原に向け、伸ばす。
そして、祈る。もう、苦しまなくていい、と。
なぎ倒された木々が、黒く変色した大地が、生き物の気配が消えてしまった海が、呼びかけに応じる。
広大な地にあった命が、掌に集まる。
辺り一面を光の粒子が旋回する。
集まった光が飛散し、消えていったあと、彼の手のひらに残されたものは、ひとつの石。

濃い緑色をしたそれは、光の屈折を受けると、青く深海の色を宿す。
碧き宝石の名を持つ、この星と同じ輝きをしていた。
生き物の気配がなくなった荒れた大地。
この星が生まれた時も、何も纏っていなかった。
永き年月を共に歩み、多くの命が生まれた大地から、今、全ての命が消えうせた。

『……ッ、すまない……』

彼は、繰り返し、呟いた。止めどない涙が、彼の頬を濡らす。

いつも傍にいて、永遠を誓った騎士の姿は、
どこにもない。

彼は、この星、そのものだったのだから。
スザク――。と、かの人の名を呟く。




目を開けると、彼の姿は消えていた。
胸元にしまい込んだ海晶珠を取り出し、口づける。
眼下に広がる荒れた大地を見るたび、心が引き裂かれそうなほど痛んだ。
あの時の決断は、避けられないものだった。

それでも――。

彼を、この星を、この大地の生きとし生けるものたちを想うと、涙が止まらない。

彼らが、水を心の底から求めているのは、分かっている。
けれど、もはや、繰り返したくはないのだ。

苦しくて、苦しくて。

ただ、静かに頬を新たな雫が流れ続けた。


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